第16話 私のストーカーさん

「恋ちゃんも言ってたけどさ。私も、怖いよ」


 部屋へと逃げ帰る様に戻った後、美弥が唐突にそんな事をこぼす。


 でもそれは、あってはならない事のはずだった。


「美弥、何を言っているの?」


 美弥の言葉は私達の存在意義を根底から否定する言葉に他ならない。


 だから私は美弥を否定する。


 絶対に認めてはいけないから。


「あなたはさっきの写真を見たでしょう? 90億もの人間の写真を」


 今でこそ減りに減って、全人類を合わせても10億にようやく届く程度でしかない。それでもまだ10億居るのだ。


 10億人もの人間がこの地球上に生きて居るのだ。


「私達が人間達を守るの」


 そうだ、私達だけがオームの魔の手からあの人たちを守れるのだ。


「私達が戦ってオームを叩き潰さないと、人間達が死ぬのよ」


 私の中に炎が灯る。それは美弥に向かって言葉をぶつける度に、段々と強く、激しく燃え盛っていく。


 炎の正体、それは――怒り。


「その人間の中には、先生や安寿博士も入っている事を貴女は理解しているの!?」


「それは……分かってるけど……」


 もごもごと言い訳をする美弥に、更に怒りを募らせる。


「いいえ、分かってないわ。分かってたらそんな事思うはずないものっ」


「でも……」


「怖がってそれで私達が出撃しなかったら? それで先生達が亡くなってしまったら? 本当に怖いのはそっちよ!」


 そうだ。私はそれが怖い。


 私は私の大切な人達が死んでしまう方が怖い。


 だから、自分の命が無くなるかもしれないなんて事に恐怖は抱かない。邪魔になると分かっているから。


 そんな恐怖を持ったせいで、本当の地獄が起こってしまったら、それこそ本末転倒だ。後悔したってしきれないだろう。


「だから私達はそんな事を言っちゃいけないの! 私達は死ぬ・・ために作られたの。死んで・・・先生達を守るために私達は存在しているの!」


 それが生体誘導機である私の存在理由。


 生体誘導機である私達の目的であり役目だ。


 でも……。


「……そう、だね」


 美弥はそれに賛同してくれないみたいだった。


「美弥は先生が死んでもいいの?」


 私は先生が好きだ。


 安寿博士が教えて下さる様な、男女の仲という意味とは違う。


 優しくて、いつも褒めて下さって、私を認めて下さる先生の事を、心から敬愛しているという意味だ。


 だから何よりも守りたいのだ。


 私の短い命を捨ててでも。


「それは嫌だけど……」


「だけど?」


 美弥はずっと俯いており、私の目を見ようとはしない。


 美弥も分かっているのだ。自分の言う事が恥ずべきことだと。


「私は……私が死んじゃって先生に会えなくなるのも、やだよ」


「先生が死んでも会えなくなるのっ! 馬鹿じゃないのっ!!」


 私が死んで先生が生き残るのと、私が生き残って先生が死ぬの。どちらがいいかなんてそんな事は選ぶまでも無い。


 だから私はそう怒鳴りつけて……気付いたら部屋を出て走り出してしまっていた。


 目的地なんて分からない。


 足の向くままに走っていく。


 訓練室を始めとした決められた場所以外の場所へ行くときは許可を貰わなきゃいけないのに、それも無視していた。


 何故か、涙があふれ出して来る。理由なんて分からない。


 泣きたくなんてなかったのに、涙が止まらなかった。


 目元を服の袖で擦って、鼻をすすり、こみ上げてくる嗚咽を奥歯で噛んで必死に堪える。


 ぼやけた視界でも、私は誰とも何にもぶつからず、前へ前へと進み続け……。


 結局、私は陽菜が始めた花壇の前にやってきていた。


 5センチほどの長さになった、名前も分からない植物たちを前にしゃがみ込む。


「なんで……」


 ここに来ちゃったんだろう。


 少しだけその理由を考えて、すぐに思い至る。


 陽菜だ。


 陽菜は桜花に乗って特攻を成功させた。


 そのおかげで私は生きている。だから私の気持ちを分かってくれると思ったからだ。


 でも……陽菜はここに居ない。


 私の言葉にそうだねって答えてくれることもなかった。


 だってもう死んでいるから。


 先生なら私の言葉を肯定してくださるかもしれなかったが、今は恋の事で手いっぱいだから無理だろう。


 私は道しるべを失った迷子の様にどうする事も出来ず、体育座りになって膝に額を押し当てる。


 顔と足を腕で抱きしめて閉ざされた空間を作り、大きなため息を吐き入れると、安寿博士が頬を包んでくれた時の様に顔が温かかった。


 これからどうすればいいんだろう。


 自分で自分に聞いてみると、答えはすぐに出た。


 今すぐ部屋に帰れ。ルール違反をしているのだから当たり前だ。


 とても簡単な結論で、やらなければならないのに……体は私の言う事を聞かなかった。


「……どうしよう」


 今度は声に出してそう呟いてしまう。答えは分かっているのに。


 本当に何がしたいんだろう、私は。


 自己嫌悪で胸が詰まってしまいそうだった。


「私が、死ぬ」


 美弥が、死ぬ。


 それがどうなるのか、実は想像すら出来なくて――。


「――また居るのか」


 ザリッと固い靴が石ころを踏みしめる。


 顔を見なくとも、ちょっととぼけた感じのする声で誰なのかは察しがつく。


 なんでこの人はここに居るのだろう。


「それは貴方もでしょ。安寿博士が仰ってた様に、ストーカーってやつなの?」


「はぁぁー…………」


 途端に水原は、わざとらしく声をあげてため息を吐く。


 ……少し悪口を言い過ぎただろうか。


「俺はもとからここで偶に一服してたんだよ。お前達の方が後から来るようになったんだ」


「そうだったんだ」


 陽菜が種を植えて、そのお世話をし始めた矢先にそれが出来なくなってしまったから私が来るようになったのだ。それより先がどうなっていたのかは知らない。


「ごめんなさい。謝るわ」


「…………おう」


 ごめんなさいという言葉を口にしたら、不思議と少しだけ肩の荷が下りた様な気分になって来る。


 水原はどうなのか興味が湧いた私は、顔をあげて彼の顔を見た。


 ……いつも通り眠たそうな顔で期待していたような物は何も見られなかったけれど。


「実はストーカーって言葉の意味は分からないで使ったのだけど、結構酷い悪口なの?」


「……意味の分からない言葉を不用意に使うもんじゃない。特にお前がそれを言うとシャレにならないから今後絶対に使うな」


「分かったけど……どういう意味なの?」


 私の問いかけを無視したまま、水原は花壇の横まで行くと壁に背中を預けてプラスチックの棒を咥える。


 その後、何度か聞いてみたものの、一切教えてくれなかったので多分かなり酷い悪口なのだろう。


「…………ねえ、それ何なの?」


 これ以上聞いても無駄だと判断した私は矛先を変えてみる。


 無理に水原と話そうと思うなんて、我ながらどうかしているのかもしれない。


「これは禁煙具だよ」


「禁煙?」


「別にタバコ吸った事ねえけどな」


 いつも通り、甘いオレンジの香りが水原から漂ってくる。


 私はそれがいい匂いだなって思い、少しだけ禁煙具とやらに興味が湧いて来た。


「吸いたくなるくらい美味しいの?」


「別に。他の連中から離れて一人になりたいから吸ってる」


 一人になりたいのに私は居てもいいのだろうか。


「ねえ、今……」


 いや、違った。確かにこの男は今一人だ。


 私は生体誘導機で、一人じゃなくって一体なのだから。


「……何でもない」


 水原もそういう認識だった事に気付いて少しだけ寂しかった。


「最後まで言えよ」


「……大したことじゃないから」


 それが分かってしまったら、急に水原の事をまっすぐ見られなくなってしまった。


 だから私は花の様子を見るふりをして、水原の視線から逃げる。


 ……もうここで帰ればいいのに。


 なのに私は……少しだけ、そうじゃないって可能性を探そうとしてしまって……。


「ガキに遠慮されるとこっちの寝覚めが悪くなるだろうが」


 結局私は……。


「私の事、どう思ってるの?」


 聞いてしまった。

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