第15話 歴史とは自らの足元に何があるかを知り、自分がどう進むかを決める学問である

「じゃあ由仁。復習にもなるから歴史について恋に説明してごらん」


「はいっ」


 いつも様々な事を行う訓練室に、今は机と椅子を三人分持ち込んで、授業を行っていた。


 恋は陽菜の思考パターンを転写したおかげか、短期間の間にある程度なら会話が出来るまでになったのだが、同時に陽菜の引っ込み思案なところまで受け継いでしまったらしく、多少不安定な部分もある。


 今も一人で椅子に座る事が出来ず、安寿の膝に座る事でなんとか静かに授業を受ける事が出来ていた。


「2033年8月13日。全世界同時多発的にオームの侵略が始まりました」


 由仁は椅子の隣に起立し、歌い上げる様に朗々と僕が教えた内容を述べていく。


「それから1半年間で世界人口は約90億人から3分の1以下、30億人にまで低下。日本も、北海道や九州が敵勢力圏となってしまいました。本州や四国なども一時期かなり侵略されてしまいましたが、少しずつ取り返し……」


「今に至る。よく覚えていたね。偉いよ、由仁」


「はい、先生っ」


 僕が褒めると由仁はいつも元気に返事を返して来る。


 美弥の様に笑顔になったりすることはないが、目を輝かせ、緩みそうになる頬を懸命に引き締めて、しかつめらしく作った表情の裏側に喜びの感情をこれでもかというほど隠していた。


「それじゃあ座って。じゃあそのオームとは何かを美弥が説明して」


「ふぁい」


 座額に関しては少しばかり苦手なのか、美弥は渋い顔をしながら立ち上がる。


「えっと、宇宙から来た悪い奴?」


「確かにそうだね」


 あまりに実も蓋も無い言い方に、少しだけ笑いがこみ上げてくる。


 ただ……悪い奴。そういう認識になっているのは、僕がそう教えたからだ。


 確かに侵略されるこちら側からしたら、オームは悪以外何物でもないだろう。しかし、侵略が始まって12年が経過した今も、オームが何を目的に侵略をしてくるのか分かっていなかった。


「覚えているのは凄いよ。だからもう少しだけ付け加えてみようか」


「は~い」


「オームはどんな生物だった?」


 小学校の先生よろしく、美弥にヒントを与え、満足のいく答えになるのを補助していく。


「えっと、ケイ素? と金属で出来た生物で、まるでコンピューターみたいな体の造りをしてる?」


「うん、いいね」


「それで、近くにあるコンピューターを、暴走させたりしちゃう能力を持ってて、たぶん寿命とかは無い……」


「うん、いいね。美弥もよく覚えてて偉いぞ」


 途切れ途切れになりながらも、頭を振り絞って記憶の井戸の底から頑張ってくみ上げ続けた美弥を、ちょっと大げさなくらいに褒めちぎる。これでもう少し美弥が座学に対してもやる気を見せてくれればいいのだが……。


「ふひゅ~」


 頭から煙を吹き出して力なく座り込んだことから察するに、まだまだ難しそうだった。


「ど~お、分かった?」


 安寿が膝の上に抱えた恋に優しく尋ねた。


 その様は、仲の良い親子を連想させて、少しだけ微笑ましく思えて来る。


「うん」


 情報として入力されたのだろうが、その実感は薄いだろう。


 これから生活をして、他の人たちと一緒に生きて、生命という実感を得て、そして……使命に目覚めてもらわなければならない。


 その道のりは険しく遠いだろうが、それを越えてもらわなければ、恋が兵器となる事はない。そうなれば……やがて廃棄か実験の為に使い潰される未来が待つ。


 どちらにせよ死しか待っていないが、せめて満足できる生を歩むことが出来ればと、僕は思っている。


 それが結果的に高い作戦成功率――美弥たちEE体が特攻を成功させて敵を撃墜する――へ繋がるという皮肉を生んでいるのだが。


「それじゃあ90億人ってどれだけの数なのかを見てもらおうかな」


 そう言って僕はプロジェクターを起動した。


 オームとの戦闘における最前線ではあっても、勢力圏内に居なければコンピューターの使用は可能だ。


 2033年からあまりコンピューターの性能は上がっておらず、むしろかなり下がってはいたものの、授業に使うのには十分すぎた。


「まずこの部屋には5人居るでしょ」


 僕たちの写真をプロジェクターがホワイトボードに映し出し、生徒の少女たちが歓声をあげる。


「それから更に5人で10人」


 なかなかの反応に気をよくした僕が、更にプロジェクターを操作して更なる写真を投影していく。


「この10倍で100人。更に10倍で……」


 映し出される人間の数はどんどん増えていき、顔は小さくなっていく。


 万を超えた辺りから一人の顔を区別することは不可能になり、億を越えればもはや点になっていた。


「はい、これが90億人だよ」


 それだけの数、もはやホワイトボードには映し切れず、壁や天井にもはみ出している。


 90億人とはそれだけのかずなのだ。そしてこれが――。


「これが、たった半年間で30億人にまで減ってしまった」


 その中に、僕の家族もいた。


 僕が何も知らない内に母さんと父さんが。


 僕の目の前で妹の深夏が命を落とした。


 助けられなかった。救えなかった。


 目の前に居たのに!


「僕たちで例えるのなら、この中の一人か二人しか生き残れない……」


「唯人っ!!」


 安寿から鋭い非難の声が飛んだ。


 あまりにも冷たく、鋭利なナイフの様なその声は、僕の頭を殴りつけ、夢の世界から引きずり下ろす。


「――っ!! ごめんっ!!」


 ここまで言うべきでは無かった。言うつもりではなかったのに……。


 後悔しても、もう遅い。


「いやっいやぁぁぁぁぁっ!!」


 絹を引き裂く様な悲鳴が、恋の口から迸った。


 彼女は死の恐怖と直面することで自らの感情を自覚したのだ。そんな恋にとって、死を意識させる言葉は絶対に使ってはならない禁句だったはずなのに。


 僕は……。


「恋、落ち着いてっ」


「痛い! 痛いのっ!!」


「大丈夫よっ。痛いことは何もないからね」


 恋は自らの内から湧き出る恐怖と苦痛に苛まれているのだろう。安寿さんの膝の上で必死にもがき始める。


 そんな恋を止めるために、僕は彼女の下へと駆け寄って振り回される腕を掴む。


 暴れ回る恋の足が当たり、机が倒れ、その上に置かれていた様々なものが床に転がる。


「由仁と美弥は部屋に帰って今日の復習箇所を3回音読。それが終われば自由時間」


 二人の少女は突然暴れ出した恋に驚き、呆然として返事を忘れている。


「二人共分かった!?」


「は、はいっ」


「――うんっ」


「じゃあ部屋に帰るっ」


『ありがとうございましたっ』


 少しきつい口調で命じられた二人は、慌てて返事をした後、自分たちの荷物を手に急いで部屋を出て行った。


 後にはただ混乱だけが残っている。


 僕は安寿と共に、傷つけないよう注意しながら恋を押さえつけた。


「ごめんっ」


「それはこの子に言いなさい」


 安寿の声には若干怒りが混じっている。


 確かにそうだ。謝る対象が違う。


「そうだね。……ごめん、恋。怖い思いをさせちゃったね」


「恋ちゃん、もう怖いものは何もないからね~。先生と博士だけよ~」


「あああぁぁぁぁぁぁっ!!」


 泣き叫び続ける恋を、宥め続けた。


 ふと、そんな恋と妹の深夏の姿が被って見える。


 二人共、生きたくて泣き叫び……そしてそれは叶わない。


 深夏は僕の手をすり抜けて、恋は僕が死地へと追いやるのだ。


 本当に……本当に……何をしているのだ、僕は。


 罪悪感が、僕の心を押しつぶしてしまいそうだった。

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