絵に描くようにピグ・ノーベル

 保留するつもりはなかった。けれども多忙が結論を先延ばしにした。

 そして起こったこのイベント・・・いや、インシデントを僕は好都合と捉えればよいのかどうか。


「ピンチだ」


 社長が週末の全社ミーティングで言った簡潔な言葉が全てを表していたしある程度どのようなことが起こるかは20人いない全社員も察知していた。

 佐藤さとうだけはちょっと違った。


「でも、原料価格が高騰するなら販売価格に転嫁すればいいんじゃ」

「佐藤さん、どの研究機関も年度途中で補正の研究費を組むことはほぼ無理だ。ウチのようなスポットの端切れロットで生きている業者はより原料供給の川上に近い大手業者に勝てない。つまり・・・」

「ああ・・・そうでした。大手は仕切り価格を据え置きするか最小限の値上げで済ませますもんね」

「そういうことだ」


 佐藤も成長している。ちゅうさんや社長とすら対等に議論し意見を言う。

 なぜなら僕と佐藤とが営業部隊の主役だからだ。


「社長、忠さん。今回の溶剤原料の市場高騰はOPECの原油減産に端を発した化学製品の供給薄です。となると実際に僕たちがお客さんに卸すための商品そのものの入手が困難になりますよね」

真中まなかさん、その通りだ。既に大手は海外の在庫を押さえて輸送用のタンカーも強引に傭船したそうだ」

「忠さん。僕と佐藤のお客様は今月いっぱいの供給は既に手配済みです。問題は来月ですね。忠さんの関西のお客様は?」

「私の方も手配済みだ。余程アージェントの案件が出ない限りは」


 その時、僕のスマホが振動した。


「あ・・・幸田こうださんだ。電話なんて珍しいな」


 僕がそう言いながら耳に当てると佐藤がものすごい目つきで、それこそコタローのように僕を睨め上げている。

 今は金曜の夕方だ。おおかた会う約束の取り付けとでも思ってるんだろう。でも幸田さんは今のところSNSの僕のアカウントを通じて連絡を取るという自ら定めたルールは守ってるんだけどな・・・


「はい、真中です」

『幸田です。真中くん、お願い聞いてもらえないかな』

「どうしたの?」

『溶剤を2ロット。月曜に納品してほしいの』

「えっ。2ロット?月曜に?」

『ニュースも見てるし難しいのは分かってるわ。でもどうしても必要なの』

「でもこの間の実験スケジュールだと来月まで潤沢なストックがあるって・・・」

『分捕られたのよ!』


 幸田さんが電話口で鋭く叫んだ。


『ごめんなさい・・・大きな声出して』

「どういうことなの?」

『他所の大学の研究室にウチの在庫を回せっていう指示があったのよ。国から・・・そっちの研究の方が重要だからって』

「そんなこと、あるのかい?」

『ええ。そっちの大学も教授もだから』

「そう・・・でも高田教授の研究スケジュールを調整する訳にはいかないの?」

『来月中旬が来年度の予算申請のタイミングなのよ。それまでに出しておかなきゃいけない実験データが後いくつかあるの。そのための溶剤が足りないのよ・・・』

「分かった。とにかく動いてみるよ」

『真中くん。お願い』


 もう金曜の営業終了時間だ。

 忠さんと僕と佐藤は手分けして取引先を当たった。


「・・・あ、ペケチョメ化学さんですか?真中でございます。実はいつもの型番を2ロット緊急に調達したくて・・・ああ、ダメですか。分かりました。遅い時間にすみませんでした」

「破綻社さん?あ、ネギちゃーん。佐藤でーす。悪いけどいつもの奴ダブルで欲しいなー、なんて・・・え?デート?わたしと、ネギちゃんが?やだー。ふざけんなっ!!」

「もしもしオレだ。裏ルートでもいいから2本調達できんか?うん、うん、ああ・・・そう、ヤバいやつでもやむをえん・・・なに?A国の情報局がうろついてる?消せばよかろう」


 安物の輸入葉巻をくゆらせながら社長が僕たちに戦果を訊いた。


「どうかね」

「ダメです」

「セクハラされた」

「怖気付かれた」

「キミらは普段どういう商売やっとるんだね?」


 社長が、動いた。社長席にある固定電話の一番左の短縮ボタンを押した。


「総理を頼む」


 えっ。

 えっ。

 ふむ。


「うん。うん。それで総理のスケジュールは?」


 まさか・・・

 社長が受話器を下ろした。


「すまん、陳情の順番待ちは後1,000人だそうだ。月曜までは無理だ」

「なーんだ。正式なロビーイングのルートですかあ」

「びっくりしましたよー」

「・・・・・・」


 忠さん、どうして無言なんだろ。


「あれ?Girlちゃんだよ」


 僕のSNSアカウントにコメントが入った。


 Girl: Midさん、Sugarさん、Happyさん、皆さん、大変なんです!今連絡取っても大丈夫ですか?


「佐藤」

「う、うん。しょうがないよね」


 Sugar: Girlちゃん、ごめんね。今ちょーっと仕事でトラブってて。後で必ず連絡するね

 Girl: すみませんこちらこそお忙しい時に。分かりました大丈夫です。お仕事頑張ってください


 その後も僕らは電話で当たりまくった。佐藤は若い男の担当者がいる取引先を、忠さんは自分の支配力が及ぶ取引先を、社長は議員名鑑をひっくり返しながら片っ端から陳情のアポを。僕は韓国の取引先にまで電話した。


「Hello, Manaka speaking. Is Mr. Lee there?」

「Oh! 真中サン!リーです!日本に10ロット余ってませんカー!?」

「・・・・・・」


「あ。餅タラコ美味しい」

「よかったな、佐藤」

「なんだこれ?外資じゃないのか?和風の具だなんて」


 社長の奢りで事務所に宅配ピザを取った時にはもう22:00近かった。


「一応、市況だけ見とくか」


 忠さんがそう言ってテレビをつけるとちょうど東京のローカルニュースをやっていた。


『快挙ですっ!都内の小中高大一貫の女子の名門、冷泉れいせん学館の化学部がピグ・ノーベル賞受賞確定です!では顧問の・・・」

「あ、本名NGで。Evil Kingです」


 ガタガタガタぁっ!


 社長以外の3人して応接ソファからずっこけた。


「え、Evilさん!?」


 女性インタビュアーがマイクを向けるとEvilさんはそれをむしり取った。マイク・パフォーマンスを始める。


「えー、本当はノーベル賞でもおかしくないと思うんですけど、まあ今回はピグ・ノーベル賞で我慢しときます」


 忠さんが僕らに訊いてきた。


「おい。ピグ・ノーベル賞ってニッチだけどもユニークな研究成果に送られる賞だよな」

「え、ええ。最近じゃ結構大手企業の研究員も受賞してますよ」

「まさかEvilさんが・・・なにやらかしたんだろ?」


 佐藤のという言い振りを僕は支持する。でも、次に出てきたテレビ映りも絵になる少女の登場に、一気に現実だと認識した。


『えー、では。今回の研究・発明をメインで進めた化学部員の・・・』

『すみません、本名NGで。Girlと申します』


「うおっ」

「しっ!男二人黙って!」


『えーと。発明のきっかけは何だったんですか、Girlさん?』

『はい。本当に偶然なんです。たまたま食用油の成分実験で余ったオリーブ・オイルとごま油とサラダ油を使って新しい風味の菜花の天ぷらを作ろうと思って・・・化合してるうちに偶然食材が面白い反応をしたものですから勿体なくて油を取っておいたんです』

『そしてそれを使って実験してみたら思わぬ結果が出たと』

『はい・・・知り合いにそういう溶剤の仕事をしている方がおられるものですからそういえばと思って・・・以前女性社員さんが作った勉強会の資料を見ながらやってみたら』

『この代替品ができたってわけさ!Girlちゃん、部員のみんな!キミらはわたしの誇りだっ!』


「勉強会の資料って・・・」

「う、うん。わたしの同業の方たちとのあの資料だよね・・・幸田さんにアドバイスもらってGirlちゃんにも参考までにって送って上げたけど・・・」

「それより代替品と言ったな!すぐに彼女に電話だ!」

「は、はいっ!」


 忠さんに促されて佐藤がGirlちゃんのスマホに電話する。テレビの画面の中でGirlちゃんが着信名を確認する。


『あ、すみません。緊急の連絡です』


 そう言って通話ボタンを押した。


「Girlちゃん、おめでとー!」


 馬鹿でかい声が社内に響く。


『Sugarさん!ありがとうございます!Sugarさんの資料のおかげです!』


 画面の向こうとこちら側で大はしゃぎでブンブンと手を振り合うGirlちゃんと佐藤。佐藤がでかい声のままで話し続ける。


「Girlちゃん!あなたは凄い!どこまで才色兼備なのっ!」

『いえ、ほんとにAgeさん、Teruさん、Evil先生、Midさん、Sugarさん、Happyさんのお陰ですっ!』

『だから年齢順はやめろおっ!』


 Evilさんが激昂している。

 忠さんが2ロット、2ロット、と佐藤に目玉をひん剥いて囁きかける。


「Girlちゃん。代替品2ロット取っといて!」

『はい!2ロット、オーダー頂きましたっ』


 僕は幸田さんに宛ててコメントを送信した。


 Mid: Happyさん、観た?なんとか間に合いそうだよ

 Happy: もちろん、観てたよ!みんな、本当にありがとう!


 なんだろな。

 なんか、幸せだな。

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