絵に描くようにラーフ・アンド・ティアー
「ニッシー。今日って学祭?」
「ううん。普通の日だけど?」
ニッシーは本気で没入してしまっている。社会復帰は困難だろう。
この光景を見て平静でいられる人間なら、終わってる。
「ヘイヘイヘイ!クスリあるで〜!」
ガマの油売り。
「彼女ぉ、ボクに青春めぐんでおくれー」
絵のモデル募集。
「わたしと一緒にラーメン、食べへん?」
ラーメン好きの女子学生。しかもカップ麺ではなく袋麺を汚らしい片手鍋をカセットコンロに乗っけて麺をほぐしながら粉スープを溶かして煮込んでいる。
やたらとウネウネしたキャンパスの道路の中心を
「ニッシー。じゃあ学祭じゃないとして。あの山車は地元の神社の祭り?だんじり的な?」
「ううん。卒論で『山車シリーズ・冬』を描いてる四年生」
「ごめん。何だって?」
「山車シリーズ・冬」
気がつくとワールドに囚われていた。
なんのコスプレか、そもそもコスプレですらなく単に普通のシックな服を買えないために中学の時には家庭科部で顧問の教師の執拗なミシンの基礎練習に明け暮れたお陰でどのようなフォルム・コンセプトの衣装も完璧に縫製できるようになった、女子学生が歩いてきた。
しかも、端正な美しい容姿。
けれども、それを放棄しているに違いない。
「せんぱぁ〜い。駅前スーパーのこわれ煎餅大徳用パック・カレー味がタイムセールで7割引になるのって夜9:00でしたっけ?」
ニッシーが、そうだ、と答えて適当にその女子に手を振ってやり過ごす。ニッシーのつぶやきが悲哀に満ちていた。
「定価でも80円なのにな」
7割引きで24円。もはや食べ物と言えるのか。でも更に追い討ちがかかった。
「ウチぃ〜、あの煎餅煮込んで作ったカレーライス、めっちゃ好きなんですぅ〜!」
僕は思わずつぶやいた。
「
「ん?誰だって?」
「ああ。僕の同期の女子だよ。まあ、いい奴ではあるんだけど」
「美人か、部長」
「えっ」
佐藤が美人かどうか?
「人の嗜好は十人十色・・・」
「何言ってんの部長。まあそれだけ馴染んだ間柄ってことなんだね。写真とかないの?」
「絵ならあるけど」
僕は例のライブハウスでの記念撮影をイラスト化した画像を見せた。
「どれどれ・・・全員美人だね。デフォルメしてないよね」
「うん。これはかなりリアルタッチで描いたから」
そして、試してみた。
「ニッシー。誰が一番美人だと思う?」
「え。部長も人が悪いなあ。誰が佐藤さんか、じゃなくて『美人』か・・・うーん」
「悩むほどかい」
ニッシーは現役の美的探究者として妥協せぬ観察を繰り返す。
まあ、これはイラストだ。生身の肌や表情と言ったものを離れて純粋に『2次元的な』かわいさで言ったらGirlちゃんに落ち着くだろうと思った。
「この子だな」
「・・・・・・・それが、佐藤だよ」
「えっ!ほんと!?・・・そうか・・・へえ・・・」
「なんだよ」
「部長、やっぱり癖は抜けてないねえ」
「なんの癖だよ」
「『興味ある対象への描き込みが執拗』だよ」
夜の部は僕のリクエストに応えてくれるという。ニッシーは独身で彼女もいない。だからそういう所でもOKだと言った。でも僕のオーダーはそうじゃなかった。
「部長。大阪の定番ったら定番だけど意外だなあ・・・お笑いライブとは」
「ダメかな」
「いや。そういうの興味ないと思ってた」
「若手はね。でも今日のステージは『大地・花江』が出るじゃない」
大地・花江は漫才界の大御所だ。僕の子供の頃から常に第一線を走ってきた王道の夫婦漫才コンビだ。
僕がいじめの真っ只中にあった小学校時代、金曜の夜にとても不思議なテレビ番組があった。
『笑顔で明日を撃て!』
タイトルからはそれがお笑い番組だなどと誰も想像がつかないようなそのたった15分の番組は深夜24:15からだった。親は寝ろと言ったけどその時中学生になっていた僕の兄が、「見せてやりなよ」と進言してくれて一緒に観ていた。
「ほら、始まるぞ」
オープニング曲のイントロを聴いた僕はそれはチェンバロの音だと思ったけど、実際はエレクトリック・ギターで、スティービー・ワンダーの「迷信」だと知ったのは高校生になってからだった。
その「迷信」に合わせて番組の収録のためだけに開催されるまるでインディーズ・バンドのライブハウスでのギグのようなステージが始まる。
毎週2組、ロックナンバーのような僅か3分のネタを売れっ子の漫才師たちが老若男女先輩後輩全員が敵同士となり遠慮会釈なしでぶつけ合う。
その中でも大地・花江は圧巻だった。
「あんたー、ええ加減ウチの庇護から卒業せなー」
「うるさいわ。ワシは自分の意思でやっとんじゃ」
「へー。ほな、昨日の夜、ウチが寝てると思てウチの小指をペロペロペロペロ舐めてきたんはどこのどなたでっか?」
「お、おい・・・オマエ」
「それから次に薬指・中指・人差し指と来て最後に親指しゃぶった時に『ママぁ、僕さびちいの』ってゆうてたのはどこのどなたでっしゃろな」
「や、やめんか、体裁の悪い」
「お客さん、ゆっとくけど手やありまへんのやで。足指でっせー」
爆笑。シュール。
ネタのタイトルが「Lick like fetish」
まるでロックのドラミングのように花江が叩き込み、フィル・インのように 大地が呼応する。
カッコよかった。
「見る影がないな」
ニッシーの言葉にまさかとは思ったけど大地・花江は前座だった。
夫婦のツーショットを観て僕自身もショックを受けた。
「病気さえしなけりゃなあ・・・」
ニッシーはそう言うけど僕は必ずしも同意しない。確かにコンビはこの10年の間にそれぞれが命に関わる病気で闘病し二度引退の危機に見舞われた。漫才師の命である「言語」を失う危機すらあったが、二度とも互いが相手を命懸けで看護して不死鳥のように戦線に復帰してきていた。体力の衰えは隠しようはないが。
ただ、それだけではない。
僕と同年代かそれよりも若い10代の客たちが、一切反応しない。
まさか、とは思ったけど、スマホをいじっている客すらいた。
僕は猛烈に腹が立った。
もちろん、エンターテイメントは究極的にはとにかく面白ければ勝ちなのかもしれない。そして面白くなければプロである以上退場すべきなのかもしれない。
だけど、観る側の感性が錆び付いてしまっていた場合には、それでもステージに立つ人間の側の問題として終わってしまうのか?
「部長、なにしてんの!?」
僕はキャンパスノートを開いて膝の上に置いた。
そのまま青色フリクションを自動筆記のように滑らせる。
視線は決してノートに落とさず、ステージ上の大地・花江を凝視したままで。
僕も笑えなかった。
会場の雰囲気が悲しすぎて。
でも、初老を超え、痩せた頬骨とシミをメイクで隠し、更年期によりステージライトで異常なまでに発汗するそのふたりは、アポロシアターで挑戦し続ける夢見る若きデュオのようだった。
「部長・・・すごいよ」
僕はノートを一切確認していないけれども、ニッシーがそうつぶやくということは僕の絵はまともに描けていたということなんだろう。
ふたりのステージが終わってようやく僕はノートに目を落とし、とても満足した。
そのままカメラで罫線が入ったノートの青いデッサンのような絵を撮影し、SNSにアップした。
タイトルは、「Superstition」
ステージは早送りのように進み、今バズっている20歳ほどのコントをやる3人がステージに上がった頃、僕のスマホが一度振動した。
『いいね』が押されたようだ。
僕がコントになんの感動も受けずにいると僕のスマホの振動が止まらなくなった。
間断というものがない。
僕の絵と、その中のコンビがバズっているのだろう。
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