絵に描くように押し掛け女房

 年末の最後の営業日、僕と佐藤さとうは社長はじめ社員全員(といっても20人いないが)に『お疲れ様でしたー!よいお年をー!』と威勢よく挨拶を済ませた瞬間に共用の冷蔵庫からクール仕様のエコバッグを引っ張り出す。佐藤が僕に檄をとばす。


「戦闘開始!」

「はいはい」


 年末のさわさわする街の中、時刻は夕刻。東京でも近年は普通に雪の降る季節の冷え始めた時間に僕と佐藤とは途中でGirlちゃんと合流した。実は化学部で部活でもEvilさんの指導を受けているというGirlちゃんも今日が年内最後の『実験納め』で制服のままで巣鴨駅まで来てくれた。


「ありがとうね、Girlちゃん」

「いいえ・・・」

真中まなか。わたしに礼は?」

「どうもな、Sugar」

「聞いた?Girlちゃん?『どうもな』だけだよ」

「それはSugarさんとMidさんの間柄ですから。逆に羨ましいです・・・」

「な、なるほど」


 社会人の佐藤よりも高校生のGirlちゃんの言葉の方が遥かに説得力がある。ただ、僕と佐藤がエコバッグの持ち手を片方ずつぶらんぶらんと持っていたのを羨ましそうに見ているGirlちゃんに、佐藤は年長者らしく譲った。


 ただ、僕は困る。


 かわいらしい女子高生とむさい男のこういう絵は本当のラブコメ漫画やアニメの中でしか実行されない設定だろう。


「ここですか・・・」

「うん。寒いからどうぞ中へ」

「お邪魔します」


 僕は女子ふたりを間口の狭いエントランスをくぐって一部屋しかない生活居住空間へと誘った。


「わ・・・」

「おー」


 天井にはたこ奴凧やっこだこといった和凧からカイトのような洋凧まで僕なりのレイアウトで吊るしてある。


「Midさん。これは創作のためですか?」

「うん。なんとなく天井に空の広がりを感じられるんだ」

「Midのくせにおしゃれじゃない」

「あ。Midさん。そのベランダにあるのは?」

「ああ。花さ」


 小分けの小さなプランターをベランダに真横三列に並べてある。全部一斉にというわけにはいかないがいくつかの花が必ず咲いているような状態にしておきたいのだ。


「夏には大家さんに許可とってフェンスに朝顔とヘチマをつたわさせてもらってる」

「素敵・・・」


 それはGirlちゃんのセリフだと思った。

 でも、僕がちらりと横を見ると目を若干潤ませて紫の小ぶりの花びらを見つめてそのセリフを吐いていたのは佐藤だった。


「あ!は、花が素敵だという意味であってMidそのものが素敵という訳では決してない!」

「どうでもいいよ。というか口調がおかしいぞ」

「そ、そ、そ、そんなことは無きにしもあらず、いや無い」

「?完全に変だぞ。どうしたんだ」

「は、初めてなんだよ」

「何が?」

「男の部屋に入るのが!」


 ああ。そういえば佐藤は同期やちょっと上の先輩達がまだ居た頃レンタカーでキャンプに行く時、僕を拾うのに部屋まで呼びに来て玄関先を見せただけだったな。


「僕の部屋は初めてでも幼稚園の時とか親戚の従兄弟の家とか入ったことあるんじゃないのか?」

「一度もない。そのようなはしたないことはわたしはしない」

「す、すみません。Sugarさんでさえ大人になってから初めて男の人の部屋に入るのに高校生のわたしが・・・恥ずかしいです・・・」

「が、Girlちゃんはいいのよ。なんたってわたしという立派な大人が同伴してるんだから」


 無茶苦茶な理論だが作業開始だ。


「狭っまいキッチン」

「仕方ないだろう。男の一人暮らしだぞ」

「今時そんなんじゃ嫁も来ないよ。あ、ものすごーくよくできた博愛主義者のような人格優れた女子なら来るかもしれんけどね」


 佐藤よ。チラチラ上目遣いで僕を見ないで欲しい。

 とにかくIH一台と佐藤が持参したカセットコンロをフルに使って作業を進める。佐藤は主にキッチンに立って下ごしらえをどんどんこなし、隣にあるIHに鍋を置いて煮物系の惣菜を調理していく。

 Girlちゃんは佐藤が処理した食材を僕の作業用ローテーブルの上に置いたガスコンロでフライパンを振るい、乾物系のおかずを水分飛ばしながら炒り煮にしていく。


 僕はふたりが作った完成品をタッパーやジップロックに移し替え、佐藤の脇あたりからシンクに体を割り込ませて洗い物をする。


「Sugarさん、ものすごく慣れてますね」

「ふふん。伊達に独身女子やってないさ!」

「ちょっと意味が分からんが確かに手際はいいな。問題は味だがな」

「味見しやがれ、おふたりさん!」


 ほお。

 スティックの出汁を使ってはいるけどうまく食材を選択してプラスアルファの滋味がきちんと出されてる。いや、食材だけじゃなく、砂糖や醤油を入れるタイミングと入れてからの煮の時間がきっちりと経験則で仕込まれてるな。さすがばあちゃん子。Girlちゃんも仕切りに頷いてるしな。


「じゃあ、Girlちゃんのも味見してみようかな」


 佐藤と僕が同時にひじきと車の炒り煮に箸をつけた。


「!」

「!」

「あの・・・ダメですか?」


 こ、これは・・・


「美味い!」

「おいしい!」


 冗談ではなく、外食ではない家でこういう味の食べ物を食べたことは生涯一度もない。一体どうやったんだ・・・


「が、Girlちゃん。これってさっきスーパーで買ったひじきだよね?ごく普通のやつだよね?」

「はいそうです、Sugarさん」

「家から『かけるだけでなんでも高級料亭の味にする至高の調味料』なんて隠し持ってきてないよね?」

「?そんな調味料売ってるんですか?わたしも欲しいです」


 すごいな。

 確かにお嬢様だから料理も仕込まれてて当然なのかもしれないがこれは異次元の味付けだ。


「どうやったんだい?Girlちゃん」

「は、はい・・・その、いつもの実験と同じようにしました」

「実験?」

「はい。わたしは液体も固体も質量を大体把握していますので目分量で化合させればどういう仕上がりになるか予測できるんです」

「味を予測できるってこと?」

「そうですね。大体どのような固さとか・・・肉の繊維のほぐれ方や出汁の染み具合がどの程度になるかとか・・・」


 ふうん。幸田さんの調剤みたいな能力だな。


「でもでもでも。そんな机上・・・じゃなかった、調理台上の空論だけじゃこの味は出ないと思うけど?」

「はい。子供の頃からばあやが台所に立つ横でずっと作り方を見てましたので基礎はそこで」

「ば、ばあや?」

「Girlちゃん。『乳母』ってことかい?」

「はい。わたしの家に来る前はトミタ自動車の社長の家で饗応料理のチーフだったとか」

「ひえっ」

「若い頃は国賓を招いた晩餐会を仕切ったこともあるそうです」

「ま、負けた・・・」


 なるほど。佐藤は『ばあちゃん子』でGirlちゃんは『ばあや子』か。でもどちらの味も心が安らぐっていう共通項は負けず劣らずだな。


 ひととおり通常の惣菜を仕上げた後は簡単なおせち作りに入る。


「Sugarさん、黒豆の作り方教えてください」

「?Girlちゃんならわたしに聞かなくても大丈夫だと思うけど?」

「いえ。こういう材料は使ったことがないので・・・」


 Girlちゃんが手に持っているのはすでに煮るところまでは出来上がっている真空パックの黒豆だ。


「家では豆を一晩出汁につけておくところから始めるものですから」

「そっか。こういう横着なやり方はやってないんだね」

「いや、Sugar。それは横着じゃないだろう」


 僕はなんとなくふたりの会話に加わった。


「黒豆だって豆から煮たら味は違うだろう。煮物にしたって煮干しや鰹節できちんと水から出汁を取った方が美味しいだろう。でも、残念なことに今の時代はそれをしようとしたら時間と、結局はお金がとんでもなくかかる」

「そうだね・・・」

「はい・・・そうですね・・・」

「体がしんどかったらスティックの出汁を使ってもいいさ。せめて年末年始ぐらいゆっくりと映画を観たいなら時間短縮のために出来合いの黒豆でもいいさ。大切なものをひとつかふたつだけ、きちんと取っておいて、後は疲弊せずに続けられる方法を考えるのもありさ」


 僕は自分に言い聞かせるように言った。


「人間だからな」


 僕は自分自身の絵のことをも思い浮かべていた。

 PC・タブレット、そして様々なアプリケーション。

 いまだに僕は腱鞘炎になりながら筆で描く方法しかとっていないが、どうしたものかな。


「さあ!食うぞ!」

「なんのためのおせちだよ。僕がおごるから外食しよう」


 駅前の焼肉屋にふたりを連れて行った。まあ忘年会という意味もある。


「うーん・・・このガツン!ってくる焼き肉もやっぱり素晴らしい!」

「Sugarはなんでもいいんだろ。Girlちゃん、焼肉とか大丈夫だったかい?」

「はい。初めてですけど、美味しいし楽しいです」


 調子に乗って生ジョッキを頼もうとする佐藤を僕は真剣に止めた。


「いーじゃない。今夜はMidの家でお泊まり会だあ!」

「あほか」

「あ!阿保って言った!父さんにだって言われたことないのに!」

「もう9:00過ぎてるから僕はGirlちゃんを送っていく。Sugarは大人のくせに駄々をこねないこと」

「へーい」


 巣鴨駅で佐藤と分かれたあと僕とGirlちゃんは山手線のホームに出た。


「えーと。家はどの辺?」

「渋谷方面です」


 原宿だった。


 ほんとうに原宿が住所なのだ。

 芸能人でも原宿に住んでいる人間を僕は知らない。


 原宿駅で降りて地元民しか分からないような静かで品のあるエリアをGirlちゃんに先導されて歩いた。


「えーと。僕に家を知られるの嫌でしょ?近くの安全なところまで行ったら帰るから」

「ま、待ってください」


 黒いウールのコートの袖からGirlちゃんは赤い苺の柄に編まれた手袋で僕のスタジャンの裾を掴んだ。


「お、送ってください。家の前まで・・・」

「・・・うん。分かったよ」


 敷地は広大、というわけではないがコンパクトに整地された和風の庭の奥に一ヶ所だけレンガ造りの花壇があってとても可憐な感じがした。贅を尽くしたような家ではなく、古さと暖かさが先に伝わってくるような日本家屋だった。

 僕は表札は自分の視界に入らないようにした。


「じゃあ、今日はありがとう」

「いいえ。わたしの方こそごちそうさまでした」

「おやすみ」


 そう言って僕が背を向けると、スタジャンのひじのあたりを掴まれるのと、僕の肩甲骨あたりに、とっ、と温かな感触が伝わってくるのが同時だった。


 たぶん彼女の、おでこだろう。


 10秒ほどそうしていたあと、彼女は僕から離れた。


「わたしは子供なので、HappyさんやSugarさんみたいなことはできません。でも、こうしたかったんです」

「・・・おやすみ」


 僕は肩越しにちらっと笑みだけかけてそのまま駅へ歩き出した。

 まだ僕を見送っているようだ。


 どうしたもんかな。

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