絵に描くように営業マン

 僕たちがなんだか恋愛とコメディのような世界に浸っていると思わないでいただきたい。僕たちの本分は給与取得者だ。

 様々な言い回しがある。

 曰く、サラリーマン。

 曰く、社畜。

 曰く、流浪の民。


 なんにせよ、山が動いた。


「キャンペーンだ!」


 社長は文字通りのオーナー社長だ。

 株主のご機嫌を伺う気兼ねもない。社長と親族ですべての株を保有しているのだから。


 だがそれは究極の義務を負う存在だということだ。


ちゅうクン!ぬるいぞっ!」

「はっ!」


 字面だけ追えば厳格な経営者と幹部の緊張感あるやりとりのように見える。だが社長は齢87、数え年で米寿を迎えた腰が90°に折れ曲がった老爺だ。

 営業部長である忠さんのベルトのバックルあたりにしか視線がいかない。


「キャンペーンだっ!」

「はっ!」


 ザ・ザ、と忠さんは僕と佐藤さとうがいる営業部のエリアに歩いてくる。


「と、いう指令だ。いくぞ!」

「忠さん、待ってください」

「なんだい、真中まなか

「『ぬるいぞ』『キャンペーンだ』。これだけで社長の指示が分かるんですか?」

「甘いな。わたしが何年ウチの営業部長をやってると思ってるんだ」

「何年ですか?」

「20年だよ、佐藤さん!」


 どういう会社だ・・・


「3年前の年末にやはり社長は同じことをおっしゃった。『ぬるいぞっ!』『キャンペーンだ!』の二語のみだ。ちょうどキミたちが入社する少し前、ウチはその年過去最高売上と収益を達成した!」

「でもそれはまだ先輩方が辞めずにいたからじゃ」

「真中さん、人数の問題じゃない。たとえば我々が大阪へ行こうと決めたとする。経路や交通手段は幾つもあるが問題は大阪へ行こうという強い決心なのであって、そこさえ揺るがなければ最後には辿り着けるのだ」


 分かりにく過ぎる例えだ。

 とは言いながら僕たちは極めてシンプルな達成しやすい方法でお客さんたちにアタックした。

 なんのことはない。年末の挨拶を兼ねて既存顧客リストを全部回るのだ。


 繰り返すが、全部だ。


 時は12月上旬。当然ながら都内の大学や研究機関から順に回る。僕と佐藤はいつもの軽四ワゴンだけど、忠さんはついに伝家の宝刀を抜いた。


 ドゥルッ・ドゥルッ・ドルドルドル・・・


 重低音が池尻大橋の社屋前に響く。何事かと思って表に出ると、僕が見たことのない巨大なバイクにサングラスをかけて脇の部分に鳥の羽のような絵が書かれたゴツいヘルメットを被った偉丈夫がまたがっていた。


「ドゥカティね」

「なんだって?」


 エンジン音が大きくて佐藤が何を言っているのか全く分からなかったがこのバイクが忠さんのプライベートな持ち物だということは分かった。要はこのモンスター・マシン(言ってみて少し気恥ずかしいが)をついにウチの会社の営業活動の最終兵器として繰り出したということなのだろう。


「見事じゃ、忠クン」

「ええ。見事ですね」


 社長と佐藤のやりとりを聞いて佐藤の趣味が一体どれだけ多岐に渡るのかと不思議な思いだった。件のライブハウスでのハードコアパンクバンドといい。


「では、行って参ります」

「うむ!出撃!」


 ドゥロロロロロロロロ!!


 忠さんは関西方面の顧客の元へと旅立って行った。


「さ、わたしたちも行くよ!」


 シュタアっと佐藤は身を翻すようにして運転席に乗り込む。そしてものすごく雰囲気たっぷりにシートベルトを装着した。

 僕が助手席に座ると佐藤は社長に向かって敬礼のポーズをとり、その手を、スチャっ、という感じで振った。社長は親指を立てて目を潤ませる。


「GO!」

「うん」


 車を出すと佐藤はすぐにブルートゥースでカーステからやたらアゲアゲの音楽を鳴らし始めた。


「なんだこの曲は」

「宇宙母艦ハヤテ・愛のテーマ」


 なんだかよくわからないが僕と佐藤も大都心へと旅立った。


「真中。アベレージ・モードに切り替えたからくつろいでいいよ」

「佐藤は中二病なのか」

「はっ!何を言うの真中!これぞ営業パーソンの醍醐味じゃない!あ、そこのコンビニ左折するね」


 チンケな宇宙航行だなあ。


「真中、アイテムは用意した?」

「ああ。でもなあ・・・」

「なによ」

「こんなの、いいのかなあ・・・」


 僕の絵のアカウントのことは忠さんだけでなく社長にも知れることとなり、社長が鶴の一声でこう言ったのだ。


『真中クン!素晴らしい!キミの絵をお客様にお配りするのだ!』


「恥ずかしい・・・」

「なあに真中が女子高生みたいなこと言ってんのよ!ドーン、と配ったれい!」


 絵は、来年の干支のネズミ。一応カップルみたいな感じで漫画チックに描いた男の子ネズミと女の子ネズミという組み合わせだ。


「いーじゃない。かわいーし」

「ああ・・・まあな」


 最初の大学。


「では年内いっぱいも、そして来年も是非ウチの資材をお願いします・・・で、これは粗品です」


 佐藤が僕を肘でつつく。


『ちょっと、粗品じゃないでしょ?もっと堂々としなよ。却ってお客さんに失礼だよ』


「こ、これは日ごろのご愛顧のお礼です。わたしの描いた絵ですが」

「ほお!」


 ご担当の准教授だけでなく研究室の全員が寄り集まってきた。


「これはかわいい!」

「へー。真中さんにこんな特技があったなんてー」

「恐れ入ります」


 僕は照れ隠しの意味もあって運転を代わった。


「よかったじゃない真中。大好評だよ」

「社交辞令だろう」

「そんなことないよ。女子のひとたち余分に何枚もくれくれ、って引っ張りだこだったじゃない」

「・・・次は幸田さんの所だな」

「そうだね」


 幸田さんは23区外の統括薬剤師なのでドラッグストアチェーンの複数の店舗を掛け持ちで勤務している。今日は埼玉に近い辺りの店舗だった。幸田さんは他の薬剤師と同じように白衣を着て処方箋を持った一般の患者さんたちに薬を調剤していた。


「いらっしゃいませ、真中くん、佐藤さん」

「こんにちは。今年は色々とありがとうございました。ほら、真中」

「ああ。幸田さん、引き続きこれからもご贔屓に」

「ほら!」

「あの・・・これ」

「わあ!♡」


 喜んでくれた。

 この人に絵を認めて貰うことを胸に秘めて描き続けてきた部分もあるからな。素直に嬉しい。


「ありがとう。これはSNSにアップしないの?」

「いや・・・お客さんに配りまくってるから載せられないよ。素性が解っちゃうからね」

「そっか。あ、ふたりとも。お返しにこれ貰って?」


 いわゆる栄養ドリンク。

 ただし、精力増大系の。


「あのあのあの、幸田さん」

「なに?佐藤さん?」

「ここここここれをわたしと真中に渡してどうしろと?」

「え?精をつけて営業頑張ってもらえばいいかと」


 やっぱり天然だ。


 二日目。


「ゆくぞ真中」

「おー」


 なんだか僕も楽しくなってきた。こういう日々も悪くない。

 そして今日は遠出するのだ。


「目指すは静岡!清水!」

「清水の次郎長か」

「古い!古いねー、真中!」

「だが物語としては普遍だぞ」


 僕は美大には入れず大学時代は文学部の歴史学科で、偏屈な担当教授が選んだ資料に極めて不思議な文献があったのだ。

 山岡鉄舟という江戸城無血開城を敵陣のど真ん中にいる西郷隆盛のところに乗り込んで行って訴えた武士だ。

 その山岡鉄舟と勝海舟の親交について触れたような本。そしてその中で鉄舟が清水の次郎長とも交友があったという風に書かれていた。


「まあでも真中が言うように森田さんは孤高の研究者って感じだから武士とか任侠っぽいのかもね」

「だろう?ようやく話がわかるようになったじゃないか、佐藤」


 森田さんの本業は貴金属のバイヤーでその優れた目利きから一代で財をなし清水に御殿を建てた実業家だ。鉱石の美しさに惹かれるそうで趣味で原石を溶剤で加工したりということもやっておられ、ウチの資材をご購入くださっているのだ。独身で還暦を過ぎた男性で、本当にまるで武家屋敷のような平屋の重厚な日本家屋の応接間に僕らは案内された。


「やあやあ、真中さんに佐藤さん。いつも難しい配合の溶剤を送っていただいて。感謝しております」

「こちらこそ、森田さまには本当にご贔屓にしていただいて。ほら、真中」

「はい。これはわたしが描いた来年の干支、ネズミの絵です。ご趣味に合うかどうかはわかりませんが、どうぞお納めください」

「ほう・・・」


 僕と佐藤は低いテーブルの座布団の上に正座して新茶と練り切り、メロンにオレンジという豪華なおもてなしを受ける。そして驚いたことに練り切りを食べた後にオレンジを食べても酸っぱさなどひとつも感じない糖度だった。


「真中さん、あなたはほんとうに心を込めて絵を描いておられますね」

「は、はい。ありがとうございます・・・でも、どこを御覧になられて?」

「このわたしも心を凝らして見ないと分からなかったが二匹のネズミの背中の後ろ・・・佐藤さん、分かりますか?」

「え?いいえ・・・」

「気付いてくださったんですか」

「はい。ネズミ二匹の心根が見えます」


 僕は佐藤に説明した。


 ネズミは正面を向いて並んでいて当然その肌は顔やお腹の部分の色を塗ってある。

 でも僕はその表面の色を塗る前に、背中の、つまり二人の背後の様子も描いたのだ。


 恋人か、夫婦であるはずのふたりのネズミが、その細い尻尾を、くるん、と互いに絡めている部分を。


「え!どうして上から色を塗ってしまって見えないのに分かるんですか!」

「ははは。専門は宝石ですがつまりは審美眼というか・・・美しいもの、そして『本当のこと』をじっと感じる仕事ですから」


 僕は森田さんに脱帽した。

 ただ、森田さんは、こんなことまで付け足した。


「真中さん」

「はい」

「差し出がましいかもしれませんが・・・隣におられる佐藤さん・・・とても心がお美しいですよ」

「えっ・・・」


 清水から東京へは佐藤が運転した。

 多分、恥ずかしかったのだろう。

 そんなの、僕も同じことで、ふたりして黙りがちになった。

 だから、『宇宙母艦ハヤテ・愛のテーマ』を大音量で鳴らしながら帰った。


 1週間後、忠さんが帰ってきた。


「ほらよ!」


 忠さんはまるでアメリカの映画のような決め台詞を吐いて、ドドドド、と低い音を立てるドゥカティのサイドにあるキャリアーを、ガシャ、と開けて中から無造作に紙の束を取り出した。


「全部、新規契約だ」

「天晴れ、忠クン!」


 まあ、面白い会社ではあるよな。


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