絵に描くようにアフター・ディナー

 業務命令が下った。


幸田こうださんを、オとせ」


 いやもうオとしてますけど、と僕がちゅうさんに言おうとすると佐藤さとうが、


「喜んで!」


 と僕を遮った。


真中まなか、公私混同はいけないわ」

「なんだよ。とかドラマのヒロインみたいな言い回しして」

「うるさいなあ。なんにせよ忠さんが言ったのは『受注を取るために幸田女史と親密になれ』って意味であって男女の間柄のことじゃないんだからね」

「ああ」


 佐藤は私情という言葉に過敏に反応する。だが僕にも言い分がある。


「じゃあ佐藤に千疋屋のフルーツソース付きの杏仁豆腐を差し入れするのもなしにしようか」

「えっ」

「福砂屋の五三焼カステラも、叶松寿庵のきんつばも、お互い自腹で食べることにしよう」

「そ、それは、わたしという職務上のパートナーへの勤務時間中の正当な慰労だよ!決してプライベートじゃないよ!」


 とかなんとか言いながら会社が用意してくれた店に着いた。


「いらっしゃいませ」


 さすがに接待文化旺盛な時代にも日和らずに万民への奉仕を貫いてきた老舗だけのことはある。ここ神田でも一二を争うサービスも、もちろん味も最高の店だ。


「蕎麦とは粋ね」


 落ち合わせた幸田さんも目を細めて喜んでくれているようだ。

 日本蕎麦屋での飲み会。

 しかも、顧客のもてなしのために。

 確かに、粋だ。


 そして今日の彼女のいでたちはシックなグレーのパンツスーツになんとフリルの着いたブラウスの襟と袖とを上着の下から覗かせている。

 プリティ・ダンディズム、とでも造語しようか。

 だけど褒めてくれたのは幸田さんからだった。


「佐藤さん、そのTシャツ、素敵ね」

「え?ああ、これ?いいでしょ、ローリング・ストーンズのベロTシャツ。ほら、このベロの部分がスパンコールなのよ」


 先般のライブハウスのスラップスティック以来、佐藤は通勤時の私服はロック・ファッションを隠さないようになった。とは言っても一応急な顧客回りを想定してブラウスやスーツの下に隠せる感じのものに限定してはいるが。


「佐藤、もてなす側がヨイショしてもらってどうするんだよ」

「あら、真中くん。お世辞じゃないわよ。ほんとに佐藤さんはかっこいい。それにキュート」

「あ、ありがとう・・・」


 ともあれまずは乾杯した。


「えーと。日ごろからお世話になってます」

「真中、きちんと挨拶しろ!」

「ふふふ」


 まあ、女子二人の前だ。少しだけカッコつけてみるか。


「では。こうしてこの3人が仕事を通じて交友を深められるのは本当に素晴らしいことだと思います。同年代で互いの悩みや苦労も理解しあえる間柄と言えるでしょう」

「そう、それだよ!真中!」

「どうも。では、この仕事がサポートする研究を通じて人類に貢献できるよう。乾杯!」

「乾杯!」


 ビールの注がれた細身のグラスを、チィン、と触れ合わせ、喉に流し込んだ。音を立てないよう静かにパチパチと手を鳴らす。


「いやー。仕事の後の一杯は最高だね。幸田さんは普段お酒は?」

「そうね。家に帰ってリラックスするのにワインを少しだけ。佐藤さんは?」

「わたし?まあ、ビールかな。家でも飲むけどわたしは実は下戸なんだよね」

「下戸の横好き」

「うるさい真中。そんな造語初めて聞いたぞ」

「真中くんはお酒は?」

「うーん。最近は絵を描きながら飲むことが多いかな」

「そうなんだ。何を飲むの?」

「ハイボール。もしくはコーク・ハイ」

「おり?真中、趣味変わった?コーク・ハイだなんて」

「ああ。時々行く喫茶店のメニューにあるんだよ」

「コーク・ハイが?」

「ああ」

「へえ・・・どこ?」

「巣鴨の駅前さ。純喫茶なんだけどな。なぜか水割りやビールも置いてある」

「へえ。今度わたしも連れてってよ」

「いいなあ、二人とも同じ街に住んでて」

「あれ?なら幸田さんも巣鴨に引っ越して来れば?」

「あ、それいいね」


 意外だな。佐藤の方から幸田さんをわざわざ僕の近くに呼び寄せるような働きかけするなんて。


「いいのか」

「何がよ、真中」

「なあ、ほら・・・」

「ああ、そっちの心配か。だって幸田さんが巣鴨に来れば真中と幸田さんが二人でコソコソ隠れて会えなくなるでしょ?わたしがばっちり監視するんだから」

「うわ。怖い怖い」


 なんだかんだと盛り上がっていると天ぷらの盛り合わせが運ばれてきた。


「くぅー!天ぷらそばじゃなくて蕎麦屋で天ぷら単品なんて、おっしゃれー!」

「ほら、この抹茶を混ぜた塩でいただくんだよ。お嬢様がた、熱々のうちにどうぞ」


 気がつくと僕がホストみたいになってるな。


「うっわ!サクサク!」

「ほんとね。しかもとっても繊細な食感」

「僕のオススメはししとうさ」


 手本を見せるみたいにヘタのところにちょちょいと塩をつけてぱくっ、と口に放り込んだ。


「うん。いい味だ」

「どれ。わたしも」

「わたしも」


 蕎麦が出てきたところでビールから冷酒に切り替える。そばの喉ごしと、それに刺激を加える辛口の冷や酒が和食の中でも最高に近いぐらいのコンビネーションを奏でる。


「これはねえ、雪国の酒の中でも特に辛口で有名な酒蔵のやつなんだよ。ほら、獺祭が流行ってるだろ?でもこの酒はそういう作り方じゃなくってね、古式ゆかしき仕込み方なんだ。杜氏が肌感覚と脳内の記憶でもって仕上りを想像するのさ。つまり、同じクリエイターでも毛色が違うんだな。作曲家に例えればベートーベンか」

「真中、語る語る」

「ねえ、真中くん」

「なんだい、幸田さん」

「久しぶりに描いてよ。生の絵を」

「おおっ!」


 生の絵、か。

 いいな。少しエロティックな響きもして。


「さて。何に描こうか」

「これだ、これっ!」


 佐藤。そりゃ伝票じゃないか。

 こいつ、酔ってるな。

 まあ、いいか。


「では」


 しかも仕事のメモに使ってる青のフリクションしか手持ちがない。

 まあ、青インクの趣向で描くか。


「・・・・・・・・」

「わお」

「すっご」


 女子おふたりさん、ご堪能だな。

 なら、更に美化するか。


「え、ええっ!?」

「いやー。これはちょっと」


 どうだ。


「でも、綺麗・・・」

「うん。素敵」


 幸田さんと佐藤のツーショット。

 まあ、ヌードとはいいながらバストアップで隠すべきは隠してるからいいだろう。

 ただ、表情は艶かしいがな・・・


「ありがとう」


 美女二人(?)から同時にお礼を言われた。

 少し、照れるな。


 二次会はお礼にと幸田さんが神田の静かなバーに案内してくれた。

 そこでモルトウィスキーのロックを3人で語り合いながら飲んだ。


「じゃあ、真中くん、佐藤さん。ありがとう。とても楽しかった」

「うん。幸田さん、気をつけてね」

「おやすびー」


 佐藤は完全に足にきてる。

 幸田さんと分かれて僕と佐藤とで地下鉄の階段を降りてると、ずるっ、と滑りそうになる。


「真中〜。肩貸して、肩ぁ」


 金曜の夜だけあって座席は空いておらず、僕と佐藤はドアステップあたりでしっかりと両足を肩幅に広げて立ち、下戸の癖にリミット上限まで飲んで自分が一番気持ちよく酔うギリギリの状態で加減するのは酒飲みのプロみたいだ。


 とはいいながら気分よく酔った佐藤の体そのものはフラつき、僕は後ろから佐藤の脇の下に両腕を差し込んで二人羽織のようにして立たせてなんとか巣鴨までたどり着いた。


 さすがにこの重い荷物を歩いて送る気力はなく、タクシーで佐藤のアパートに着くと更に甘えてきた。


「階段、登らせて」


 佐藤の部屋は3階だ。エレベーターはなく、だから引越しの手伝いで初めて部屋に来た時、まだ辞めていなかった同僚たちと洗濯機や冷蔵庫をプロの如くに担ぎ上げた記憶が蘇る。


 佐藤とどっちが重いのかな。


 そんなバカなことを考えている間にドアの前にたどり着き、佐藤はキーを出してガチャガチャと手探りで開けた。


「バターン、きゅぅー」


 本当にそう言って佐藤は上がり口で仰向けになった。


「おい。せめてリビングまで行けよ」

「やだ。真中が連れてって」

「這え」

「やだやだー!」


 しょうがないのでソファのクッションを取って来て佐藤の尻の下に敷き、右手首を掴んでフローリングをずるずると引き摺った。


「女として扱え!」

「女と思ってない。佐藤と思ってる」

「くっそー!」


 この間風邪の見舞いに来た時にも思ったが佐藤の部屋は整理整頓されていた。やや無味乾燥のキライはあるが会社のデスクと同じく几帳面にかつ合理的に物品が配置されている。


「ありがとー、真中。お礼するよ」

「いいよ」

「そんなこと言わずに、ほら、これ!」


 冷蔵庫から出されたのはキビナゴが入ったクール便の箱詰めだった。


「そっか。佐藤って鹿児島だったな」

「そうだよー。んで、これ!」

「・・・なんで泡盛があるんだよ」

「大学の時の友達が神戸で沖縄料理屋に就職してさ。そんで送ってくれたんだ」

「下戸の佐藤にか。しかも複雑な経路だな」

「まあまあ。そしてこれ!」


 コーラだな。


「これでコーク・ハイ!どう?」

「ふうん。一杯だけもらおうか」


 佐藤はローテーブルにもなるコタツにもう布団で完全装備していた。この時期でも夜寒い時には電気を通して脚を温めるそうだ。


「じゃあ、真中とわたしの将来に、かんぱーい!」

「なんの将来だ」

「いいからいいから」


 佐藤はちびちびとしか飲まないが確実にアルコールの分解と摂取のバランスが取られており、タンクの許容量上限を維持したままの状態で会話してくる。


「真中。わたしとパートナーになる目って、本当にないの?」

「・・・ごめん。いい加減なことは言えないからな。ない」

「ふぅ〜。酒の上の冗談とも取ってくれないかー。真中はマジメだもんねー。あ!じゃあ、既成事実とかは?」

「やめろ!」


 佐藤がコタツの向こうから部屋着に替えた脚を伸ばして野暮ったいソックスの爪先で僕の足裏をなぞったのだ。僕はこれすら冗談と取ることはできずに思わず大声を出した。


「ごべん。ごべん、真中〜。もうこんなことしないからキライにならないで〜」


 涙目になったと思ったら佐藤はそのままコタツの天板につっぷして寝息を立て始めた。

 できるだけ彼女の体に触れないようにして座布団の上に寝かせて毛布をかけてやる。


 僕はそのままひとりで泡盛のコーク・ハイを飲み続けた。

 いつのまにか声を出して独り言を呟いていた。


「なんだろなぁ。いじめられてた時に一人だけいじめの輪に加わらなかった、って理由で幸田さんに告白したけど・・・一番そばに居てくれてる佐藤への仕打ちがこれか・・・」


 嫌悪まではしないが僕は自分を肯定できなかった。そしてこの泡盛は美味かった。

 酔いが深まると僕はひとりでに青のフリクションを取り出し、さっき幸田さんと佐藤をスケッチしたようにして今度は佐藤一人の絵を描き始めた。


「キビナゴの箱の裏だからインクが乗りにくいな。でも、この掠れた感じも味があるな」


 僕は無心で佐藤の寝顔をスケッチした。

 顔だけでなく、毛布を少しめくって赤子のようにきゅっと握ったその右手と、ひよこ色でバナナ柄のパジャマの胸のあたりに無造作に置かれた左手までスクロールして上半身を描き進めた。


「整った顔立ちだよな。目元も優しいし・・・口はもうちょっと小さくてもいいけどな」


 僕は佐藤の枕もとに正座してそっと彼女の髪を撫でてやった。


「ごめんな」


 いつの間に眠ってしまったのか、コタツの熱で顔が火照って僕は目を覚ました。まだ外は暗い。


 目の前に佐藤の顔がある。眠っている。

 そして佐藤は素肌の肩を毛布の上から部屋の冷たい空気に晒していた。


 僕と佐藤は毛布にくるまって抱き合っていた。少なくとも上半身は裸で。


「えっ・・・」


 マズイな。

 記憶が、ひとつも無い。







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