絵に描くように自己嫌悪

「おはよう」

「・・・ああ、おはよう」


 気まずい、という表現では済まない。

 気恥ずかしい、というのも当たっていない。

 僕が明け方に佐藤さとうの上半身裸のその二の腕を外側からすっぽり包むように抱きしめていた時、佐藤の胸はぴったりと僕の胸に押し付けられていて、微かに甘い香りがした。


 佐藤なのに、そう、感じた。


「風邪、ひかなかったか」

「ううん、平気。真中まなかは?」

「ああ、平気だ」

「何食べる?朝ごはん」

「何かあるのか?」

「キビナゴの残り。それからパスタが100gだけ」

「ファミレスのモーニングでも行くか。おごるよ」

「どうも」


 土曜の朝。

 僕は大体毎週絵を描きにファミレスへ行く。

 安いモーニングとドリンクバーのコーヒーとで、それでも創作意欲がふつふつと湧いてくるのだ。ファミレスで描く時は大体ポートレートのような男女のイラストを描く。

 年齢は僕と同年代の設定で。

 昨夜描いたような幸田こうださんと佐藤のイラストみたいな絵をごく普通のキャンパスノートに描いたりする。鉛筆の時もあれば万年筆の時も、水性ボールペンの時もある。


「ここが真中のいつものテーブル?」

「そうだよ」

「へえ・・・」


 佐藤はねだってきた。


「ねえ、昨日の絵、もう一回見観せて?」

「ああ」

「それじゃない。わたし一人のやつ」

「え。このキビナゴの箱を切り取ったやつか」

「そう。わたしだけの、絵」


 薄っぺらいジャケットのポケットの片側からハガキ大のそれを取り出す。そして観せる前に訊いた。


「これを観たのか。昨夜」

「真中が観せてくれたんじゃない」

「・・・そうなのか」

「忘れちゃったの?・・・嬉しかったのに」

「ごめん」

「いいよ」


 佐藤の部屋着の上半身をスクロールしたようなこのイラストを観て、何があってああなったのだろうか。


「佐藤は、処女か」

「はあっ?」


 佐藤はいつもはコミカルに見える目を極めてシニカルな逆三角形に近いそれにして僕を非常識の極みのようにして睨みつけてきた。


「真中って、実はバカなの?」

「なんと言われても構わない。質問に答えて貰えるのなら」

「じゃあ解答。昨夜までは確実に処女だった」

「今朝は」

「さあね」


 覚悟するしかないか。

 重要なことは一線を超えたかどうかではなく、僕が佐藤の部屋に泊まったということだ。

 そして少なくとも上半身の肌をさらす佐藤を抱きしめたまま眠っていたという事実のみだ。


「わかった」

「そう」

「幸田さんと別れる」

「は、はあっ!?」

「土日の内に会って話す」

「バ、バカじゃないの!?」

「多分、バカなんだろう」

「ちょっと待ってよ!」


 バン、と佐藤は以前そうしたようにまたテーブルを両手で叩いて身を乗り出した。周囲の客が一斉にこちらを向く。

 左右を視界に入れて慌てて愛想笑いをして着席する佐藤。


「そんなことしたらせっかく貰える受注がダメになっちゃうじゃない!昨日接待までしたのに!」

「いや。それはないだろう。公私混同を幸田さんはしないだろう。純粋にこの契約がメリットあると判断すれば僕とは無理にしろ佐藤にオーダーして取引を続けるだろう」

「・・・⚡︎⚡︎⚡︎!」


 佐藤が親指の爪を齧り始めた。

 どこまでも絵に描いたようなリアクションをする奴だ。


「あーもう!」


 再度、バン、とテーブルを叩いて立ち上がり、今度は周囲の視線にも怯まずに最後までセリフを言った。


「わたしと真中はセックスしてない!」


 店内の全員の目が泳ぐ。

 全員、別の仕草をして聴いてない風をしようとする。が、できずに途方に暮れる。

 ただひとり、烏龍茶のグラスを、ガシャ、と床に落とす子供ふたり連れの若い夫婦のテーブルがあった。

 絵に描いたようなその反応に子供が、「セックスって、なに?」と訊くが我に返った母親が「パンクバンドよ」と即答した。


 この山手線沿線の集客力の高いファミレスの週末の朝のひとときを台無しにした張本人でありながら、佐藤は平然と着席し、声を落とさずに解説を始めた。


「雪山で遭難したのよ」

「・・・なんだ?」

「雪山遭難ごっごしよう、ってわたしが言ったんだよ!」


 まさしく視界ゼロの風雪のようだ。


「真中、わたしの髪を撫でたことも覚えてないの?」

「撫でた?」

「そう。髪を」

「僕が、佐藤の、髪を、撫でた」

「そう!なにシリアスなドラマの主人公みたいな物言いしてるのよ!」


 佐藤の説明によるとこういうことらしい。


 僕が佐藤の絵を描き終えて佐藤の顔と見比べながら、何故か佐藤の髪を撫でたらしい。

 撫でた後佐藤は目を覚まし絵を観せて、と言ってコタツに足だけ突っ込んだ状態でうつ伏せになってしばらくキビナゴの箱の裏に描かれた自分の肖像を鑑賞していた。

 僕に隣に入れと言った。

 僕は正方形のコタツの四辺の佐藤と同じ辺にやっぱり足を突っ込んでうつ伏せになった。

 外気温が徐々に下がったのだろう、コタツから出した背中の辺りから頭寒足熱のような状態になり、肩の辺りに寒気を感じた。

 僕が言った。

「スキー場並みの寒さだな」と。

 一体なぜ僕がそんな適切でない例え方をしたのか分からないが、佐藤が少女の頃に見たアニメに雪山で吹雪に巻き込まれてスキー旅行に来ていた仲間とはぐれた高校生の男子女子ふたりがどういうわけか都合よく山小屋を見つけ、そこで吹雪が収まるのを待つ。火も無く、一枚しかない毛布に二人でくるまり暖め合うが気温は氷点下というシーンがあったそうだ。眠れば凍死、というこれまたステレオタイプのシチュエーションを男子が説明すると女子が、

「素肌で温め合えば大丈夫」

 と言って下着になって人肌で抱き合い一晩を乗り越えるという。


「それを、やったのか、僕と佐藤が」

「はい。確かに」

「・・・なんで胸を晒してた」

「わたしは部屋ではブラをつけない主義でね」

「それで・・・僕は何をしたんだ」

「温めてくれたよ?『ほら!もっと!全然暖ったまんない!』ってわたしが叱り飛ばしたらぼうっとした目で、きゅうっ、てね」


 なんてことだ。


「それで・・・どうなった」

「言わせたいの」

「ああ・・・頼む」

「真中がもう目をショボショボさせて夢の中だったからさ、『眠るなっ!眠ると死ぬぞ!』ってわたしが真中の顔をぺちぺち叩いてたんだけどわたしも叩きながら眠っちゃったのよ!」


 そうか。

 そういうことか。

 いや、どういうことなんだ。


「説明できんな・・・」

「知らないよっ!」


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