第2話 報い

 かつて、友達のつてで、ギャラリーを借り、共同展を開催したことがあった。


 それは内々のものだったけれど、私はいつかは個展を開きたいと思っていた。


 しかし、個展を開いても、私の絵に値はつかなかった。



 私は死んだ後に評価されるタイプの作家ではない。


 だから、そのとき評価が欲しかったし、あせっていた。


 まあ、あせったところでどなたかが親切にも買ってくれるわけでもなかったし、仕事もこなかった。



 このまま生きているうちに認められなければ、絵の道は捨てようと考えていた。


 今思えば、馬鹿なことをと思う。人生の盛りを全てつぎこんでいたのに……。


 私は七十をこえた今でも、もっと認められたい。



 いわゆる承認欲求の塊だ。


 同時にそれは才能の枯渇を示していた。


 気の長い下積み生活の中で、自分の描くものがしだいに空虚に感ぜられ――認められないから。



 四十二歳で油絵はやめた。


 金も手間もかかる――誰かに認められなければ頑張れない私は、自分のしていることに価値を見出せなくなっていた。


 年を経ればわかったはずだったのに。



 己がいかに未熟なまま美大に入り、技術一辺倒で、中身が空っぽだったこと。


 でも今は違う。アートには、自分の世界観が表される。


 想いが出る。



 それらを作品に昇華するためには、単にうまいだけの絵の技術は邪魔だった。


 そのレベルの描き手だった。


 院に入って続けていたら、何か違っていたかもしれない。



 それはわからないが――。


 なぜか未だに小器用な手作業に没頭している。


 細かい作業に手先をつかっていると、気が休まるし、それに何より楽しい。



 だからこそ続いているのだろう。


 私は私の幸福のために、ものづくりの端くれでいたかった。


 自分のつくり出したものを、喜んでもらえることがたまらなくうれしかった。



 私は職人よりの魂の持ち主だった。


 自分が根っからの芸術家でないことは、うっすらわかっていた。


 美大に入っただけで満足してしまった。それが証拠だ――。



 それ以上でも以下でもない。


 単位のためだけに大仰な絵を描き、テストをクリアした。


 アカデミックな講義はどうも性に合わないなと思い始め、人間関係も面倒だった私は、父の遺してくれたアトリエに引きこもった。



 困ったのは親族のほうだったろう。


 ただでさえつぶしがきかないという油絵学科なのに、情熱を失い、お金だけ出ていく状態は、好ましくはなく――私は耐えられなかった。


 まるで針のむしろ――そんな言い方がふさわしかったろうか。



 教員資格や学芸員の資格をとっていれば、違った道も選べたというのに、それすら怠った報いなのだろう。






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