第426話 〝止まれ〟

 キューの号令が掛かる、およそ一分程前の事──。


「──エスプロシオ、よろしく頼むわね」

『グルオォ!』

「本当に、上手くいくのかしら……」

「上手くいかなきゃ死ぬだけよ、覚悟を決めなさい」

「……ッ、えぇ、そうね……やるしか、ないのよね……」


 作戦の第一段階を担う関係上、他の面々よりも一足先に行動を開始していた二人の亜人族デミを乗せて飛び立ったエスプロシオの背で、まだ始まってすらいないというのに不安で押し潰されそうになっているポルネを、とっくに覚悟完了しているウェバリエが厳しめに勇気づけていた。


 何を今さらと思うかもしれないが、それも無理はない。


 この戦いの敗北は、そのまま終焉に直結するのだから。


 勿論、水の邪神との戦いも充分すぎる程に激しく、それこそ世界が終わってしまうのではという規模を測ってはいたものの、もしも望子を始めとした勇者一行が敗北したとして、かの存在が世界を支配出来ていたかと問われると微妙なところではある。


 何しろ、そうなった場合は〝何もせずとも己のもとへとやって来ていた筈の愛玩動物を殺された怒り〟に身を任せた魔王コアノルを相手にせねばならず、こうして眼前で振るわれている力を見ると水の邪神が容易に勝利し得たとは思えないからだ。


 しかし、だからといって必要以上に怖気付く事に何の意味も利益もないというのもまた事実であり、ウェバリエの激励は厳しくも正論でしかない──それを理解したポルネが己に対し『それ以外の道はない』と言い聞かせていた時。


『作戦──開始ッ!!』

「いくわよ、ポルネ! エスプロシオ、全力でお願い!」

「えぇ!」

『グルルルオォオオオオッ!!』


 遂にキューからの号令が掛かった事で作戦が動き出し、その第一段階である〝魔王の動きを一瞬でもいいから止める〟を遂行するべく魔力を充填、エスプロシオもまた以前にも増して鍛え上げた飛行能力で以て魔王の猛攻を回避しつつ接近していき。


「こっちよ魔王! 〝呪毒投網キャスタネット〟!!」

『往生際の悪い……』


 超絶技巧で一瞬の内に編み上げた巨大な呪毒の投網を十本の指先から発射し、わざと声を張り上げて注目を誘う事で望子たちへの注意を少しでも逸らそうとした結果、十全とまではいかずとも確かに視線をこちらへ向け、背から生えた腕の一つで振り払おうとする動作を見せる魔王。


 ……しかし、しかしだ。


(……此奴の毒が妾に通用するのも事実、一旦の回避を──)


 リエナの蒼炎と並び、明確なダメージ源となり得る呪毒を大人しく喰らってやる理由がどこにあるのかと瞬時に自問自答を終えたコアノルは、どうやら体内──もとい城内へ引っ込める事も可能であるらしく腕を収納しての回避を試みようとしたものの。


「わざわざ避けないわよね!? 害虫の一手なんて!!」

『ッ、無論じゃ! 妾を誰だと思うて──』


 奇しくも、ウェバリエの叫びは彼女に効果抜群だった。


 魔王としての自尊心プライドが、回避それを許さなかったのだ。


 ……それが、ウェバリエたちの術中であるとも知らずに。


「──〝止まれ〟ッ!!」

『ッ!?』

「! 効いてる! そのまま──」


 瞬間、フィンの〝音〟とは異なり一切の殺傷能力こそ有しておらずとも、どういう理屈か確かに魂の奥底にまで届くポルネの〝声〟を耳にした魔王の動きが急ブレーキでもかけたかの様にビタッと止まり。


 効果があると判明した上に、このまま呪毒の網で絡め取る事が出来れば〝一瞬〟どころか多大なる隙を作る事が出来る。


『何、じゃ……!? く……ッ、くおあぁぁッ!!』

「ッ、駄目だわ、ほんの一瞬しか……!」


 そう確信したウェバリエたちの高揚を無に帰すかの様に、まさしく一秒にも満たない超短時間しか魔王を縛る事は出来ないという事実を見せつけられて己の不甲斐なさに絶望するポルネとは対照的に。


「それでいいのよ、ポルネ! その一瞬が重要なの! あの子を、ミコちゃんを辿り着かせる為の隙を何としても……!」

「……そうね、そうよね……やりましょう、何度でも!」


 どこまでも覚悟が決まりきっているウェバリエは、どこまでも大切な〝妹〟の為に〝諦念〟や〝絶望〟などという負の感情の一切を切り捨てつつポルネを、何より己自身を鼓舞し。


 それを知ってか知らずか、こちらも漸く覚悟が固まったと見えるポルネも、たとえ喉が枯れても潰れても出来得る限り望子のサポートに専念する事を胸に誓い、その薄紅色の瞳に決意を宿らせていた。


 ……フィンから貰った蜂蜜入りの水玉で喉を潤しながら。

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