第386話 余裕を奪え

 あの不気味な笑みをやめさせる為には。


 望子への認識を改めさせる為には。


 魔王に、思い知らせてやる必要がある。


 愉しんでいる場合ではないのだと。


 眼前に立つのは紛れもなく勇者なのだと。


 間違っても、愛玩物ではないのだと。


 お前の命を奪いに来た、敵なのだと──。


────────────────────


 煌々と辺りを照らす蒼炎と化す火化フレアナイズ


 吹き荒ぶ黄緑色の暴風と化す風化エアロナイズ


 流動する紺色の激流と化す水化アクアナイズ


 猛々しくも美しい白龍と化す龍化ドラゴナイズ


 全てを腐敗させるカビと化す腐化モルドナイズ


 自ら世界の敵たる魔族と化す悪化イビルナイズ


 以上、禁忌之箱パンドラーズダイスに込められし六つの魔術。


 魔王に対し、『自分は敵なのだ』と思い知らせてやる為に必要な力は六つの内のいずれであるか──という簡単な疑問の答えなど。


 望子でさえ、すぐに思い至る事が出来た。


『ふぅ……っ』

(邪神の力を解いた……?)


 瞬間、望子は邪神の力を僅かに抑えつつ。


 避けられ、疎まれ、忌み嫌われて当然の。


『──……もるど、ないず……っ!!』

『何じゃ、それは──』


 カビの魔術を、身に纏う。


 最初こそ、およそ望子に相応しくない腐敗臭と、それを漂わせる原因であるところのカビに嫌悪感マシマシの貌を浮かべていた魔王だったが、次第に己の中で何かを完結させ。


『──あぁ。 成る程、成る程。 腐化モルドナイズか』

『しってる、の?』

『無論じゃとも。 妾に知らぬ魔術ちからなどない』

『……っ、でも、やるしかないから……!』


 望子の呟きが聞こえていなかったのか、それとも見るまで確定させられなかっただけなのかは不明であるが、その魔術を腐化モルドナイズと見抜いた魔王のドヤ顔に、もしかすると通用しないかもと思いつつ望子はカビを侵蝕させる。


 相手は魔王、駄目で元々だ──と。


『……ふん。 似合わん、似合わんぞミコ。 その様に汚らしい力になど頼らず、他の──』


 床を這い、壁を伝い、天井までもを蝕みながら接近する黄緑色のカビの津波に、コアノルは如何にも嫌そうな貌と声で以て、『ミコが扱うに相応しい力でかかってこんか』と苦言を呈しつつ、これまで通り薙ぎ払わんと。











 ……した。


 そう、薙ぎ払わんとした筈なのだ。


 だが、薙ぎ払おうとしたその細長い腕が。


『──っ!? な、何じゃこれは……!!』

『! きい、てる……!』


 彼女の予想に反し、じわじわなどという生易しい擬音では表しきれない程の尋常でない速度で腐敗した事により、つい先程まで笑みを湛えていたコアノルの貌は焦燥に染まる。


(仮にも勇者が行使する腐化モルドナイズ、有象無象が扱うそれとは一線を画すと思うておったが!!)


 ある程度、通用する事は覚悟していた。


 何しろ目の前の少女は仮にも召喚勇者。


 多少、薙ぎ払わんとした腕の表面にカビが生えるくらい──まぁ嫌っちゃ嫌だが──は覚悟の上で、余裕を見せる意味でも大きな力ではなく片腕だけで対処しようとした事が。


 間違いだった──……とは言い切れない。


 もしも望子の腐化モルドナイズを、コアノルが片腕だけでなく両腕、或いは両翼までもを含めて対処しようとしていたなら、まさに今そうしている様に片腕を斬り落とす事で侵蝕を防ぐといった強硬策にさえ移る事は出来なかった筈。


 最早、一線を画すどころの話ではない。


 魔王さえも当然の様に蝕み腐らせ苗床とする、あまりにも勇者らしくないその魔術に。


(いぐさんのいうとおりだ……!)


 望子は、ふと思い出していた。


 イグノールとの特訓の際の、彼の助言を。

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