第383話 緩やかな絶滅と、そして──

 ローアが魔族である事を捨てた理由。


 それは彼女が己を望子の『お友達』だと真に認めた時から、ローアの最終目標が『魔族の絶滅』へと完全に切り替わっていたから。


 ローアが闇菌蔓延ダク・バグを心臓に仕込んだ理由。


 それは三幹部同士の蠱毒の敗者が心臓を喰われたと知った時、王命だなんだと曰いながらも、それが十中八九デクストラの提言であり、それを踏まえて狙い所を予期したから。


 ……それらの理由を、ローアのたった一言でデクストラが全て察する事が出来た理由。


 それは、デクストラが王であり創造主である魔王コアノルにも劣らぬ知性と、その知性を更に飛躍させる想像力を有していたから。


「……ふ、ふ……っ」

「……?」


 だから、デクストラは身体を震わせ──。


「ふざけるな……っ、ふざけるな! ふざけるなあぁぁっ!! この私に魔族を……っ、コアノル様を滅ぼす一端を担えと!? そんな事があってなるものかぁあああああああっ!!」

「ひ……っ!?」


 最早、敬語も忘れてしまう程の苛烈な怒気を発露し、俄かに崩壊していく身体を気にかける事もなく、ローアに躙り寄らんとする。


 そう。


 闇菌蔓延ダク・バグをその身に受けたという事は、もう『魔族の絶滅』は避けられないという事。


 魔族を絶滅させるという事は、この場に居ない魔王コアノルさえ絶滅させるという事。


 引き鉄を引いたのはローアでも。


 媒体となるのはデクストラだという事。


 ……デクストラが魔王を殺すという事。


 少しばかり飛躍し過ぎかもしれない。


 だが、デクストラにとっては違う。


 あまりにも重く、あまりにも酷で。


 許容など、出来る筈がなかったのだ。


 突然の豹変に、カナタが床に固定されたままの状態で目を背けそうになっているのとは対照的に、ローアは『はっ』と一笑に付し。


「……それが貴様の本性か。 存外、醜いな」

「黙れ! 黙れ黙れ黙れえぇええええっ!!」


 おそらく死に体と呼んで差し支えない状態にある筈なのに、あくまでも優位なのは己の方だと──魔王の側近を相討ちに持ち込んだのだから強ち間違いではないが──嘲笑う。


 そんな満身創痍の嘲笑がデクストラからは余裕綽々に見えたのか、それこそ無様に床を這ってでも眼前の元同胞を始末せんとする。


 だが、そんな彼女の怒気とは裏腹に絶滅の瞬間は刻一刻と迫り、その崩壊は緩やかながらも決して止まる事なく肉体を削っていく。


 既に、デクストラを魔族たらしめる要素は褐色の肌と薄紫の双眸しかなくなってしまっている事に、デクストラは気づいていない。


 本当は気づいているのかもしれないが。


 おそらく、信じたくないのだろう。


 魔王コアノル=エルテンスという絶対的な存在に、デクストラこそが最初に魔王に連なる一族として、つまり魔族として創造していただいたという誇りを持っていたからこそ。


 そんな己が、こんな魔族としての誇りを欠片も持たぬ様な異端者に滅ぼされ、あまつさえ創造主すらも脅かしてしまうのだという受け入れ難い現実を突きつけられたからこそ。


 消えゆく腕と脚で、デクストラは這う。


 感染し切る前に術者が死んだのなら、もしかすると絶滅は己だけで済むかもしれない。


 闇菌蔓延ダク・バグの詳細をローアが秘匿していたからこその、そんな歪な希望に縋るしかなく。


 最早、死体と呼ばずして何と呼ぶのが相応しいのかも分からないローアの傍で膝立ちになり、肘から先が溶解した右腕を振り上げ。


「死ね、死んでしまえ……! そうすれば、きっと……コアノル様に、被害は、及ば──」


 微かに残った闇の魔力全てを集中させた魔力の爪を尖らせ、『最初からこうしておけばよかった』という後悔の念も込めて、ローアの首を憂いなく刎ねようとした彼女の爪は。











 ──ガキィン……ッ!


「な……っ」


 半透明かつ神々しく輝く何かに阻まれた。


 それが何なのか、などという浅い疑問を。


 デクストラが今更、抱く筈もなく──。


「聖、女……最期の、最期、まで……っ」


 それが聖女の結界だと断定し、もう半分程も溶けてしまった美しい貌を向けた先には。


「っ、断絶結界ディヴィテラ……サラーキア様の御力で覚醒した、私が使える、最上位の、結界──」

「く、そぉ……女神、までも、が……っ」


 凍った手をこちらに伸ばすカナタが居た。


 神聖祝福リーネブレスに並ぶ、カナタの新たな結界術。


 結界の外と内を完全に分断する次元の壁。


 その防御力は今までの結界術の比ではないが、それ相応の神力は消費してしまう様で。


 今度こそ意識を失い、凍った床に頬をつける形で倒れたカナタをよそに、ここに来て女神までもが邪魔をするのかという、どうしようもない怒りにデクストラが支配される中。


「……デクストラよ、消えゆく貴様に朗報をくれてやる。 我輩の牙は、闇菌蔓延ダク・バグは──」


 そんな消えかけの彼女に対し、まだしぶとく意識を保っていたローアは何やら教えてやろうと震える口を開き、一呼吸置いてから。


「──魔王様には、届かぬ」

「は……?」


 ローアの誇る絶滅の魔術が、かの恐るべき存在まで滅する事はないと明かし、ローガンの様な小賢しい知恵者に限ってそんな筈はない、まず間違いなく王に届く力へと昇華させている筈だと確信していた彼女は目を剥く。


 不本意だが、デクストラも認めてはいた。


 この異端者が己に匹敵する強者であると。


 だから信じられなかった。


 この異端者が己如きの想像の範疇に収まる訳がないと、そう確信していたからだ──。


「……同じく人化ヒューマナイズを扱える身でも、貴様やウィザウトでは考えつきもしなかったのであろうが……我輩は一度、人化ヒューマナイズを発動した状態で魔王様の殺害を、試みた事がある……」

「……!? そん、な、話は……っ」

「だが、それは失敗した……範囲内に生ける全てを魔素に変える闇素変換ダク・ブーストを粉薬に加工して葡萄酒ワインに混入、口に含んだ瞬間に発動する筈の超級魔術は、何の反応も見せなかった」


 そんな中、ローアは己の牙が魔王に決して届かぬ理由付けとして、かつて己が実際に魔王を脅かさんとした経験があると語り、そんな報告は受けていないという側近としての責務が問われる様な事実を明かす異端者に動揺が見られぬ事に、逆に動揺を露わにする中。


 残念ながら、と本当に心から口惜しげな面持ちと声音で以て殺害は失敗、魔王には何の影響もなく特にお咎めもなかった為に、デクストラまで報告が上がらなかったのではないかと補足すると、デクストラは微かに嗤い。


「当然、でしょう……? 貴女如きの魔術がコアノル様を脅かす──……事、なんて……」


 敬愛する魔王が、かの絶対強者が上級とはいえ一介の魔族の小細工で斃される事など。


 あるものか──……と。


 そう言いかけて、初めて思い至った。


 何故、初めからローガンの超級魔術がコアノル様に通用する前提で考えていたのかと。


 冷静になってみれば、そんな筈ないのに。


「そう。 つまりは、そういう事である。 我輩は結局、魔王様を害する事は出来なかった」

「なら、ば……」

「あぁ、滅ぶのは──貴様のみである」

「ふ、ふふ……ははは……っ」


 その推察は正しかったらしく、この超級魔術で絶滅する魔族はデクストラだけであるという死の宣告を受けたというのに、デクストラは何故か晴れやかな、それでいて昏く寂寥感さえ思わせる笑みを浮かべつつ上を向き。


 正確には、王の間がある方を向き。


「あぁ口惜しい……今少しで、コアノル様が憎き勇者を手中に収め、この世界を支配する瞬間を、この眼で見られたというのに……」


 もう傍でお仕えする事が出来なくなるというのもそうだが、あの幼い勇者を下した後で世界の全てを手に入れ、この世界の覇王となるコアノルの姿を、いつも脳内で思い描いていた最愛の魔王の姿を実際に見られない事を後悔しつつ、消えゆく美貌で微笑みながら。


「コアノル様……愛して、おります──」


 今際の際に、それまでは決して伝えられなかった愛の言葉を告げて──……消滅した。


「ぐ、ごほっ、がは……っ」


 翻って、ここまで『デクストラの死を見届けなければならない』という使命感に似た決意だけで命を保たせていたローアにも限界の刻が訪れ、もう血液の一滴さえ溢れぬというのに激しく咳き込んだ後、遠い目を浮かべ。


(我輩の悪運も、ここまでの様であるな……)


 異端者だ何だと呼ばれ、疎まれ、忌み嫌われながらも長く生きてきた己の生涯も、これで終わりかと思うと寂し──くはなかった。


 悔いを残さぬ様に生きてきたから。


 ただ、それは今までの話。


 望子と出逢ってから、そして『お友達』になってから、彼女には一つ──夢が出来た。


 以前の召喚勇者、舞園勇人の時には考えつきもしなかった──……魔族のままでは決して叶わない、叶えられない希望に満ちた夢。


「叶うなら、ミコ嬢……我輩も、共に──」


 人族ヒューマン、もとい人間となったこの身ならば望子が帰るべき世界へ共に向かう事も──と本気で考えていたローアは、とても悔しげに。


 成ったばかりの人族ヒューマンとしての生を終えた。


 魔王の側近、デクストラ戦。


 ローア、カナタ組の勝利。


 のち、ローア死亡。











「──死なせ、ない……っ、貴女は、こんなところで死んじゃいけないんだから……!」

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