第380話 魔族という種の驕り

 魔族である限り手が出せないのならば。


 


 言葉にすれば、それだけの事なのだが。


 実際、彼女の行動は尋常のそれではない。


 ……想像してみてほしい。


『貴方は今から人間ではなくなります』


『もう二度と人間に戻る事は出来ません』


『嫌だ? そんな事を言っても無駄ですよ』


『そうしなければ殺されるからです』


『抗う事さえ、出来ないからです』


『では、おやすみなさい。 良い夢を──』


 そんな突然の展開、納得出来るだろうか?


 普通は出来ない筈だ。


 これまでとは全く違う生物に変異するなどという異常を、そう簡単に受け入れられる方が、それこそ異常だと言わざるを得ない筈。


 彼女の場合、上述の『人間』を『魔族』に置き換える必要はあるが、概ね差異はない。


 という事を除けば。


 ──……『背水人化ネバー・ヒューマナイズ』。


 奇しくも地球の故事成語へと近づいたそれは、ローアが人族ヒューマンの街に入る際に行使していた変化系統の魔術、人化ヒューマナイズを覚醒させた力。


 正真正銘の超級魔術である。


 だが、その魔術によって術者ローアにもたらされるのは、おおよそ不利益デメリットと呼べる物ばかり。


 魔族特有の強大な魔力も、尋常ならざる再生能力も、角も、尻尾も、爪も、牙も──。


 ──その全てが失われてしまうのだから。


「何という、何という愚かな事を……!!」

「文句がお有りか?」

「当然でしょう……!?」


 それを知ってか知らずかデクストラは信じられないといった具合の声音、及び愕然とした表情のまま全身全霊でローアを否定する。


 以前、ローア自身が告げた事ではあるが。


 軽く数千を超える魔族の中で、ローアと同じく人化ヒューマナイズを扱う同胞は──……僅か二体。


 その内、一体は魔王の予備サタンズスペアウィザウト。


 尤も、ウィザウトには魔王だけが扱える筈だった超級の中の超級、闇黒死配ダク・ロウルのお陰でわざわざ人化ヒューマナイズなど使う必要もなかった様だ。


 そして、もう一体は言うまでもなく──。


 ──魔王の側近、デクストラである。


「貴女は魔族という、この世の何者にも勝る至高の種として生まれ落ちたのですよ!? それを、たった一時の激情に身を任せ……!」


 彼女もまたローアと同様、完璧に人族ヒューマンへと化ける事が可能であったからこそ、その脆弱さや愚かさ嫌と言う程に感じ取っており、ほんの僅かな時間ならばともかく、あろう事か魔族に生まれ落ちたという世界最高の優位点アドバンテージを放棄してまで己に食ってかかるなど──。


 本当に──本当に、理解出来なかった。


 しかし、そんな事はローアも承知の上。


「あまり驕るな、デクストラ」

「何を──っぐ……!」」


 魔族こそ至高、他種族など塵芥──魔族ならば抱いていて当然の思想を『驕り』と揶揄され、またも怒りを覚えるデクストラに向けて、ローアが同時行使した魔術が炸裂する。


 人族ヒューマンへと永遠に化けても、その肉体に宿る魔力は彼女が魔族であった事実を忘れていない為、闇の魔術しか扱えないのは従来通りだが、ローアの最たる力は手管の多さにあり。


 扱える魔術の数だけでいうのであれば、デクストラは勿論の事、魔王にも匹敵し得る。


 そんな無数の魔術を全て相殺しろというのは、さしものデクストラでも難易度が高く。


人族ヒューマン亜人族デミが至高だなどと曰うつもりはないが、だとしても魔族が至高の種であるとは思わぬ。 寧ろ欠陥塗れとさえ云えようぞ」

「っ!? 貴女は……!!」


 浅くない傷を負いつつも、それを即座に魔族特有の再生能力で癒す彼女に、ローアは彼女の理論を真っ向から叩き潰す旨の発言で以て否定し、その発言を耳にしたデクストラは珍しくその美貌を青ざめさせて愕然とする。


 魔族という種そのものを否定されたから。


 ──……では、ない。


「正気ですか……!? 此処は我々魔族が総本山、コアノル様の座す王城なのですよ!?」

「それが?」

「っ、この気狂いが……!!」


 正真正銘、魔王城の一角であるこの場で。


 魔王コアノルも属する──というか、その魔王コアノルが生み出した魔族という種の存在を明らかに見下す所業に愕然としたのだ。


 魔王コアノルは、この城から出られない。


 二柱の邪神の力を得ても、なお。


 封印を解く際の制約とでも言うべきか。


 その代わりに、この王城の内部で起きている全ての事象や会話は彼女に筒抜けであり。


 最早、言うまでもない事ではあるが先程までのデクストラたちの会話も筒抜けである。


 それが何を意味するかというと──。


(たかが上級一体さえ御する事の出来ない無能だと、コアノル様に失望されてしまう……!)


 まさに、デクストラが脳内で呟いている通り、ローガンという一体の上級魔族──自らも同じ上級魔族である事実は棚に上げ──すら制御出来ない無能、魔王の側近として失格だと思われてしまうという事に他ならない。


 そんな事は決して、あってはならない。


 ならば、どうするか?


 もう、とっくに決まっていた。


 もっと早くに、そうするべきだった。


「従わないなら殺すまで──闇車轟輪ダク・ドライブ

「っ、小癪な──」


 そう決意したデクストラの次なる手、鋭い刃が付いた闇の魔力の車輪を放つ上級魔術に対し、ローアは出力で劣る攻撃・防御・転移など多種多様な闇の魔術によって受け流す。


 優に百を超える拷問器具が如き形状の車輪の弾幕は、たった一撃でさえまともに食らおうものなら戦闘不能は避けられないだろう。


 砕き、防ぎ、躱す──時間にすれば、およそ一分にすら満たない二体の攻防の軍配は。


「一手、遅かった様ですね」

「く、お……っ!」


 デクストラに、上がった。


 文字通り一手、遅かったのだ。


「ローア! っ、神聖虹幻リーネバインド!!」

「ちっ……」


 コンマ一秒あるかないかの隙を突かれ、その鋭い刃で無理やり引き裂かれる様に右腕を切断された事で後退したローアを、デクストラの視界を聖なる光で潰して庇ったカナタによって戦闘は一旦の中断を余儀なくされる。


 その聖なる光に攻撃性はないものの、それだけで魔族に特効となってしまう為、漆黒の羽を大きく広げて自ら視界を遮る中にあり。


「まずは右腕……次は左腕? それとも足にしましょうか。 魔族ではなくなり、再生能力も失った今、腕一本分の優位を覆す事は──」


 足元に落ちていたローアの右腕を足蹴にしながら、デクストラは荒げずとも良く通る声で『もう勝ち目はない』と暗に告げた上で。


 たとえ降伏したとて殺す事に変わりはないが、それでも苦痛なき死くらいは与えてやるにやぶさかではないと伝えてやろうとした。


 ──その瞬間。


「出来な──……っ!?」


 彼女の言葉を遮る様にして放たれたのは。


 白と紫、二色の直線状の光線だった。


 片方は光、片方は闇の魔力を帯びており。


 どちらともが凄まじい威力を誇っている事は触れるまでもなく理解出来た為、彼女は瞬時に闇の防御魔術、闇番守己ダクシルドで以て防御し。


(片方は神聖術による光線……! しかしもう片方は明らかに闇の……! あれ程の負傷で、これ程の威力を持つ魔術を扱える筈は……!!)


 かたや聖女の神聖光雨リーネライン、かたやローガンの闇光染影ダク・レイであると見抜いた上で、あの傷の深さで上級魔術を放つ事など、いや放つ事自体は出来ても威力や精度を保つ事など幾らローガンでも不可能な筈──と困惑しかけたが。


 ……瞬間、彼女の疑問は確信に変わる。


(……いや違う、今のローガンは人族ヒューマン──)


 今のローガンは魔族ではなく人族ヒューマン


 魔族には出来ず、人族ヒューマンだから出来る事は?


 そして、ローガンの性格を鑑みれば──。


「──まさか、貴女の本当の狙いは……っ」

「く、くふふ……っ」


 人族ヒューマンへの変化を躊躇わなかった本当の理由は、デクストラへの復讐以外の何かだと気づいた彼女がそう溢す中──密やかに、されど確かに耳に届く地を這う様な嗤い声が響き。


 聖なる光が薄まった、その向こう側で。


「くぁーっはっはっはっはぁ!! これが、これが神聖術であるか! 素晴らしい、素晴らしいぞ聖女カナタ! 魔族のままでは決して体感し得ぬ文字通り神懸かった力! 細胞の一片に至るまで祝福されている様な感覚! あぁ、これを彼奴らと共有したかった物だが……!」

「っ、やはり……!」


 ローアは心からの高笑いを響かせていた。


 味方で良かったわ、と呆れた表情で呟くカナタに完全に治癒された五体満足の身体で。


 敵意が込められた力しか味わう事の出来なかった魔族の肉体を捨て、およそ非力で脆弱な人族ヒューマンと成り果てたからこそ、『弱者に寄り添う力』の筆頭である癒しの力を、その身で以て体感出来た事に歓喜していたのである。


 それを、ローアの高らかな声から察してしまったデクストラの表情たるや、その美貌が台無しだと吐き捨てざるを得ない程だった。


 つまり、ローアの本当の狙いは──。


「癒しの力を、その身に受ける事……」

「くはは、漸くか」

「っ、ふざけた真似を……!」


 ローアは、デクストラがそこそこの時間を費やして出した結論を『時既に遅し』とでも言わんばかりの嘲笑と共に肯定してみせた。


 とはいえ、それが全てでもないのだろう。


(復讐が二の次とまで言うつもりはないのでしょうが、こちらに心が傾いていたのは事実)


 実際、目の前の元同胞が自分で口にしていた『部下思いな上司』という自負は嘘ではないのだろうし、もし仮に二の次ついでだったとしても、そちらを遂げない理由はない筈であり。


 ただ単にローアの部下たちと同じく好奇心が勝ってしまっただけなのだと言ってしまえばそれまでの話──と片付ける事も出来た。


 ……が、デクストラには出来なかった。


 何故ならば、そんなローアの生き様が。


(結局、頭にあるのは好奇心の充足だけ……っ)


 己が可愛い、愛らしいと感じる生物や物体だけを手元に置きたいと欲し、その望みを叶える為なら他の全てを滅する事も厭わない。


 かの存在と、似ている様に感じたから。


 それこそが、ローアを嫌う本当の理由。


 どうしても、認められなかったのだ。


 この異端者が、魔王に似ているなどと。


「そういうところが癪に障るんですよ!!」

「我輩もだ、奇遇であるな」

「っ、黙れぇええっ!!」


 ……第二ラウンドが、幕を開ける──。

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