第377話 一瞬の、されど致命的な──

 ──カリマとて、やりたくはなかった。


 この大爆発だけでなく、フィン主導で発動させられた鸚鵡螺化石アンモナイトへの強制的な変化も。


 文字通り命を投げ打たねばならぬ程の苦痛が襲うと、理解していたからに他ならない。


 それでも、やらない選択肢はなかった。


 望子への恩義に報いる為にも。


 ポルネが無事で済む確率を上げる為にも。


 そして、何より──。











 あの恐ろしい人魚マーメイドの怒りを買わぬ為にも。


────────────────────


 あまりに規模の大きな魔力と神力の爆発。


 ともすれば城ごと崩壊しかねない程の大爆発だったが、言うまでもなく崩壊はしない。


 魔王はまだ、生きているのだから。


 それを裏付ける──訳ではなかろうが、カリマが起こした爆発の中から何かが現れた。


「がはっ、ごほ……っ!」


 当然、ラスガルドである。


 爆発の中心、鸚鵡螺化石アンモナイトが鎮座していた辺りから吹き飛ばされる形で現れた彼は無様に床を転がりこそせずとも、その爆発によって発生した煙までは無力化し切れず咳き込み。


(自爆とは……! だが大した威力ではない、おそらくは魔力と神力の混成……配分調節が今一つなのは私が与えた一撃によるものか──)


 とはいえ脳内での呟き通りに、ラスガルドは大した痛痒も傷も負っておりず、それこそ思考を爆発に込められた魔力や神力の分析に回すくらいの余裕はあった──……のだが。


 思考する余裕があったという事は。


 思考に時間を割いてしまったという事。


 決定的な、隙を見せてしまったという事。


 時間にしてみれば、ほんの一瞬の──。


 ──……されど、あまりに致命的な隙。


 彼女はそれを見逃す様な間抜けではない。


 何しろ彼女は──……いや、フィンは。


 この瞬間をこそ、待っていたのだから。


「っ!?」


 その時、ラスガルドが背後から先の爆発とは比べ物にならない程の強大かつ凶悪で、それでいてどこか神聖さを思わせる魔力と神力を感じ取り、そちらへ勢いよく振り向くと。


『伝い、導き、波よ打て──弁財天ベンザイテン

「な……っ!!」


 そこでは既に、ウルの火之迦具土ヒノカグツチやハピの大鷦鷯命オオササギに並ぶ三体のぬいぐるみたちが誇る最後の切り札たる『知らぬ筈の神の名を冠する大技』、弁財天ベンザイテンを起動したフィンが居た。


 フィンが口にした『そっちなんだ』という発言の真意は、『漆黒の雷雲に乗じて、カリマを狙ったなら自爆させて決定的な隙を。 自分を狙ったならそのまま反撃を』という、あらかじめ考えていた二通りの策の、より可能性が薄いと思っていた方が実ったが故の言。


 要は文字通り、どちらでも良かったのだ。


 どちらでも、最後の一撃リーサルに繋がるから。


 一方で、ラスガルドは言葉を失っていた。


 恐怖や混乱によるもの──……ではない。


(何と、神々しい姿か……っ)


 そう。


 眼前に揺蕩う巨大かつ獰猛な外見の海竜モササウルスの姿に、ラスガルドは目を奪われていたのだ。


 それもその筈、以前の戦いで彼が見た時とは何もかもが異なっており、その最たるものはやはり白と黒、紺碧と薄紫とが奇妙に入り混じり、まるで体表の色彩そのものが意思を持ち蠢いているかの如き異様な姿にあった。


 勿論それだけではなく、その歪で凶悪な牙が生え揃った大きな口から自然に漏れ出る魔力や神力一つ取っても尋常のそれではない。


 並の魔族ならば、この場で意識を保ち続ける事さえ難しいだろうという海竜モササウルスの覇気。


 彼女こそが女神なのだ、と説かれても納得しかねない程の神々しさが、確かにあった。


 それでも、ラスガルドは堂々としていた。


 ほんの一瞬とはいえ致命的な隙を晒し、フィンの変化を許してしまったものの、もう今の彼には一分いちぶの隙も存在せぬと断言出来る。


 これも偏に魔王への忠誠心によるものか。


 それとも──。


『時間切れも待たずに姿を見せた、。 だから特別に拝ませたげよう、対魔王用に取って置く筈だったこの一撃を。 、ラスガルド』

「……! その、科白は──」


 そんな中、既に存在ごと海竜モササウルスと化していたフィンは、──そしてラスガルドからしてみれば、言葉を含みに含む科白を吐き、それを耳にした彼は全てを察していた。


 あの時、意識を朦朧とさせながらも歯向かってきた様に見えていたフィンは、おそらく音を操る力で彼の声を鼓膜を通じて脳内に保存し、こうして挑発に利用したのだろうと。


 ……寸分違わぬ大正解であった。


 大正解では、あったのだが。


(……いや、その様な些末な事などもうどうでもいい。 今はただ、最期の最期に斯様な強者と死合えた事に……そして、その機会を与えてくれた魔王様と……フィン、お前にも──)


 正直、今の彼には一人の武人として今際の際に最強の相手と戦えた事に対する幸運と。


 その幸運に巡り合わせてくれた己の主人かつ創造主たる魔王コアノルと、そして何よりフィンへの空よりも高く海よりも深い──。


(──感謝を)


 感謝の意を、抱かずにはいられなかった。


 今ならば、かの生ける災害リビングカラミティの狂気さえ。


 欠片程度とはいえ、理解出来る気がした。


「望むところだ、フィン! 来るがいい!!」

いさぎよーし! せーの──』


 そして彼は覚悟を決め、もう間もなくフィンが放ってくるであろう攻撃に備え出し、それを見たフィンもまた彼の覚悟に呼応する様に『せーの』なんて軽い調子で充填を開始。


 勿論、充填そのものは全く軽くはない。


『ゴォオオオオオオオオ……ッ』


 寧ろ重厚、空間どころか城ごと震わせる様な魔力と神力の圧が海竜モササウルスの口に集束する中。


 ラスガルドもまた最後の一撃リーサルを放つべく。


「『我が身はやいば!! よろずを裂き、よろずを薙ぎ、よろずを貫く一刀は、相剋そうこくさえも拒絶する!!』」


 かつてフィンを相手に放った闇如翼劔ダクウィンガルの時とは違い、その両翼を立ち昇る闇の魔力と共に両腕に纏わせながら詠唱する彼の身体は。


 次第に、その鋭利で極大な鋒を海竜モササウルスの方へ向ける漆黒の大剣を模した魔力の塊と化す。


 彼にしか扱えない、その超級魔術の名は。


『ゴギャアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』

「いざ、参る!! 『闇黒剛刃ダク・シェイド』!!」


 瞬間、充填が完了した海竜モササウルスの口から放たれた紺碧と薄紫に彩られた爆音波に呼応し、ラスガルドが誇る最後の切り札、闇黒剛刃ダク・シェイドを発動させ──二つの力が轟音と共に衝突する。


 これが勇者と魔王の力の衝突と言われても過言ではない程の衝撃に、決して崩壊せぬ筈の城が音を立て軋んでいる様にも感じる中。


「ぐ、う……っ、お、おぉおおおお──」


 相剋を拒絶するとは言ったものの、やはり実際には激しい押し合いになってはいたが。


 あれ程の力量差がありながら、こうして一方的に押し負けていないだけでも充分と言えなくもなく、せめて一太刀とあくまで魔王への忠誠心を崩す様子のない彼の聴覚に──。


 ──ぱちんっ。


「……!?」


 という、が届いた。


(何だ、今の音は──)


 弁財天ベンザイテンによる爆音波と闇黒剛刃ダク・シェイドによる極大の斬撃を帯びた光線が犇めき合い、それこそ並の人族ヒューマン亜人族デミや魔族であれば、その轟音だけで意識を奪われかねない程の喧噪の中。


 確かに彼の鼓膜を叩いたその音の正体を。


 最悪の形で思い知らされる事となる。


 それもその筈、彼の最後の一撃リーサルが──。


「──……!? な、にが……っ!?」


 より大きな破裂音と共にはじけたからだ。


 によって。


 これこそが弁財天ベンザイテンの持つ力。


 これまで彼女が得意としていた激流による攻撃ではなく、あくまでも爆音波によって発生する空気の壁による圧力と、その場に居合わせた生物の肉と骨と血液、細胞の一片に至るまでの全てを強く振動させて破裂させる。


 無論、魔力や神力も例外ではない。


 既に発動させた魔術であっても関係なく。


 他の何より爆音波に触れていた闇黒剛刃ダク・シェイドが真っ先に、ぱちんと音を立て破裂したのだ。


 だが、それは始まりに過ぎなかった。


 終わりへと向かう、始まりに──。


「ぐ、あ"ぁぁ……っ!?」


 破裂するのは闇黒剛刃ダク・シェイドだけではなく。


 当然、ラスガルドも逃れられはしない。


 指から腕に、腕から翼に、翼から胴に、胴から脚に──そして顔にまで破裂の予兆となる表皮の膨張が発生した時点で彼は悟った。


 自らの凄惨な敗北と死の訪れを。


 しかし、不思議と彼の心中に後悔はない。


 一度は潰えたと思っていた命を仮初とはいえ拾った挙句、同胞たる幹部たちの命を喰らって真の意味で蘇りまでして、フィンという絶対強者相手に全力をぶつける事が出来た。


(……そうだ、悔いなど残ろう筈もない──)


 これで後悔が残るなどと曰えば、きっと同じ様に敗北を喫してしまうだろうイグノールやウィザウトに面目が立たないではないか。


 だから、これで良かったのだ。


 この戦いの末に、かの恐るべき存在が世界の支配者として君臨してくれれば、これで。


 だから、彼の遺言はもう決まっていた。


 あの時は苦し紛れに叫んだが、今は違う。


 魔族特有の昏さと、それでいて好青年が如き晴れやかさを兼ね備えた遺恨なき笑みで。


「……魔王様、に……栄光、あれ──」


 静かに、されど力ある声音で呟いた瞬間。


 細胞の一片も遺さず破裂した彼の死を見届けた後、何かを噛み締める様に瞳を閉じて。


『……疲れた。 後はカリマを治して、っと」


 フィンは緩やかに恐化きょうかを解除しつつ、この先で待つ望子に想いを馳せながら、ひとまずカリマの介抱を優先する事にしたのだった。


 魔王軍幹部、漆黒の剛刃ブラックシェイド・ラスガルド戦。


 フィン、カリマ組の勝利──……のち


 カリマ、戦闘不能。

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