第366話 予備なんて二つ名は、きっと

 残っているかどうかさえ定かではない、ウィザウトの意識に向かって声を届ける──。


 それは、ヒドラと近しい存在であったポルネやカリマからの確信とも呼べる憶測があって初めて成立した、あの時の策とは異なり。


 全く以て不確かだと言わざるを得ない。


 ましてや今回、ポルネの為に時間を稼いでくれるのは──……ハピ、たった一人だけ。


 全なる邪神には敵わずとも、この状態のウィザウトも充分過ぎる程に脅威なのは事実。


 討伐は勿論、時間稼ぎとて容易ではない。


 だが、それでも他に妙案はなく。


 あの時と同じ様に──……いや、あの時よりも更に身体を張り命を賭して時間を稼ぐ。


 ウルの様に、極大な火力は有しておらず。


 フィンの様に、ドス黒い殺意を何度も何度も抱いた事がある訳でもない、ハピにしか。


 その役目を果たせる者は居ないのだから。


────────────────────


(──なんて、言ってみたりして。 ちょっと気負い過ぎかしらね? 私らしくなかったかも)


 と、ここまでは全て無駄に格好つけた説明口調にアレンジしたハピの思考の一部始終。


 こうして多少なり巫山戯た思考でもしなければ、やってられない程の無数の触手の猛攻を前に、ハピは思わず溜息をつきながらも。


『ギィイ"! ギュイ"ィア"ァ!!』

『──危な……っ、ちょっと思考に耽る事も

許してくれないって訳ね? 上等じゃないの』

『ギ、ギィィ……ッ?』


 絹の如くきめ細かい肌に当たるか当たらないかのスレスレで触手を掻い潜り、それらがポルネの方へ向かわぬ様にと常に極寒の冷気を放って一本一本の動きを鈍化させていく。


 実力は下級以下でも知力は間違いなく上級のそれであった以前のウィザウトなら、すぐさま異常を察知して対処せんと試みた筈だ。


 たとえ、対処するに足る力がなくとも。


 しかし今、彼女の意識や精神は完全に行方不明となっており、かつては聡明であった筈の知力も当然ながら完全に消え失せている。


 故に、どうして触手や身体自体の動きが鈍くなっているのかなど理解出来る訳もなく。


 そもそも、理解しようとさえしていない。


 これなら、ハピの冷気で身体全体を凍てつかせてしまう事も不可能ではないかもしれない──……と、そう思いたいのは山々だが。


『グルルルッ? ギャア! ギィハハハハ!!』

『……ま、そう上手くはいかないわよね』


 まるでハピの尽力を嘲笑うかの様に、ウィザウトだった魔合獣キメラは肉塊の中心にある不気味な口を開けて嗤い、『バキンッ』と無理やり触手や身体に張り付いた氷を引き剥がし。


 おそらくは鈍化していたという事実にさえ気づかぬまま、ハピの第一の策を打破する。


(大丈夫、まだまだやれる事はあるもの)


 だが勿論、『第一』と称している事からも分かる様にハピが立てた策は一つではない。


(……出来るなら、は使いたくないけれど)


 その中には先程の鈍化より時間を稼ぐ事が出来るだろうというものもあるが、もし可能ならその策は行使せず終わらせたいらしい。


 何しろ、その策とやらをハピ自身──。


 ──ただの一度も試した事がないからだ。


 その一方、全てを託されたポルネは。


(……こうやって冷静になってみると、どんな言葉をかけたらいいのかすら分からないわね)


 ヒドラの時は何を言われずとも自然に言葉が溢れてきたものだが、これといって近しくも親しくもなければ共通点がある訳でもない魔王軍幹部に対し、どう呼びかけるべきなのかと頭を悩ませるところから始まっており。


(焦っちゃ駄目。 冷静に、冷静に僅かな情報からでも分析していけば、きっと最適解が──)


 時間がないからと焦れば焦る程、思考が狭まっていくという事を充分に理解していた彼女は、ローアから得た魔王の予備サタンズスペアについてのごく僅かな情報を基に分析をし始めて──。


 ──から、およそ二分が経過した時。


(っ、そろそろ決めないと……あの時と同じやり方じゃあ何の意味もないでしょうし、もっと心からウィザウトの立場になって考え──)


 たった二分とはいえ結構なダメージを受けている様にも見えるハピの姿に、いくら何でも焦りを抱き始めていたポルネは、ぶんぶんと首を横に振ってから思考を切り替え、あの肉塊が魔王軍幹部という立場にある事を改めて念頭に置いて、再び思案し始めたその時。


「ウィザウトの、立場……っ、そうだわ」


 ここで、何かに気がついた。


 ウィザウトの立場、要は幹部でありながら下級にさえ劣る力しかなかったという事実。


 そこに突破口が見えた気がしたのである。


(もしも私が魔族で、上級なのに下級以下の力しかなくて、それなのに何らかの唯一性を見出されたばかりに幹部にさせられて、そのせいで仲間から白い目で見られたり、って……)


 ポルネは脳内で、もし自分がウィザウトと同じ境遇に立たされたとしたらという架空の立場に立って思考すると共に、もしウィザウトが幹部と成ったせいで冷遇されていたとしたら、という知らない内に辿り着いていた陰惨な事実に己を当て嵌めてみたところ──。


 ──……無理だ、と結論づけた。


(……私なら、そんなの耐えられない。 もしそうなっても私にはカリマが居るけど、ウィザウトにはそういう存在さえ居なかったのよね)


 まぁカリマが居てもいいなら大丈夫かもしれないが、そうでないなら無理だと結論づけた以上、恋人はおろか仲間や友人、頼れる上司さえ居なかった筈のウィザウトを思うと。


 たとえ魔族相手でも辛い気持ちにはなる。


(あの時は聞きそびれたけれど、おそらく唯一性っていうのは魔王に関わる何か。 そうじゃなきゃ魔王の予備サタンズスペアなんて呼ばれる筈ないもの)


 加えて、あの時ローアが言いかけていた筈の、ウィザウトが持っていたという何らかのとは、おそらく魔王由来の物であり。


 そうでもなければ、そんな二つ名をつけられる訳がない──と確信に近い推測を立て。


 同時に、ポルネは彼女に同情の意を抱く。


 魔王のサタンズ、という枕詞があったとしても。


 予備スペア、である事には何ら変わりなく。


 その様な二つ名は、きっと──。


(──……きっと、不名誉だった筈よ)


 不名誉で、不条理で──不本意だった筈。


 少なくとも自分なら、そんなのは嫌だ。


 そういう結論に辿り着いたポルネは。


 少しだけ、ほんの少しだけ前に歩み出て。


 スゥッ、と一呼吸置いてから──。










『──……ね、ウィザウト』


 声の力、とやらを自覚している訳ではないが、それでも何とか自分なりに力を込めるつもりで発した、これまで彼女が口にしたどんなものとも異なる声色での声かけに対して。


『……ギ?』

『っ!』


 魔合獣キメラが──……否、確かに反応した事を察したハピも攻撃の手を止め。


 一旦、全てをポルネを任せる事にする。


 せっかく冷気以外の要因で動きを鈍らせてくれたのだから、ここで追撃しない手はないと思うかもしれないが──それは出来ない。


(……目、思いっきり合っちゃってるし)


 ハピが脳内で呟いた通り、ウィザウトの身体や触手の表面に埋め込まれていた数十近くもある不気味な目玉の幾つかが、まだハピを敵と定めて視線を外していなかったからだ。


 だから、ここはポルネに任せる。


 元々、この戦いの主役は彼女なのだから。


『せっかく上級だったのに、いざ戦ってみれば下級以下。 考えてみれば残酷な話よね。 ねぇ、どんな気持ち? 、上級魔族さん』

『ギュ、オ"ォ……ッ』

『それから追い討ちをかけるみたいに貴女の唯一性が露見して、あろう事か幹部昇格。 魔王や同胞からも、きっと冷遇されてたんでしょう? そうじゃなきゃ、そんな姿に魔改造マスタムされる筈ないものね。 そんな醜い骨肉の塊に』

『ァグ、ギャガァ……ッ!』


 そんなハピの考えを知ってか知らずか、ポルネは自分の口の滑りが加速度的に良くなってきている事も自覚せぬまま、ただ只管に。


 ……ウィザウトを、


 そう、ポルネが選んだのは──……挑発。


 かの者の心に訴えかけるという意味では同じでも、ヒドラの時とは互いの親密度も取り巻く状況も何もかもが違う、それ故の選択。


 煽って嗤って嘲って、ウィザウトが秘めていた筈の、秘めていなければおかしい筈の。


 怒りを、怨みを、悔しさを引き摺り出す。


『でも結局、貴女の価値はそんな姿になっても何も変わらない。 どこまでいっても──』


 そして、ポルネはとどめとばかりに八本の触脚をうねうねと動かして肉塊に近寄って。


『──予備スペアなのよ』


 全身全霊の嘲笑と共に、そう告げた。


『……ッ!! グ、ウ"ゥ……ッ!!』

『……一旦、離れましょ』

「えっ? あっ、そ、そうよね」


 そんな渾身の煽りを受けた肉塊に何らかの異変が起き始めた事を察したハピが、あまりに集中しすぎて接近しすぎな自分にさえ気づいていないポルネを掴んで引き離す一方で。


『……グッ、ギグ……ッ、ダ、ダマ──』

『「……?」』


 大きく歪なその口に生えた凶悪な牙でギリギリ歯軋りし、どう見ても何かを解き放とうとしていた肉塊が、つい先程まででは発していなかった筈の『だ』とか『ま』とかの言葉にならない言葉に違和感を抱いたその瞬間。


『──黙レェエ"ェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!』

『「……っ!?」』


 ビリビリ、と部屋全体を軋ませる程の叫びを──……そう、単なる咆哮ではなく意味を持つ叫びを肉塊が、もといウィザウトが上げた事により二人は気圧されこそしたものの。


『……っいや、驚いてる場合じゃない! ポルネ! ウィザウトが言葉を、咆哮や奇声以外の言葉を発した! 多分……いいえ、きっと!』

「えぇ! 届いたのよね!? 私の声──」


 どうやら策が成功したらしい、と理解したハピが希望に満ちた表情でポルネを見遣り。


 それに応じたポルネが、はっきり言って半信半疑だった『声の力』とやらが本当だったのだと確信出来た事で安堵の意を示そうと。











 ……したのに。











「──が、は……っ?」

『!? ポルネ!?』


 それは、叶わなかった。


 これまでとは比べ物にならない程の速度を見せた触手が、ポルネの腹を貫いたからだ。


 ハピはすぐさま触手を切断しようと試みるも、そうするまでもなく触手は戻っていく。


 そして、肉塊は次第に姿形を変えていき。


 先程までの大きく歪な口を中心に形成された、おそらくウィザウトがまだ普通の魔族だった頃のものだろう巨大な女性魔族の上半身だけが肥大化した肉塊の中から姿を現して。


『ダ、レ、黙レェ!! 何、ガ分カ、何ガ分カルゥ!? オ前ラニ何ガ、私ノォ!! 私、弱クナ、弱グナイ! 私、ハ! ウィザウト! マオッ、グン! 幹部ダァア"ァアアアアッ!!!』

『……届きすぎちゃったみたいね』


 支離滅裂ではあるものの何とか聞き取れなくはない、ウィザウトの怒りと怨みと悔しさに満ちた叫びを聞いて、ハピは少し悔いる。


 何事も、やりすぎは良くないな──と。

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