第365話 居ても居なくても同じだった

 そもそもウィザウトが幹部と成ったのは。


 魔王やその側近、三幹部から末端の全てに至るまで、およそ数万近くの個体が居ても。


 唯一、魔王コアノル=エルテンスのみが使用を可能とした超級魔術──闇黒死配ダクロウルを、どういう因果か彼女が使えてしまったからだ。


 それは、あらゆる生物の脳を介して表層と深層の二つの心理を巧みに操るどころか、命を持たない筈の無機物や概念さえ操作する。


 魔力・神力・寿命・時間・運命──。


 ひとたび闇黒死配ダクロウルの影響下に堕ちてしまったが最後、全てが術者の思うがままとなる。


 しかし、そんな理不尽とも呼べる力を生まれつき手にした代償なのか、ウィザウトは上級にも拘らず魔力も身体能力も下級クラス。


 いや、下級クラスと呼ぶのも烏滸がましい程に弱く、それこそ三幹部の一角として祭り上げられた後も同胞たちからの扱いは──。


 ──……


 闇黒死配ダクロウルが使えるのは確かに凄い。


 だが、それを使っていいのはコアノルかデクストラが『使え』と命じた時のみであり。


 そうでない時は全てにおいて下級に劣る。


 そんな幹部もどきを、同胞たちは居ても居なくても同じ──まさに空気として扱った。


 すれ違っても挨拶どころか目も合わせず。


 力だけは秀でていても知力が欠けていたイグノールはともかく、ウィザウトと同じく幹部のラスガルドには報告しても、ウィザウトは無視というのが暗黙の了解であったのだ。


 対照的に、デクストラからは『無能な役立たずが』と鞭打たれる事もあったが、存在そのものを無として扱われるよりはマシ、とそう思う者も居るだろうという程の冷遇ぶり。


 挙句の果てには千年前、召喚勇者による魔王コアノルを含めた全魔族の封印を唯一、彼女だけが快く受け入れていたのだとか──。


 そして漸く解放されたかと思えば、あろう事か千年後に魔王コアノルが封印を解除し。


 ウィザウトを含めた全ての魔族を解放。


 三幹部には、すぐさまデクストラを通して魔王からの指令が下り、ウィザウトは火光かぎろいを始末する為にとガナシア大陸に送り込まれ。


 百年もの時間を費やしておいて失敗し、またしても魔王や側近の不興を買った彼女を待ち受けていたのは、かつてローアが洞穴内で魔蟲に施していた魔改造マスタムの強制という末路。


 文字通り心臓こころの無い魔合獣キメラが完成した──。


────────────────────


 ──氷の壁を砕かれてから更に数分後。


 戦いを始めた時よりは、ハピ・ポルネ両名共に冷静な思考が出来ており、ただ防ぐだけでなく僅かな隙を見つけては反撃を試み、それが失敗しても焦る事なく次の行動に移る。


 漸く、まともに戦闘が成立してきた中で。


 ハピが、を思いつく──。


『──本当にもう、意識はないのかしら。 完全に打てど響かずって感じじゃないし、もしかしたら呼びかけ方次第で止まったり……』

「え……?」


 ウィザウトが肉塊に至るまでの過程を知る由もない筈のハピの口から飛び出たのは、あの様な姿に堕とされた魔族の意識の有無を確認したいと言わんばかりの発言であり、それを耳にしたポルネは一瞬、思考を固めたが。


「……それは……ない、んじゃないの? だって、もう心臓を喰われてるのよ? 意識も何も死んでるんだから、そんなの気にする──」


 そもそもの話、既にウィザウトは敗者として勝者に心臓喰われているのだから、そこに心や意識など存在する筈もないし、この状況下でそんな事を気にかける必要が一体どこにあるというのかと正論をぶつけようとした。











 ──……その時。


「……必、要は──……あ、れ……?」

『貴女も気がついた?』


 ここで、ポルネが何かに思い至った。


 それは奇しくもハピが脳内に描いた『とある策』とほぼ同じものであり、その事を直感的に察したハピは我が意を得たりと微笑む。


「届くかどうかも分からない相手に、声を届ける──……これって、と同じ……」

『そういう事ね』


 そう。


 正確に言うと状況的には少し異なるが、あの時──つまりは全なる邪神の素体となってしまった水の邪神を引き剥がす際に、かの存在と最も近しいポルネが喉を裂いてでも声を届け続けた、あの時の状況を再現しようと思えば出来るのではないかと言っているのだ。


 言いたい事は分かる──……分かるが。


「っ、でも無理よ! あの時とは違う! あの幹部と私は近しくも親しくもないじゃない!」

『……そうね、その通りよ。 けれど──』


 全なる邪神との戦いでは、ポルネがヒドラから生み出された近しい存在であり、もっと言えば親、或いは恩人と慕った相手だから声も届いたのだと理解しているからこそ、もう同じ手は通用しない筈だと首を横に振った。


 言われてみなくてもその通りなのはハピも理解していたものの、どうやらその無理を覆すに足る何かに気がついているらしく──。


『──私、異世界ここで起きた全ての事に意味があると思ってるのよ。 望子が勇者として喚ばれた事にも、ぬいぐるみ私たち亜人族デミになった事にも意味があった。 だからきっと、貴女が私についてきてくれた事にも意味がある筈よ』

「何を、言って……」


 そもそもの前提として、ハピは『この世の全ての事象に意味がある』という持論を有しており、それは望子が先代勇者の娘として召喚された事や、ただのぬいぐるみが先代勇者の力と現代勇者の力を借りて亜人族デミとなった事を踏まえても正論の筈であり、きっとポルネがここに居る事にも意味があると語るも。


 突然、何を語り始めたのか──今この瞬間も無数の触手が襲ってきているのに──と理解が及ばないポルネは眉を顰めるしかない。


 しかし、そんなポルネに対してハピはあくまでも冷静に彼女の薄紅色の瞳を見つめて。


『……全なる邪神との戦いを経たお陰かしらね。 貴女の中で──が目覚めてるわ』

「……声?」


 かの全なる邪神との激闘の後、全てを視通す翠緑の瞳でポルネを視ていた時に気がついたという、ポルネの中で密かに目覚めていた新たな力──『声の力』について言及した。


 無論、声が何だというのかと疑問に思うのは当然である為、ハピは未だ勢い衰えぬ触手の猛攻を極寒の竜巻で鈍らせつつ語り出す。


『フィンの音とは似て非なる力。 一見すると声でも戦えるあのの下位互換に思えるけれど、おそらくが違う。 貴女の声には──』


 それは一見、音でも声でも水と共に自在に操る事が出来る人魚、フィンの完全下位互換とも呼べる力だが、フィンのそれがあくまでも『望子の敵を討ち払う為の力』であるのに対し、ポルネのそれには別の役割があるとハピは告げ、その役割についても既に見当がついているのか、そう言ってから一呼吸置き。


『──相手の心の奥底にある本音を引き出す力があるのよ、まるで恩恵ギフト真偽トルフルみたいに』

「私の声に、恩恵ギフトの様な力が……?」


 ポルネの声には、フィンはおろか望子やカナタ、魔王コアノルや勇人にさえ無い限りなく真偽トルフルに近い力が、嘘偽りない相手の本心や本音を曝け出させる力があるのだと告げる。


 確かに、もしポルネの声に真偽トルフルにも等しい力があって、それがウィザウトの心に届いたならば、もしかすると理不尽にも魔合獣キメラにされた怨みから止まってくれるかもしれない。


 ……だが、それはあくまでウィザウトの心が心臓を喰われた今でも残っていればの話。


 もっと言うと、ポルネの声が届けばの話。


『だから、この戦いは貴女に託す。 全なる邪神との戦いの時と同じ様に、貴女の声が届くその時まで私が時間を稼ぐわ。 いいわね?』

「でも、今回はローアが居ないわ!」


 だからこそ、あの戦いと同じ様にハピが可能な限り時間を稼ぎ、ポルネに己の役割を全うしてもらう──と伝えたつもりだったが。


 今回は、ローアが居ない。


 確かに、それはそうだ。


 あの戦いでは、ローアが展開した超級魔術である闇呑清濁ダクドランクを利用したからこそ、ある程度の時間短縮や能率化を図れており、そうでなけれ全なる邪神を討滅するまでの過程で本当に世界の半分近くは消し飛んでいた筈で。


 ハピと自分、二人だけではあまりに効率が悪く、はっきり言って現実的ではないという正論を包み隠さずぶつけようとしたものの。


『それも、大丈夫。 があるから』

「……本当、に?」

『えぇ、だからお願い。 力を貸して」

「……っ」


 それについても、ポルネの不安を解決するに足るだけの策があるから問題ない、とそれこそ望子に向ける様な優しい笑みを向けて頼み込んでくるハピに──ポルネは、折れた。


「……分かったわよ! どうせやらなきゃやられるんでしょ!? やってやろうじゃない!」

『その意気よ。 よろしくね、

「っ、えぇ!」


 相棒──なんて呼ばれ方に戸惑いながら。

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