第360話 最後の扉の奥で待つ
そして最後は、フィンとカリマ。
討伐対象は、
魔王軍が誇る幹部の筆頭であり、コアノルを除けばデクストラと並び魔王軍最強の男。
そして先述した二体の幹部の有り様から。
必然的に三幹部による蠱毒を勝ち抜いたのは、このラスガルドという事になる筈──。
「──……ふうゥ……ッ」
「? 緊張してんの?」
「そりャ、なァ……」
──と、あらかじめ知れていれば良かったのだろうが、ハピならともかくカリマにそれが出来る筈もなく、どうにも強張りが抜けない表情で深呼吸する彼女とは違い、フィンの表情や声音からは慢心も緊張も全く感じず。
「寧ろ、オマエは何でそンな余裕なンだ?」
「ん? んー、まぁ……」
逆に、どうしてフィンには微塵も焦燥感が見られないのかという抱いて当然の疑問をぶつけたところ、フィンは視線を前方へ移し。
「分かってるからかな。 この奥で待ってるラスガルドが、イグノールと──……あの、何とかっていう幹部を殺して生き残ったって」
「……はッ? な、何で……!」
あろう事か、もう既に幹部同士の戦いにおける生き残りが、つまりは他二体の心臓を喰らった勝者が、この先で待つラスガルドだと知っているからこそ、カリマよりは冷静でいられるのだと告げてきたフィンに、カリマは思わず開いた口が塞がらなくなってしまう。
何しろ、それを分かっていたのなら──。
「忘れた? ボク、耳がいいんだよ。 扉の奥だろうが何だろうが鼓動くらい聞こえるから」
「だッたら、それ教えてやりャよかッたじャねェかよ! すぐに分かる事たァいえよォ!」
扉を開ける前から持ち前の超聴覚で分かっていたのなら、どうせ扉の先で分かる事だとは言っても、その重要極まる情報を共有するくらいの時間はあった筈だ、と正論を吐く。
実際、確かに他の二組は扉をくぐり抜けてすぐ、『少なくとも、この奥で待つ幹部は敗者だ』と視覚、或いは嗅覚で把握しており。
一見すると、わざわざ教えてやる意味はなかったかも──と思っても無理はないのだ。
「せっかくの決意と覚悟に水を差したくなかったからね、これも信頼の証ってやつだよ」
「な、何だそりャ……訳分かンねェ……」
しかし、どうやらフィンとしては単純に一行の決意や覚悟、或いは程良い緊張感に水を差すのは違う気がしたからという何とも根拠のない理由づけに、カリマが如何にも呆れて物も言えないという具合に溜息をつく一方。
「けど、じャあそうか……あの野郎は、イグノールは敗けた上に心臓まで喰われたのか」
ラスガルドが勝者だという事実は、ここまで仮にも望子の同盟者(アライアンス》だったイグノールが敗者となったという事実を認めなければならないという事でもあり、カリマ自身は特段イグノールと交流があった訳ではないものの、ほんの少しの寂寥感に襲われていたらしいが。
「自業自得だよ。 死にたくないなら、喰われたくないなら敗けなきゃ良かったんだから」
「まァ、そりャそうなンだろうが──」
死にたくないなら敗けなければいい、喰われたくないなら敗けなければいい、と如何にも強者らしい厳しめの発言と共に『ざまぁないね』と嘲笑うフィンに、まぁ理解出来なくもないがとカリマが視線を前方に戻した時。
──シュボッ!
「──ッ!? 何だ!? 燭台に火が……ッ!」
扉を開けた先に続いていた長い長い廊下の壁に等間隔で取り付けられていた燭台に、ほぼ同時に一瞬で薄紫の妖しい光を放つ火が着き、カナタの神聖術が及ばず未だ暗闇となっていた範囲までボンヤリと見える様になり。
「……カリマ、あれ見て」
「あ!? あれッて──」
その影響で、フィンの視界に映ったらしい何かを指差しながらそちらを見る様にと告げてきた彼女に従い、カリマがそちら──どのみち向かうつもりだった奥へ視線を向ける。
……そこに居たのは。
長々とした廊下の奥、行き止まりとなっていた広間の最奥に置かれた漆黒の玉座に、さも己こそが王であると言わんばかりの覇気を纏い、その手に持った真紅の液体が滴る漆黒の大剣を床に突き立てたまま腰掛ける魔族。
何一つ知らなければ、まず間違いなく彼の者こそが魔王だと思い違ってしまうだろうという、その存在を遠目に視認したカリマは。
「──……おい、もしかしなくても……」
もしかすると──いや、もしかしなくとも彼の者こそが自分たちを待ち受ける者、魔王の側近と並ぶ魔王軍最高戦力、三幹部筆頭。
「──うん。 あいつが、ラスガルドだよ」
「ッ、覚悟してたとは言ッてもよ……!」
ラスガルドだ、と神妙な面持ちと声音で肯定しながら臨戦態勢に移るフィンに釣られてカリマも己の触脚を青白く光らせるが、やはり完全には怯えが抜け切れていないらしい。
それも無理はないだろう、これまで彼女が出会ってきた強者たちの中にはラスガルドを優に超える者も居たものの──全なる邪神が良い例だ──イグノールとウィザウトの心臓を喰らった今の彼はデクストラをも超えた。
最も魔王に近い力を持つ存在なのだから。
フィンが冷静に、カリマが僅かな恐怖と共に臨戦態勢を整え終えた──……その瞬間。
「……久しいな、
「……ッ!」
まだ中々の距離があるというのに、まるで脳に直接声をかけられたかの様に全身を貫く低い声音は、フィンとの再会を本当に心から望んでいて、そして喜ばしく思っているのだと、ほぼ外様のカリマでさえも理解出来て。
「ボクは
「ふっ、そう言うな──」
そんな彼からの言葉に対し、どうせ伝わらないと分かっていても『会う』や『逢う』では正しくない──正しい訳がないと決め打って災害か何かと同じ扱いをした事を、どうやらラスガルドは見抜いた上で微笑を湛える。
まるで好敵手同士のやりとりであるかの様な、その会話を耳にしていてもなお緊張感が抜けない──抜ける筈がなかったカリマに。
「──……さて、そこな
「ッ、何、だよ」
突如、ラスガルドが種族名で以て声をかけてきた事により、カリマは頬を伝う冷や汗を拭う事さえせず言葉に詰まりながらも返答。
「私の目的はただ一つ、フィンとの再戦。 故に貴様に用はない。 介入しないと誓えるのならば危害は加えん。 これは──……警告だ」
「……ッ、あ……」
そして彼から告げられたのは、あくまでもフィンとの再戦だけを望んでいる以上、他者の横槍など求めておらず、もし心から誓えるというのなら見逃してやってもいいと警告したラスガルドの覇気に、カリマは萎縮する。
……覚悟は、してきた筈なのに。
「ボクはどっちでもいいよ、カリマ。 その程度の覚悟で参戦されても邪魔なだけだから」
「……アタ、シは──」
そんな彼女の心境を、うるさいくらいの鼓動で見抜いてか、フィンからはあまりにも厳しく突き放す様な言葉をかけられてしまい。
時間としては数秒程、俯いたまま沈黙を貫いていたカリマだったが、その後すぐに勢いよく顔を上げ、そこに挑発的な笑みを湛え。
「……はッ、ははは! 馬鹿言ッてンじャねェよ! アタシは、
「……へぇ」
「良かろう。 では始めようか」
己の誇りを護る為、再会を誓った恋人との約束を果たす為、親と慕った邪神の遺言に従う為、何より一足先に城へ向かった筈の愛らしい勇者の力となる為、退くなんて選択肢は最初からない──と震える声音で叫んだ彼女に、フィンは僅かにとはいえ感心を覚えた。
フィンにとってカリマやポルネは、どうやっても己の下の弱者でしかなかったからだ。
しかし、そんなカリマの覚悟もラスガルドにとっては最初で最後の慈悲を無碍にされたという事になるのだが、特に態度も崩さず。
「恐るべき魔王、コアノル=エルテンス様の片腕。 魔王軍幹部が筆頭、
その意気や良し、と玉座から立ち上がった彼は改めて己が仕える王の名と、その王より賜った役職と二つ名を口にすると共に──。
「──……ラスガルド。 いざ、参らん」
「やッてやる! やッてやるぜェええッ!!」
「今度こそ、ボクの手で……っ!!」
──戦いの始まりを、二人に告げた。
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