第358話 聖女と側近、数ヶ月ぶりの再会

 レプターが力尽きて何某かに抱えられていた時、一行と別行動を取らされていた聖女。


 カナタの現状はと言えば──。


 侍女長と共に転移した後、自分の瞳にも神聖術を付与していたお陰で暗闇を見通す事が出来ていたカナタの視界には、かつてのルニア王国の王城と同程度かそれ以上の広さと絢爛さを誇りながらも、やはりと言うべきか全てが漆黒に染まった部屋へと通されており。


「──……ここは、どの辺りなんですか?」


 ここが魔王城のどこかだという事は理解していたが、さりとて正確な場所まで分かろう筈もなく、具体的にはどの辺りに位置する部屋なのかとおそるおそる聞いてみたところ。


「……ここは魔王様の側近たるデクストラ様の執務室でございます。 位置としては……」


 こうして通された部屋は何を隠そう、デクストラの為に用意された彼女の執務室である様で、ここで戦闘を行えそうな程に広くもある部屋を見渡しつつ侍女長は顎に指を当て。


「おおよそ、辺りでしょうか」

「えっ? じゃ、じゃあ、すぐ上に……!」


 おおよそ、ではあるが魔王の座す玉座が存在する王の間の真下に位置するらしく、という事はと咄嗟に顔を天井へ向けたカナタに。


「……えぇ、たった一つ上の階に居られますよ。 魔王様と、あの愛らしい召喚勇者様は」

「……っ、行っちゃ、駄目なんですよね?」

「デクストラ様が来られるまで、お待ちを」

「……はい」


 あっさりと肯定の意を示した事で、その勢いのまま一階上の王の間まですぐにでも向かいたくなっていたカナタだったが、まぁ言うまでもなく拒否された為、椅子に座り直す。


 それから、ルニアの王城でも出されなかった程の高級な茶葉を用いた紅茶を嗜みつつ。


 およそ十五分程が経過した後、執務室の絢爛かつ堅牢な扉が音も立てずに口を開ける。


「──お待たせしました、聖女カナタ様」

「……っ!!」


 そこから姿を現したのは当然ながらデクストラであり、そのあまりにも美しい外見と流麗かつ恭しい仕草にカナタは思わず硬直し。


 されど、ここは紛う事なき敵陣であり目の前に立つのは世界の敵たる魔王の側近なのだと奮い立ち、椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がりながら臨戦態勢に移り、魔方陣を展開。


「そして、お久しぶりです。 ルニア王国王城の宝物庫にてお会いして以来でしょうか?」

「……っ、そう、ね。 それより──」


 しかし、そんなカナタとは対照的にデクストラは至って冷静な様子で彼女の横を通り過ぎてから執務用の椅子に座りつつ、『あれから色々ありましたね、お互い』とまるで世間話でもする様な声音で話しかけた事で、カナタも少しだけ平静を取り戻して姿勢を正し。


「……私に、話があるって聞いたわ」

「……えぇ。 えぇ、そうなのです」


 そもそもの呼ばれた理由、『個人的に話がある』という言葉の真意を問う為に声をかけるやいなや、デクストラの表情に僅かながら残っていた昏い笑みが完全に鳴りを潜める。


 そして侍女長が淹れた紅茶を飲み干した彼女は、『ふー……』と浅く溜息をつきつつ。


「……ずっと、考えていたのですよ。 それこそ数ヶ月程前から。 何故コアノル様が、あの様な少女に興味を惹かれてしまわれたのか」

「……何の、話を……」


 まるで聖女であるカナタを前に懺悔するかの様に、ここ数ヶ月の間で溜め続けていたらしい望子への忸怩たる思いを吐露し始めたデクストラに、カナタが困惑しきっている中。


「確かに、あの少女は可憐です。 それは認めましょう。 それと同時に、コアノル様が常日頃からお求めになられている『可愛い物』の中でも群を抜いているという事も認めます」


 望子という少女が、コアノルの好みに突き刺さる容姿をしている事や、これまで拾い集めてきた蒐集物の中では頭一つ抜けて愛らしいという事を認めはしているらしいが、その割に彼女の表情には不満の色しか見えない。


「それ故、コアノル様に非はありません。 また、ミコ様を責める事も難しいでしょう。 あれはもう──コアノル様のですので」

「っ、そんな勝手な──」


 その後、望子の愛らしさを魔王だけでなく自分までもが認めている以上、魔王は当然の事ながら、その所有物であり愛玩動物ペットでもある望子にも非はないと言うデクストラに、カナタは再び敵意を剥き出して神聖術を纏う。


 あの三体のぬいぐるみなら、きっと怒りを露わにするだろうし──と、そう思っての発露だったが当のデクストラは態度を崩さず。


「──ではカナタ様。 私の中で燻るこのは誰にぶつければ良いとお思いで?」

「……仄暗い、感情?」


 寧ろ、どんどん昏くなっていく声音で以て自らの心の奥底に煤の如く溜まる、その黒く澱んだ感情の捌け口を探していたところだったと呟くも、その感情とやらがどういった物なのか知らないカナタは問い返すしかない。


 すると、デクストラは一呼吸置いてから。


「……ここで一つ、はっきりさせておきましょうか。 私は、コアノル様をお慕いしております。 王と側近、創造主と創造物──それらの絶対的な垣根があろうと関係なく、です」

「……!」


 仄暗い感情──それは、側近から魔王への一方的かつ邪な恋慕であり、お互いの関係を鑑みれば抱くべきではないそれを千年以上もの間、抱き続けているという側近の激情と執着に、カナタは驚きつつも僅かに感心する。


 カナタ自身、誰かに恋愛感情を抱いた事がないからというのもそうだが、およそ千年という想像もつかない程の長い年数、叶う筈のない想いを胸に秘めるというのは一体──。


 といった事を考えていたカナタをよそに。


「故に私は──……あの少女が憎い。 ただ愛らしいというだけで、コアノル様の寵愛を一手に受けようとしている、あの召喚勇者が」

「そんなの、あの子には──っ!?」


 突如、紅茶を飲み干し終えた後の高級そうな黒い陶器のカップが前触れもなく彼女の手の中で粉微塵になると同時に、まるでそのカップが辿った末路を望子にも辿らせたいとでも言わんばかりに望子への憎悪を露わにし。


 そんな側近の突然の変化を垣間見たカナタが、『そんなの、あの子には関係ないじゃない』とデクストラから身勝手な憎悪を向けられているらしい望子を庇う様な発言をしようとしたが、それはデクストラが一瞬で彼女の背後へ転移してみせた事で遮られてしまう。


「関係ない、と? いいえ、こうして元の世界とは異なる世界に足を踏み入れ、コアノル様の元を訪れている以上、関係ある筈ですよ」

「それは、あの子が勇者ってだけの──」


 そして、カナタが何を主張しようとしていたのかを読んでいたデクストラは、関係ないなどという事が罷り通ってたまるかと吐き捨て、だとしてもそれは望子が勇者だからというだけのではと反論せんとした。


 ……が、しかし。


「──そう、ですよ」

「え──っく、う……!?」


 デクストラは、まるでその言葉こそを待っていたのだとばかりに笑みを浮かべつつ、その瞬間も臨戦態勢は解いていなかった筈のカナタの肩にあっさりと手を置き、その事実にもデクストラの言葉にも疑問符しか浮かんでこないカナタは二の句を待つ事しか出来ず。


 呆然とするしかないカナタに対し、デクストラは手を払わせる事も距離を取らせる事も許さずに、万力の様な力で肩を掴みながら。


は、この世界に足を踏み入れたばかりに勇者となった。 そして勇者と魔王は表裏一体、邂逅は必然。 勇者でさえなければ、コアノル様との接点などなかった筈なのに──」

「……っ、何が、言いたいの……」


 そもそも元の世界に居た時から、その血統により勇者の適性があった望子という可憐な少女は、この世界に召喚されてしまったが為に勇者として覚醒したという事実に加えて。


 魔王が居るから勇者が生まれ、勇者が居るから魔王が生まれるという、表裏一体の関係にある二つの存在が出逢う事は避けられず。


 あの少女が勇者でさえ、勇者でさえなければと悔いる様に歯噛みするデクストラの手で肩が砕け、それを神聖術で即座に治癒しながらもカナタが彼女の真意を問うた、その時。


「あれをのは──誰ですか?」

「……ぇ?」

「もう少し分かりやすくしましょうか。 あれを、のは──誰ですか?」

「……まさ、か……っ」


 舞園望子という地球生まれ日本育ちの八歳の女の子を異世界に召喚し、その可憐な少女の魂の奥底に眠っていた先代勇者の力を呼び起こし──こちらは不可抗力だが──勇者として覚醒させた直接的な原因は誰にあるのかという質問に、カナタは漸く真意を察する。


 国王陛下の命であったとはいえ王国の罪なき人々を犠牲にし、あの少女を喚び出して。


 魔王討伐などという責を負わせ、その勇者という大きすぎる肩書きを与えたのは──?


「そう、貴女です。 貴女があれを召喚したが為に、あれは勇者となったのですよ。 人族ヒューマンに希望をだの何だのと曰って。 違いますか?」

「それ、は……」

「故に私は決めたのですよ。 あの少女を殺せないのなら、代わりに貴女を殺そう──と」

「っ、話っていうのは……!」

「えぇ、そろそろ始めましょう──」


 そう、他でもない聖女カナタであった。


 魔王を咎めるつもりは元よりなく、あの少女に手が出せない以上、原因となった聖女を始末する事で鬱憤を晴らす──それこそが彼女が言う『個人的な話』だったのだと理解したカナタが戦慄する中、開戦宣告と共にデクストラは対神力特化の鞭、神縛りリ・バウンドを手にし。


「──恐るべき魔王、コアノル=エルテンス様が手にする世界に聖女あなたは必要ありません」

「……!!」


 これまでカナタが相対してきたどの強者たちとも異なる──強いて言えば、あの狐人ワーフォックスに似ているか──圧倒的かつ妖艶な強者の気配に、カナタは気圧されつつも拳を握って。


「っ、受けて立つわ! 貴女を倒す事が、きっとあの子の未来に繋がるんだから……っ!」


 望子の為に命を使い潰すと決めた以上、きっと今この場所が命の使い所だと判断し、その聖なる力を未だかつてない程に放出する。


 もし戦いに勝てずとも、せめて目の前の魔族を無力化するくらいは出来る様に──と。

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