第357話 仇となった結界

 レプターの身に起きた、突然の不調──。


 ──否、不調などという次元ではない。


 手足は痺れ、目は霞み、呼吸も整わず。


 漸く息を吸えたと思いきや、その後に口から出てくるのは少なくない量の深紅の液体。


 満身創痍、という表現の方が近いだろう。


(何だ!? 何が、起こった……!?)


 つい先程まで完全に自分が優勢だった筈なのに──と、困惑と混乱の極みに陥りながらも彼女は何とか頭を働かせて原因を考える。


 ……知らぬ間に毒でも盛られたか?


 真っ先に思い浮かんだのは、それだ。


 しかし、それはありえない。


 レプターが、この世界でもトップクラスに致死率の高い蜘蛛人アラクネの劇毒を龍如吸引ドラガサクスという武技アーツで吸収し経験を持ち、その影響であらゆる毒物への完全耐性を得ているからである。


 勿論、蜘蛛人アラクネの劇毒を上回る毒なのかもしれないが──……そう頭を悩ませていた時。


「やっと効いたか? ったくよ、まさか龍人ドラゴニュートにゃ効かねぇのかと思ってヒヤヒヤしたぜ」

「何の、話だ……っ」


 いつの間にか眼前まで歩いてきていたジオが、まるでレプターの身に起きた異常の原因は自分にあるとでも言いたげな発言と共に昏い笑みを浮かべているのを見た彼女は、その意図が掴めずただ問い返す事しか出来ない。


 すると、ジオはレプターの金色の長髪を雑に掴んで無理やり目線を合わせてから──。


「呪いだよ、俺らにかけられたのと同じな」

「……!? 何故、私が──」


 今、レプターの身を一瞬にして満身創痍にまで陥らせた要因は、ジオたち執行部隊エクスキューショナーを蝕む呪いと同じ物であると告げてきたが、そんな簡素な説明で納得出来る筈もなかった。


 何しろ呪いとは術者と被術者が揃っていなければならず、ジオたちが受けている呪いの術者が魔王の側近であるというのなら、その場に居なかった彼女が呪いを受ける事など。


 有り得ない──……とは、言えなかった。


 心当たりが、あったからだ。


「──……まさか、今までの爆発で……!」

「あぁそうだ、そいつは伝染すんだよ」


 その心当たり、つまり先程までの魔族たちの爆発に呪いを伝播させる何かが含まれていたのではと口にした途端、ジオは口を歪め。


 デクストラの呪いは、空気中の闇の魔素を伝って広がっていくのだとあっさりバラす。


 もし、レプターが一言之守パラディナイトを展開せずに戦っていたなら、もう少し状況は良くなっていたかもしれないが、あの時の事を考えれば結界を張らないという選択肢は最初からなく。


 されど、レプターが良かれと思って展開した結界が仇となったのも、また事実だった。


 結界内に呪いを充満させてしまったのだ。


 ちなみに、レプターが魔族たちの様に爆発せず、こうして膝をつき震える身体で吐血しているのは、ただ単に『衝撃を与えるか逃亡を図れば爆発する』という呪いが魔族にだけ適用される物であったから──というだけ。


 また、レプターなら龍如吸引ドラガサクスで呪いを吸い込んでの無力化も可能なのではと思うかもしれないが、もう何となく分かるだろう──。


 武技アーツどころか、まともな呼吸さえもままならないのだから、その手段は取れないのだ。


「ま、本当のとこはもっと早く効く想定だったんだがな。 最強種のテメェはともかく、あの亜人族なりそこない共にも効きが悪かったみてぇだし」

「被害は、およそ六百。 上々かと」


 加えて、ジオたちの想定としては六百体もの犠牲を出さずとも、それこそ最初の爆発で全員に伝染してもいいと考えていた様だが。


 残念ながら、そう上手くいかなかったというのが現実ではあったものの、それでも六百体程度の犠牲で済んだなら充分だろうと部下が結論づける中、ジオが何気なく口にした。


「かもなぁ。 ま、テメェらも

「「「はっ!」」」

「な、に……!?」


 演技ご苦労──という言葉を聞き流す事など出来る筈もなく、レプターが目を剥いたのも束の間、ジオはドサッと音を立ててレプターの髪から手を離して地面に落としてから。


「あぁ勘違いすんなよ? 演技っつっても、テメェが俺らより強ぇのは事実だ。 ただ──」


 わざとらしく首を横に振り、あまつさえ両手まで肩の上の方へ上げつつ『演技』についてを語り出し、あくまで彼我の実力差自体に変わりはないが、重要なのはそこではなく。


「──ゴミにはゴミなりの使い道が、んで雑魚には雑魚なりの戦い方ってのがあんだよ」


 必要以上に慄き、レプターからは雑兵の集まりにしか見えない様にする事で、これまでの爆発の全てを『窮鼠の一噛み』と思い込ませ、その特攻が彼女にとって何ら脅威にならないと誤認させる事が目的だったと明かす。


 レプターは、まんまと引っかかったのだ。


 ただ、ここで一つ新たな疑問が浮かぶ。


「……っ、魔王や、その側近への陰口も、貴様らの作戦の一つだったと言うのか……?」

「あ? あぁ、まぁ有り体に言やぁそうだな」


 あれ程の憎悪や侮蔑を込めた魔王や側近への悪口、及びそれらを欠片も敬う様子を見せないあの態度さえ、その全てが執行部隊エクスキューショナーたちの策に過ぎなかったのかと問うたところ。


 ジオは、まぁあっさりと肯定してみせる。


 そもそも、この世界を生きるどの様な種族にも『主人』や『長』に対する忠誠心はあるが、その中でも魔族のそれは尋常ではない。


 何しろ、主人と創造主が同じ存在なのだ。


 魔王に逆らうという事は、それ即ち自らが魔族という種である事実を捨てる事となる。


 これは全ての個体に共通する認識である。


 故にこそ、あの二体は異端なのだ。


 生ける災害リビングカラミティと、研究中毒者リサーチジャンキーの二体は。


 ……まぁ、とはいえ。


「あのクソ側近への敵対心ヘイトは事実だがな」

「ジオ様、その辺りで……」

「あぁ分かってるっての」


 デクストラがムカつく奴だという事は演技でも何でもなかった様だが、もし彼女に聞かれでもしたらと部下に諌められたジオは舌を打ちつつ、その黒い羽を広げて飛び上がり。


「さぁ、くだらねぇ問答は終わりにしようぜ龍人ドラゴニュート。 多勢に無勢もいいとこだが、お強く寛大な騎士様なら──許してくれるよな?」

「……っ! 上、等だ……!!」


 そもそも最初の最初から多勢に無勢だったというのに、さも今この瞬間から本当の戦いが始まるとでも言いたげに、そして彼女が清廉潔白な騎士であると分かった上で煽り、それを受けたレプターは鉛の様に重く感じる身体を枝の様に頼りなく感じる手足で動かし。


 その金色の瞳の奥に宿す覚悟と決意だけは変わらぬまま、途切れ途切れに言葉を返す。


 たとえ虚勢だと見抜かれているとしても。


「待たせて悪ぃな野郎共ぉ!! 思い上がった蜥蜴を道連れにしてやろうじゃねぇか!!」

「「「っ! うおぉおおおおっ!!!」」」


 そして、ジオは最後の一手だとばかりに全員を鼓舞するべく戦槍斧を高く掲げ、どうせ死ぬなら魔王様にあの龍人ドラゴニュートの命を捧げようじゃないか、と魔族という種の忠誠心を利用して後押しし、それを分かっていてもなお種族の特性か昂らずにいられない彼らの声に。


(道連れか……それもいいだろう、だが──)


 道連れ、という本来なら彼女が望む訳もない最期でさえ受け入れかねない程に追い詰められている事を自覚しつつ、それでも彼らで見えない漆黒の城で待つ少女に思いを馳せ。


 傷ついた肺で、思い切り息を吸ってから。


「私はレプター! レプター=カンタレス! 偉大なる蜥蜴人リザードマンの族長の娘にして、愛らしくも勇敢なる勇者ミコ様の剣にして盾! あの方の輝かしい未来の為、貴様らを屠る者だ!!」

「悪くねぇ口上だ! さぁ開戦と──」


 かつて蜥蜴人リザードマンだった時も、そして龍人ドラゴニュートに進化した今も騎士としての志だけは何一つ変わらない、あの幼くも勇敢な勇者の為なら命を捨てる事も厭わない──そんな覚悟を感じたジオもまた、それに応える様に腕を掲げ。


 まだ千体以上も残っている執行部隊エクスキューショナーによる蹂躙が今、幕を開けようとしていた──。











 ──その、瞬間。


 ジオは自らの後方から途方もない程の熱を感じると同時に、いつか何処かで垣間見た様なが視界の両端に映った事で驚愕し。


「──っ!? 何、だ……!?」


 滞空したまま勢いよく振り向くと。


 そこには──。


「……は? お、おい……?」

「今の、は……っ」


 ──……何も、なかった。


 何もないというのは比喩でも何でもなく。


 つい数秒前までそこに居た筈の千体を優に超える執行部隊エクスキューショナーが、ただの一体も居らず。


 先程の蒼い光──いや、熱を感じたという事はだったのかもしれないが、その影響でカナタが払っていない闇までもが晴れ。


 戦闘中は黒の軍勢でその姿を拝む事が出来なかった漆黒の城も、しっかり見えていた。


「……おい、おい!! 何だよ、何がどうなった!? テメェが何かしやがったのかぁ!?」

「……私では、ない」

「んだとぉ!? 他に誰が──」


 そんな突然の異常事態にはジオも、つい先程までの笑みを崩さざるを得ない様で、この死にかけの龍人ドラゴニュートにそんな事が出来る筈はないと思いつつも決死の表情で叫ぶが、レプターは何か訳知りといった具合に首を振って。


 他に誰が居るってんだ──と、そう叫びながらレプターにとどめを刺すべく、ジオが大きく羽を広げて降下体勢に入ろうとした時。


「──……貴様の背後に、答えがある」

「はっ!?」


 震える手と声で彼女が示しのは、ジオではなく彼の背後であり、まさか本当に他の誰かが居るのか──と驚いて振り向いた先には。


 ……確かに、誰かが居た。


 先程、振り向いた時には居なかった筈の。


「……て、テメェは確か、あん時の──」


 かつては、ジオも一度だけ遭遇した事があった、かの召喚勇者にさえ匹敵する強さを持っていたという、蒼炎を纏いし最強の──。


 ──という過去を言葉にする間もなく。


 跡形一つ残さず、ジオは焼失した。


 千体を超える執行部隊エクスキューショナーと同じ様に──。


 そして、その何某かは今この瞬間も呪いで死に近づき続けているレプターの傍に降り。


「……まさか、こんなところで再会とは」


 元々長身のレプターよりも更に背が高く。


 それでいて艶やかさは微塵も損なわれていないその姿に最早、見覚えしかなかったレプターからの再会を喜ばしく思う旨の言葉に。


『──、──?』


 何某かは、心から案ずる様に声をかける。


 大丈夫か? ──という様な声を。


 勿論、彼女は大丈夫などではない。


 確認するまでもない事だ。


 しかし、レプターは今にも崩れ落ちそうな身体で一歩、また一歩と城がある方へ進み。


「あぁ、問題、ない……私はミコ様の、剣にして、盾……魔族の、呪い、程度、で──」


 最早、誰に聞かせる訳でもない虚勢を張って、ゆっくりゆっくりと死の大地を自らの血で赤く染め──十数秒後、糸が切れた様に。


「……ぅ……」


 死の大地へと倒れ伏しかけたレプターを。


『──……』


 何某かは、そっと抱きとめ──微笑んだ。


 後は任せて、ゆっくり休むといい──。


 ──そう言い聞かせんばかりに。

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