第353話 姿も口調も幼い理由

 ──……出された物は残さず食べる。


 望子は母から、そう教わった。


 だから、そんな事よりも優先すべき事があると分かっていながらもデザートを食べる。


 それを教えてくれた母は人間ではなく。


 その事実を、ずっと明かさずに隠していたのだと判明してもなお、その教えは拭えず。


 結局、綺麗に食べ終えた。


 地球でいうところのパフェ的なものを。


 その後、食事が終わった事で糧食部隊レーショナーや侍女たちが片付けをしつつ、締めのドリンクとして望子に果汁ジュースを、コアノルに白葡萄酒ワインを注いだ彼ら、もしくは彼女らは王の間を去り。


 こうして今、王の間に残ったのは──。


「果汁で良いのか? ミコ。 遠慮などせず酒でも何でも浴びる様に呑んでよいのじゃぞ」

『わたしは、まだこどもだから……おさけとたばこは、おとなになってから、って……』

「ふむ、何とも窮屈な世界じゃの」

「……」


 まるで久しぶりに顔を合わせた親戚の様な距離感で会話する望子とコアノル、それを無表情で見守るデクストラのみとなっていた。


「……さて。 そろそろ本題といこうかの、ミコよ。 其方の母の素性についての話じゃな」

『うん……にんげん、じゃないんだよね?』


 その後、白葡萄酒を呑み干したコアノルからの『本題』を聞く前に、覚悟を決める意味でも再び確認したかったのだろう望子からの問いに、コアノルは『うむ』と首肯し──。


「先程も言うた通りに彼奴は女神、四大元素を司る女神どもが謙る唯一の存在じゃった」

『へりくだる……?』

「あー……最も偉い女神だったのじゃ」

『そう、なんだ……』


 先刻も伝えた事だが、改めて望子の母親が女神であるという事実と、この世界で最上位に位置づけられる筈の四大元素を司る女神たちさえ逆らえない最高神だったと補足した。


 彼女が有していた権能、契約ちぎりの力とは。


 生物、非生物を問わず契約を結んだ相手の潜在能力を理外を超えて引き出す事にある。


 小さな短刀が大樹をも両断する斬れ味を持つ様になり、手の平程の小盾が原種の突進さえ不動で防ぎ、生まれ落ちたばかりの赤子がそれらの武具を手足の如く扱える様になる。


 まさしく、神の御業であったそうだ。


 では、その対象が召喚勇者だったならば?


 刃物を持てば陸も海も空をも割り、防具を纏えば遍く災厄を退ける事まで可能となる。


 尤も、そんな文字通りの神懸かった力を授かっていた勇人と素の状態で互角以上の戦いを繰り広げていたコアノルもまた異質──。


 まさしく、この世界の異分子だったのだ。


 そんな彼女が、ジュノの顔を見たのは。


 ……千年前、たった一度だけ。


 召喚勇者の仲間たちや当時の聖女が有象無象や魔王軍幹部筆頭、魔王の側近といった者たちとの戦いを繰り広げる中、唯一コアノルと相対する勇人と契約ちぎりを結んだ存在こそが。


 女神ジュノであったのだ。


 正直、勇人だけなら勝てた戦いだった。


 だが、ジュノと勇人が契約ちぎりを結んだ──つまりは婚姻を結んだ事によって勇人の召喚勇者としての力は更に増し、あろう事か己の棲家たる魔王城さえ魂魄付与ソウルシェアで利用され、コアノルは遂に敗北し、封印される事となった。


 おそらくは当時の聖女によって──というよりは聖女に契約ちぎりという形で力を与えたジュノが、どこまでも清廉潔白な勇人に惹かれたが為に勇人とも契約ちぎりを結んだのだろうとコアノルは推測し、ジュノさえいなければと当時は激昂したものだが、それももう後の祭り。


 しかし、せめてもの抵抗として勇人にかけた呪いにより、こうして勇人とはまた違う愛らしいと召喚勇者とまみえられた上に、あの時見たジュノの麗しい顔を娘の失踪という形で崩せたと考えれば溜飲も下がるというもの。


 ましてや、今のジュノはもう──。


 と、なるだけ望子にも分かりやすい様にと語ったコアノルの昔話に、もう黙って聞くか僅かに頷くかしか出来なかった望子に対し。


「……例えばじゃ、ミコよ──」


 今度こそ本題に──地球へ帰還しても望子に居場所はないという事実の証明を始めようとするコアノルは、そもそもの前提として。


「──神に、『寿命』があると思うか?」

『……じゅ、みょう?』

「生まれ、死ぬまでの年数の事じゃよ」

『……ぇ? ない、の?』

「ない。 彼奴らは永遠を生きておる」

『……?』


 神々に寿命などという概念が存在すると思うかという問いに、『寿命とは?』と首をかしげる望子に庇護欲をそそられつつも、『神に寿命はない』と断言するコアノルに望子は永遠というものを理解出来ずに困惑しきる。


 千年でさえ曖昧なのだから、無理はない。


「そして其方は女神の娘。 人間の血も混じっておるとはいえ、その実態は『半神人デミゴッド』。 神と人とが交わる事でのみ生まれる存在じゃ」

『でみ……』


 そんな望子に愛らしさを感じながらも、ここで時間をかけすぎるのも不味いだろうと判断したコアノルは、ジュノに続いて望子の正体をも神と人の愛し子──半神人デミゴッドと明かす。


 デミ──という響きだけは仲間たちの影響で頭に深く残っていた望子の呟きは流され。


「其方の寿命は一般的な人間の物とはかけ離れておる。 六十年の寿命を持つ生物と、六百年の寿命を持つ生物の成長が平等である筈がない。 其方の姿や口調が同年代の童どもと比べて幼いのは、そういった事情がある故よ」


 更に、イグノールやデクストラ──言葉にこそしていないがローアまでもが疑問に感じていた『過剰なくらいの望子の幼さ』についても、その原因は寿命にあったのだと語る。


 望子がこちらの世界における同年代の少年少女と交流したのは、ほんの数回しかない。


 それでも確かに、『すらすら話せていいなぁ』とか『何で私だけ、こんなに背が低いんだろう』とか望子自身も思ってはいたのだ。


 ……そんな風に頭では分かっていても、実行出来ない事実を歯痒く思ってもいたのだ。


 原因が分かっただけマシと思うべきか。


 いや、それよりも──。


 結局、自分はどれくらい生きるのだろう。


 百年くらいなら望子でも想像はつく。


 百五十年──……まぁ、それでも分かる。


 それ以上となると、もう想像はつかない。


「其方の寿命は、そうじゃの──……おおよそじゃが、といったところか」

『……せん、ねん……?』


 そう考えていた望子に対し、コアノルは何の気なしに『千年』という普通の人間ではありえないにも程がある途方も年数を口にし。


 それを受けた望子は最早、焦点が合わなくなる程に頭がぐらついてしまっているのに。


「こちらの世界における人族ヒューマンの寿命が六十から八十年、人間も大差ない筈じゃ。 つまり其方は一万年もの間、孤独に生きる事となる」

『ずっと、ひとりで……? そんなの……』


 そこへ追い討ちをかけるかの如く、あちらにおける人間に相当する人族ヒューマンの寿命を例に挙げ、おそらく人間も同程度の寿命しかない筈だという確信めいた推測を基に、最低でも一万年は一人で生きる事になると告げられる。


 ……まぁ当然と言えば当然かもしれない。


 いつまでも老けない人間なんていないし。


 いるとしたら、それは人間ではないから。


 しかし、ここで望子の頭に豆電球が出現。


 ……した様に見えただけだが、それより。


『……っ、でも! おかあさんだってながいきするんでしょ!? それなら、わたしも──』


 母が本当に女神だというのなら、それこそ寿命などという概念に囚われず、自分を一人になんてしない筈だと幼いなりに主張する。


 ……主張、しようとしたのだ。


「残念じゃがの、ミコ。 今の彼奴に女神としての力など欠片程も残されてはおらん筈よ」

『な、なんで……っ』


 だが、そんな望子からの精一杯の主張はあっさりと否定され、あろう事か現在のジュノは女神ですらない単なる人間であり、まず間違いなく寿命も定められている筈と語るコアノルに、納得いかないとばかりに縋る望子。


 とはいえ、コアノルにも言い分はある。


「仮に、仮にじゃぞ? もしも、まだ彼奴が女神として力を振るえるのなら──……とうに其方を取り返しに来ておる筈。 違うかの?」


 もし仮に、ジュノが未だ女神としての力を維持していたのならば、ここに居る望子を取り返しに来ないのはおかしいし、むざむざと異世界への召喚を許す筈がないと正論を述べたまではいいものの──それは悪手だった。


『……ぅ、うぅぅ……っ』

「あ、あぁすまぬ、泣かせるつもりはなかったのじゃが……ほら、よしよし──……と」


 少し前に父親と邂逅した時よりマシであるものの、うるっと涙目になって泣き始めた望子を見て焦りを覚えたコアノルは、よしよしと望子の綺麗な黒髪を堪能しつつも撫でながら、ぽんぽんと背中を優しく叩いてあやす。


 まるで本当の親子か何かである様に──。


「……っ」


 ……その光景を見ていた魔王の側近が、それこそ血涙でも流さんばかりに整った顔を歪めていたものの──まぁ、それはさておき。


 コアノルは、その柔和な笑みを崩さぬままに、この瞬間だけは自分たちと同じく薄紫となっている望子と視線を合わせ──そして。


「……のぅ、ミコよ。 これらの事実を踏まえた上で問おう──こちらの世界で妾と共に悠久の時を過ごす方が有意義だと思わぬか?」

『……っ!』

「其方が真に妾の物となるなら、この瞬間も我が城に向かって来ておる其方の仲間も害さぬと約束しよう──……さぁ、どうする?」

『……』


 望子とは比較にならない程の昏く妖しい力を持つ瞳と声で以て、望子を誘惑し始める。


 ……それは、まさに悪魔の囁きだった。


 母に会いたい、元の世界に帰りたいという一心で頑張ってきた望子への、『もう頑張らなくてもいい』と堕落へ誘う魔王の言葉に。


『……わた、しは──』


 望子が口にした、その答えとは──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る