第352話 頑張ってきたのに
──……望子は、これまで頑張ってきた。
八歳の少女とは思えないくらいに。
尤も父親は先代の召喚勇者であり、ただの子供ではなかったという事もあろうが、それを差し引いても望子なりに頑張ってきた筈。
しかし、それは偏に──
魔王の口から、『魔王を斃せば元の世界に戻る事が出来る』という確証を得た後、実際に魔王を討伐して地球へと帰還する為──。
……だったのに。
『──……いばしょが、ない……?』
仮に魔王を斃して元の世界への帰還が叶ったところで、その世界に望子の居場所はないなどという絶望的な事実──事実かどうかさえまだ分からないが──を突きつけられた望子は、ぐらりと揺れる視界の中でそう呟く。
望子は、その為に頑張ってきたのに。
最愛の母の元へ帰る為に頑張って──。
──……母の、元へ?
『……わたしには、おかあさんがいる。 なのに、どうしてわたしのいばしょがないの?』
そう、それは八歳児でさえ気づく違和感。
元の世界には望子の母──
柚乃が居る場所が、望子の居場所の筈。
なのに何故、望子の居場所がないのか?
……ここで望子は、
『……あっ? も、もしかして……おかあさんも、こっちにきてるの……!? それで──』
もしや柚乃も自分と同じ様に、こちらの世界に誰かの手によって召喚されており、そのせいで自分の居場所がないのかと推測する。
実際、望子もこうして異世界に召喚されているのだし、かつての召喚勇者の妻であるという柚乃が召喚されてもおかしくない──。
望子の年齢で、そう推測する事が出来たのは、ほぼ奇跡と呼んで差し支えないだろう。
だが、しかし。
「──いや?
『えっ? ぁ、そ、そうなんだ──』
そんな望子の願望にも近い推測は、コアノルによってあっさりと否定されてしまい、あまりに何でもない事であるかの様な声色であったせいで、その違和感に気づかなかった。
あくまでも、すぐには──だったが。
『──……ぇ?』
「ん?」
『あれって、なに? おかあさんのこと?』
「あぁ、言うておらんかったか」
その証拠に望子はパッと顔を上げ、コアノルが『何事か』と首をかしげているのも構わず、『あれ』と称した人物とは誰なのか、もしや自分の母の事なのではという望子からの疑問にも、コアノルはやはり態度を崩さず。
「妾は、ミコの──其方の母と面識がある」
『め、めん? あったこと、あるの……?』
「うむ、そういう事じゃ」
『いつ……?』
先程までと同じく何でもない事であるかの様な声色と表情で以て、あろう事か望子の母である柚乃と自分は面識があるなどと語り出した魔王に、もう望子は困惑に困惑を重ねた挙句、その事実を疑う事さえ満足に出来ぬまま、いつ出会ったのかと聞く事しか出来ず。
「いつも何も、まだユウトが召喚勇者であった頃──……今より千年以上も前の事じゃ」
『せん、ねん……』
そんな望子からの搾り出す様な声色での問いかけに、コアノルは血の如き色合いの葡萄酒を片手に、それが千年以上も前──当然と言えば当然なのだが──の事だと明かした。
つまり、こうして望子が異世界に召喚されてから出会った訳ではないという事である。
しかし、それは流石の望子でも分かる。
それよりも望子が気になっていたのは、どのタイミングで顔を合わせたのかという事。
望子が持っている母の情報としては──。
・元々こちらの世界の存在
・聖女ではない
・魔王討伐の旅の仲間でもない
・今は間違いなく地球に居る
──というところだ。
では一体どのタイミングで、これらの条件を満たす女性が魔王と対面を果たしたのか?
「まどろっこしのは嫌いなのでな、結論から言うとしようか。 ミコ、其方の母親は──」
という更なる疑問を口にしようとしていた時、結論を急いだ──……というのも違う感じで葡萄酒の催促をしたコアノルは、まず間違いなくこちらには来ていない望子の母が。
「
『……?』
そもそも勇人と同じ人間──『人間』という言葉を知っている事に望子は違和感を持てなかった──ではなかったと語る魔王に、いよいよ望子の困惑が頂点を迎え、絶句する。
あの優しい母が、人間じゃなかった。
そんな事を言われても理解が及ばない。
当然、納得も出来ない。
……そもそも、父が人間であっても。
母が人間でなかったという事は。
一体、自分は──?
「そもそも、ミコよ。 其方の母親の名は?」
『……ゆの』
そんな風に、とても八歳児とは思えぬ思考の飛躍を続けていた望子に、コアノルが望子の知るの母の名前は何だったかと問うてきた事で、ひとまず望子は思考を止めて答える。
……本当に人間ではないのなら、もしかしたら名前も違うんじゃないだろうか──と。
「それは、彼奴が自らにつけた仮の名じゃろうな。 響きだけじゃが真名に似ておるしの」
『ほんとうは、ちがうの……?』
抱いてしまった望子の疑問は正しかった様で、おそらく『柚乃』は元の名前に響きを似せて彼女自身がつけた仮名だろうと推測する魔王に、その事自体は何となく察せられていた望子が、おそるおそる問うたところ──。
魔王の口から飛び出したのは、まさかの。
「うむ。 彼奴の真名は──『ジュノ』。 こちらの世界における四大元素を司る女神どもを束ねておった、『
『ちぎり──……ぇ?』
ジュノという名前だった──という事実が霞んでしまう程の衝撃を与える、この世界でも
じゃあ、自分は人間と女神の──?
という疑問を解消しようとするより早く。
「さて、どこから話したものか……取り敢えず、デザートでも食しながら考えようかの」
『……っ』
音も立てず台車で運ばれてきたデザートに興味が移ったコアノルに、望子は唇を噛む。
……正直、もうデザートはどうでもいい。
自分の母親が、こちらの世界で初めて出会った、『女神』と同類の存在だったなんて。
そんな衝撃的な事実を聞かされた以上、満足にデザートを味わえる訳もないのだから。
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