第351話 邂逅、恐るべき魔王

 一方その頃、渦中の望子はと言えば──。


 イグノールが他の幹部たちと、レプターが空を覆い尽くす程の数を誇る執行部隊エクスキューショナーと死闘を繰り広げているなどとは夢にも思わず。


『──……かわいい……』


 傷一つない美しい状態で壁に埋め込まれている大きな姿見の前で、やいのやいのと寄って集って着せ替えさせられた服に対し、ここが魔族の巣窟だという事も忘れ、そう呟き。


「よくお似合いですわ、勇者様!」

「何とまぁ愛らしい……!」

人族ヒューマンでさえなければねぇ……」

「それ以前に勇者様でしょう? 全く……」

「いいじゃない別に。 ここだけの話、魔王様だってこの勇者様にメロメロなんでしょ?」

「あ、それ不敬だわ」

「えぇっ!? ちょ、ちょっとぉ!」

「あはは! 冗談だってば!」


 そんな少女を側近、延いては魔王コアノルの命令とはいえ半ば無理やり着飾らせた侍女たちは、この場に側近も魔王も居合わせていないのを良い事に敵たる勇者を褒めちぎる。


 彼女たちは別に、ジオ程デクストラを嫌っている訳ではないのだが、それでも『同じ空間に居ると息が詰まる』くらいには思っているらしく、かなーり気が抜けている状態だ。


 ちなみに望子が着せ替えさせられている服は、かつて望子たち一行が今は亡きルニア王国を出立する際、レプターから譲り受けた白と黒のフリルが基調の服に、よく似ていた。


 ……侍女たちが召すそれにも似ていなくないが、これについては単なる偶然であろう。


 おそらくは。


 それから、きゃいきゃいと騒ぎながら更に望子を着飾ろうとしていた侍女たちの元に。


「──何を騒いでいるのですか」

「「「っ!!」」」

『さっきの……』


 ノックもなしに──……まぁ直接部屋の中に転移してきたのだから仕方ないが、いきなりデクストラが現れて侍女たちの無作法を咎める様な言葉を発した事で、つい先程までの色めきはなくなり部屋は緊迫感に包まれる。


 しかし、そんな中でも望子は──。


『つれてってくれるの? のところに』

「「「……っ」」」

「……えぇ」


 あくまで自分は勇者なのだから『さま』などと呼んではいけない──それを子供ながらに分かっている様で、それを耳にした侍女たちが戦慄し、デクストラの纏う覇気が一段と凄みを増してもなお望子の態度は崩れない。


 そんな幼女に呆れて物も言えないといった具合の表情を見せた側近が、そのまま踵を返して『こちらへ』と望子を誘導し、コアノルの待つ王の間へ案内しようとし始める一方。


『あの……まぞくの、おねえさんたち。 このふく、ありがとう。 たいせつにするからね』

「「「……っ! こ、光栄です……っ!」」」


 こちらの服は、もう貴女様の物です──と言われていた事を思い出した望子の、ぺこりと頭を下げてからの愛らしい微笑み付きのお礼の言葉という連携を受けた侍女たちが、薄紫の瞳をハート型に、褐色の顔色を朱色に染めて最大限の礼をしていたのを見た側近は。


(……嘆かわしい……)


 本当に同族なのだろうか、とでも言わんばかりの冷めた瞳で侍女たちを見遣りつつ、元より魔王以外は映す気にならないその薄紫の瞳を閉じた上で改めて衣装部屋を後にした。


 ……完全に自分の嗜好を棚に上げて。


────────────────────


 それから、しばらく物珍しげに辺りを見回しながら後をついてくる望子をよそに、デクストラは歩幅を合わせる事もなく歩を進め。


 全く会話がなく──と言っても気まずさはなかったが──二人の足音を除けば静けさだけが支配する長い長い廊下の最奥に到着し。


『……もしかして、このおくにいるの?』

「えぇ、コアノル様がお待ちです」

『……っ、うん……』


 もしかしてとは言いつつも半ば確信めいていた望子の問いに、デクストラが一切の抑揚を感じさせない返答をしつつ扉に手をかける中、望子の声や手は震えている様に見える。


 それもその筈、目の前にある大きく真っ黒な扉の奥には、かつて望子の父親であり先代の召喚勇者でもある勇人も戦った事のある魔王が玉座にて待ち構えているのだから──。


 しかし、そんな風に臆してもいられない。


 自分は、この世界を救う勇者なのだから。


 そして八歳という幼さでそれを理解していた望子の前にある扉が今、音を立てて開く。


 開いてすぐ望子の視界に映ったのは、それらを人族ヒューマンの手で造ろうと思ったら一体どれ程の費用と期間がかかるのだろうという広く大きな王の間と、その最奥の玉座に座す──。


「──……よくぞ、此処まで辿り着いた」

『……あなたが、まおう……?』


 絹の様に美しい薄紫色の長髪。


 魔族特有の褐色の肌と、薄紫の双眸。


 形の良い唇から見える刃物の様な八重歯。


 身の丈程もある蝙蝠の如き六枚の羽。


 山羊の様に捻じ曲がった四本の黒い角。


 腰の辺りから生えた二本の尖った尻尾。


 一見、属性過多とも思える美しい魔王の姿に、『本当に、この魔族が倒すべき魔王なのか』と疑問に思った望子の呟きに対し──。


「如何にも──妾こそが魔王コアノル=エルテンス、この世界を支配せんと目論む者よ」

『……っ、わたしは、あなたを──』


 まるで開戦の合図であるかの様に、コアノルが名乗りを上げてみせた事によって、それを受けた望子もまた首に下げた小さな箱を握りしめつつ『あなたをたおす』と息巻くも。


「まぁ待て。 このまま戦うのも吝かではないがの、せっかくじゃし共に晩餐といかぬか」

『ば、ばん……?』

「飯じゃよ飯。 おそらくじゃが──」


 玉座に肘掛けに片腕を置き、その艶かしい褐色の足を組む形で座っていたコアノルが右手を前にやって望子を制止させると共に、あろう事か一緒にご飯でもどうか、などと提案してきた事で完全に思考が止まった望子に。


「妾に聞きたい事もあるのであろう? 妾は王じゃが人族ヒューマンどもの作法は求めん、立ち話で済ませてよいものでもない筈じゃ。 どうかの」

『……』


 さも全て分かっているとでも言いたげな様子で、この瞬間も──否、召喚されてからずっと望子の心中を支配し続けている疑問を見透かしたコアノルの声に、望子は黙考する。


 自分は勇者、魔王を倒しに来たのだ。


 一緒にご飯を食べる必要なんてない。


 そんな事をしている暇なんて、ない。


 とはいえ、聞きたい事があるのも事実。


 望子にとっては最後にして最強の敵になるだろう魔王との戦いの最中、聞きたい事を聞けるかと言われると──正直、自信はない。


『……わかった。 ごちそうになる……』

「うむうむ! 糧食部隊レーショナー、用意せい!」

「「「はっ」」」


 ゆえに望子は黙考の末、晩餐を頂く事を選択し、それを聞いたコアノルは嬉しそうは笑みを浮かべながら手を叩き、兵糧の確保だけでなく調理や給仕も兼ねていた糧食部隊レーショナーを呼び立てると共に、どこからともなく漆黒のクロスが敷かれた食卓を顕現させ、『座して待て』と望子の分の椅子に座らせてから──。


 ──何とも豪勢な食事を嗜んだ。


 人族ヒューマンの街の宿で食べた時、貴族のお屋敷で食べた時、港町の屋台で食べた時──それらとは全く異なる趣きの料理の数々に、はっきり言って望子は舌鼓を打ってしまっていた。


 もしかしたら毒が入っているかもしれないとは危惧していた為、数ヶ月前に狐人ワーフォックスから教わっていた『胃の内容物の熱消毒』を悟られない様に行っていた事は──……秘密だ。


 オードブル、スープ、パン、ポワソン、そしてメインディッシュと美味な料理が続き。


 されど、それぞれが望子でも食べきれる様に調整されたちょうどいい量で配膳される。


 ……地球のレストランなら間違いなく三つ星だったろうが、あいにく此処は魔王の城。


 味わう余裕がある時点で、やはり望子は。


 立派に勇者を、やれているのだろう──。


 そして、メインディッシュが終わった頃。


「──……さて、ミコよ。 そろそろデザートが運ばれてくる頃合いじゃ、この間に其方の聞きたい事に答えてやろう。 何でも良いぞ」

『……うそ、つかないよね』

「無論じゃとも」


 互いの暮らす世界についての他愛もない話も、それを肴としていた晩餐の刻も終わりが近づき、そろそろ最後のメニューになるというそのタイミングでそう告げてきた魔王に。


 真実を話す保証がどこにある、と今更ながら思い至ってしまった望子に対し、とても敵に向ける物とは思えない程の優しい微笑みを見せた魔王を一旦信用する事にした望子が。


『……あなたを──……まおうを、たおしたら……わたしは、ほんとうにかえれるの?』

「ふむ。 まぁ当然の疑問じゃな」


 ローアが太鼓判を押し、そして勇人までもが大丈夫だと不安を取り除いてくれた筈の最大の疑念、『そもそも魔王を討伐したからといって本当に帰還出来るのか』という疑問をぶつけたところ、コアノルは予想していたのか特に困ったりする事もなく首を縦に振り。


「結論から言えば──……。 妾を斃し、魔族という種そのものを滅ぼす事が叶えば其方は元居た世界へ帰還する事が出来る筈じゃ」

『ほん、とう……?』

「うむ──……じゃが、しかし……」

『なに?』


 魔王を討ち、そして魔族を残らず滅ぼせば叶うだろうと、望子にとってのみありがたい筈の答えを上機嫌に話していたかと思えば。


 何やら本心から望子を慮っている様な面持ちで、コアノルが何かを言い渋っている様子を察した望子が二の句を待っていたところ。


「……信じ難いじゃろうがな、たとえ妾を討ち倒し元の世界へと帰還したところで──」


 意を決した魔王の口から漏れ出たのは。











「──其方の居場所など、ぞ」

「……ぇ?」


 ……まさしく信じ難い一言だった──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る