第343話 わたしは、だいじょうぶだから

 正体不明の魔族の出現──。


 全てを見透かすハピの眼には、その魔族が望子とイグノールに何かを語りかけ、『こっちへおいで』と手招きしている様に映った。


 ……そう、手招きしているだけ。


 まだ連れていかれてはいないのである。


 だが、それも時間の問題かもしれない。


 聡明な望子はともかくとして、どういう訳か粗暴なイグノールまでもが、その魔族の話に大人しく耳を傾けている様に見えたから。


「──……っ!! 望子……!!」

「ちょ、ちょっとハピ!?」

「おい何だ、どうした!?」


 それゆえ、ハピは突然の事態に驚いているフィンや、ハピの叫びが聞こえていたかどうかも分からない他の面々に対する説明もそこそこに、いち早く飛び立っていったのだが。


 ウルやカリマ、ポルネやカナタといった普通の聴力しか持っていない者たちとは違い。


「何故このタイミングで……っ!!」

「レプター!? 貴女まで……!?」


 望子と共に異世界へと飛ばされてきた三体のぬいぐるみたちにこそ劣れど、この世界では珍しくもない亜人族デミの中でも特に優れた力を持つ龍人ドラゴニュートたるレプターには届いており。


(いや違う、このタイミングだからこそか!)


 説明する時間も惜しいとばかりに飛び立っていくレプターの脳内では、おそらく全なる邪神との戦いを終えて少なからず気が抜けていた瞬間を狙ってきたのだろうと推測され。


 しかし今は己の不甲斐なさを悔いる前にやる事がある、と全速力で向かいつつも──。


「──ウル!! 魔族による襲撃の可能性がある!! ここに残り警戒と迎撃を!! カリマとポルネも同様にだ!! は任せろ!!」

「はぁっ!? おい待て!」

「嘘でしょ、何で今……」

「今だからッてこッたろ、クソが……!」

「何なんだよ、何が起こってんだ……!?」


 それはそれとして敵が内側だけから攻めてくるとは限らない以上、見張りと迎撃を兼ねて誰かを残すべきだと判断して指示を出す。


(こちらってのは何だ!? まさかミコの身に何かあったっていうんじゃねぇだろうな……!)


 その指示が的確であるからこそ、レプターの言う『こちら』が何を指しているのかに見当がつかず、されど『魔族の襲撃』が事実であるなら従わざるを得ない為、三人が背中合わせの状態で言われた通りに警戒する中で。


「……攻撃の手は足りてるみたいだし……キュー、私たちは支援に専念しましょう──」


 レプターから、これといった指示こそもらえなかったものの、さりとて何もしない訳にはいかないと判断したカナタが、同じく名が挙がらなかったキューに対し、『一緒に援護しよう』と声をかけた──……が、しかし。











「──……あ、え?」


 そこに、キューの姿はなかった。


 今の今まで、そこに立っていた筈なのに。


 少なくとも見える範囲には居なかった。


「……きゅ、キュー? どこへ行ったの?」


 まさか、キューの身にも何かが──と一気に不安の感情がカナタの声に表れ始めた時。


────────────────────


(──っ、抜かった……!)


 キューは、フィンの様に


(まさか、このタイミングでウルたちの尖った感覚もキューの神力もすり抜けて潜り込める様な強い魔族が出張ってくるなんて……っ)


 他の面々と同じく望子を守る為に。


 ウルやフィンを始めとした亜人族デミの鋭い感覚や、キュー自身が三素勇鑑デルタイリスを触媒とした探知用の結界までもがあったというのに、それらをすり抜けて現れた魔族を排除する為に。


 しかし何も、フィンと全く同じ様に宙を泳いでいた訳ではなく、ましてや海に飛び込んで外から回り込もうとしている訳でもない。


(……ギリギリだけど間に合いそうなのが唯一の救い──この船、木造でよかったよ……!)


 彼女は今、


 もう少し正確に言うのならば、この船の兵装や錨といった鋼鉄製の道具を除くと殆ど木造であるという性質を存分に活かし、キューは木から木へと泳ぐ様に移動しているのだ。


 窓も扉も廊下も彼女には関係ない、スイスイと誰よりも先に望子の居る部屋へと──。


 ──……辿り着いた。


「──ぷはっ! ミコ! まだ居るよね!?」

「……きゅー、ちゃん」


 そこには妖艶な輝きを放つ真紅の長髪が特徴的な女性魔族と、どういう感情からくるものかも分からない表情を湛えた望子が居た。


 普通、仲間とはいえ急に床から現れたら驚きそうなものだが、まるで感情そのものが抜け落ちたかの様な声で彼女を出迎えるだけ。


「貴女が最初でしたか、神樹人ドライアド

「魔王の、側近……!」

「よくご存知で」


 そんな状況に困惑していたキューに、さも何でもないかの様に声をかけてきた魔族、もといデクストラの如何にも興味なさそうな言い草に対し、ローアからの情報と照らし合わせる事で魔王の側近であると見抜いていたキューの絞り出す様な声に彼女は一礼で返す。


 相手にする価値もないとでも言いたげに。


 と、ここでキューが異変に気づく。


「……イグノールは、どこへ行ったの?」


 そう、そもそも望子が甲板から離れるきっかけとなった筈のイグノールが居ないのだ。


 尤も、デクストラの足元には──。


「あぁ、あれは既に転移させましたよ。 あの様な欠陥品にも、まだ使い道はありますし」

「……そう。 まぁ別にいいけど──」


 彼女の言葉からも分かる通り闇間転移の魔方陣が展開されており、イグノールは一足早く魔族領へと転移させられたのだと知らされはしたが、はっきり言ってキューとしてはイグノールがどうなろうが知った事ではなく。


「──ミコは置いてってもらうよ!!」


 兎にも角にも望子だけは絶対に連れて行かせはしない──と、キューの覚悟を秘めた叫びに呼応する様に彼女の腕から根が伸びる。


 その根は、キューが持つ癒しの力の根幹を文字通りに成す神聖な樹木──……療養樹ヒールツリー


 何故、癒す為の植物の根を伸ばしたのか?


 それは、この療養樹ヒールツリーが──だから。


 では原種と改良種とでは何が違うのか?


 大きさ、寿命と色々あるが一番は──。


 ──神力のみを栄養としている点である。


 改良種は様々な土壌や気候に対応する為に神力以外の栄養で育たねばならず、およそ成長の全てを神力で賄われた原種とは比べてしまうと癒しの力も宿す神力も何もかも劣る。


 勿論、魔族に対しても特効とさえ言える力を持つが、それゆえに千年前の時点で魔族の手により絶滅させられていた様なのだが、キューはそれを自らの身体で再現してみせた。


 闇間転移の魔方陣は勿論の事、術者たるデクストラごと神力の根で貫いてしまえる筈。


 ──……そう確信していたのだが。


「っ!? 魔族の武器での療養樹ヒールツリーの根を!?」


 あろう事か、キューの腕でもある療養樹ヒールツリーの根は、デクストラが手にしていた棘付きの赤黒い鞭によって絡め取られてしまっていた。


 あれが魔族の武器である以上、本来ならば療養樹ヒールツリーの神力に中てられて崩れる筈なのに。


「これは、『神縛りリ・バウンド』と呼ばれる特殊な鞭でしてね。 コアノル様が宿されている神力で以て他者の神力を無力化してくれるのですよ」

「な、何それ……! くっ!」


 すると、デクストラは余裕綽々といった具合の妖しい笑みを浮かべつつ、その鞭は魔王コアノルが同胞を生み出す時と同じ要領で作り出した『対神力用』の武器なのだと語り。


 恍惚とした表情で鞭を見つめるデクストラに引き気味のキューが、ひとまず望子だけでも安全な場所にと目を離した、その時──。


「無論、神力を纏う生物にも有効です」

「! しまっ──」


 まるで一つの生物であるかの様な動きを見せ始めた神縛りリ・バウンドの先が、自分に向かってきている事を即座に察しながらも、キュー自身が神力の塊だという事もあって必殺を覚悟し。


 思わず目を瞑ってしまったものの──。


『──っ、まって! わたしといぐさんがいうことをきけば、みんなにはてをださないんじゃなかったの!? はまもってよ!』

「……あぁ、そうでしたね」

「約束!? 約束って何!? ねぇミコ!!」


 その鞭と自分の間で、いつの間にか龍化ドラゴナイズを発動させて飛んできていた望子が腕を広げてキューを庇っており、『約束』とやらが何なのかキューが確認しようとしたのも束の間。


「──……きゅーちゃん」

「え……?」

「あとから、みんなにつたえてね」


 望子は龍化ドラゴナイズを解除しつつ振り返り、まるで今生の別れかの如き寂しげな笑みを浮かべ。


「『わたしは、だいじょうぶだから』って」

「っ、ミコ──」

「では、またお会いしましょう」


 静かな、されど確かな幼い声音でそう告げながら、デクストラと共に転移していった。


「どう、して……?」


 その場に、困惑しきったキューを残して。

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