第339話 さようなら、おとうさん

 それから、およそ数分が経過した後──。


《──……落ち着いたかい?》

『っ、うん……』


 やっとの事で涙や嗚咽が止まりかけていた望子の髪を撫でながら、まさに親の如く優しい声音で話しかけてきた勇人に、またしてもうるっとしかけた望子は何とか返事をする。


《……ごめんね望子。 突然こんな話をされたら動揺するって分かってた筈なのに、僕は》

『……おとうさんは、わるくないよ』

《けど──》


 そんな望子の返事を受けて『まだ落ち着ききっていない』と分かった勇人は、その整った顔をしゅんとさせながら謝ってみせたが。


 望子としては勇人に非があるなどと思っておらず、ふるふると首を横に振ってみせる。


 とはいえ愛娘を動揺させた挙句、泣かせてしまった罪は勇人的には重かった様で、その行為に対する償いをと勇人は言いかけるも。


『それより……ききたいことがあって』

《な、何だい?》


 そんな彼の言葉を遮る様にして望子の『質問がある』という旨の声が届いた事で、もう動揺はさせまいと誓った勇人が問い返すと。


『おとうさんは、ゆうしゃさまなんだよね』

《え? あぁ、そうだね》

『なかまも、たくさんいたの?』


 既に勇人が自分と同じ召喚勇者であるという事は理解していた望子の、『自分にとってのぬいぐるみたちのような』という仲間の有無を問う声に対して勇人は首を縦に振って。


《うん。 旅先で出会った色んな人や亜人族デミが協力してくれたり、旅先で見つけた武器や防具に魂魄付与ソウルシェアで命を持たせてみたりしてね》


 千年前、自分を召喚した当時の聖女は勿論の事、魔王討伐の旅路の中で志を同じくした者たちや、ぬいぐるみを亜人族デミに変異させた力と同じ魂魄付与ソウルシェアにて生み出した全く新しい仲間とともに過ごした、あの辛く苦しくも充実していた旅を振り返っていた──その時。


『──……やっぱり』

《ん?》


 突如、小さく小さく呟かれた愛娘の声を聞き逃さなかった勇人が二の句を待つと──。


『あのえほんのゆうしゃさまって、おとうさんのことだったんだね? わたしの、えほん』

《……あぁ、あれか。 懐かしいな》


 まだ元の世界に居た頃、望子が三体のぬいぐるみの次に大切にしていたと言える、とある世界で魔を討つ為に旅する勇者の冒険譚を描いた絵本の主人公こそが勇人だったのではという確信めいた問いかけをしてきた事で。


 勇人は、またも懐かしげに目を細めだす。


《あれは僕たちの旅に同行してた読書好きの亜人族デミが日記と称して作った物でね。 あの旅が終わった後、世界中で流行はやってたんだよ》


 どうやら、あの絵本は勇人の仲間の一人であった亜人族デミ──魂魄付与ソウルシェアで命を与えた訳ではない森人エルフだった様だ──が一行の旅の始まりから終わりまでを書き記した挿絵付きの日記が、こちらで広まった物なのだと明かし。


『それを、もってかえったってこと?』

《そう。 君のお母さん、柚乃がね》

『おかあさん、が……』


 それを地球へと持ち帰り、その後に望子へプレゼントしたのが他でもない柚乃だったのだと告げた事で望子の疑問が一つ解消した。


 ちなみに、サーカ大森林の主である蜘蛛人アラクネのウェバリエが持っていた絵本も同じ物であり、おそらく元々絵本を持っていたという旅人は『過去に流行した冒険譚』を価値ある物として肌身離さず持ち歩いていたのだろう。


 そんな事、望子は知る由もないが──。


 ──……閑話休題。


『……ねぇ、もうひとつきいていい?』

《勿論。 何でも聞いていいよ》


 これで望子の疑問は全て解消したかと思われたものの、どうやらもう一つだけ気になっている事があるらしく申し訳なさそうに上目遣いで確認するも、それを勇人が拒絶する筈もなく、ふわりと微笑み先を促したところ。


『おかあさんと、どこでしりあったの?』

《!!》


 ここまでの会話にも登場していたもう一人の家族、望子にとっては母親であり勇人にとっては妻である柚乃と一体どこで出逢ったのかという質問は、どうやら彼にとって急所か何かであったらしく目を見開いてさえおり。


『このせかいには、おとうさんひとりでよばれたんでしょ? それなら、おかあさんとはこっちでしりあったってことになる、よね?』

《それ、は……》


 そんな父親に構う事なく、とても八歳児とは思えぬ洞察力や推察力を発揮し、かと思えば八歳児にしては随分と幼い口調と声音で先程の疑問の理由を口にしてきた事で、いよいよ追い詰められた勇人が言葉に詰まる一方。


『ねぇ、おとうさん。 もしかして──』


 望子は、ゆっくりと息を吸ってから──。











『──おかあさんも、の?』

《……っ》


 かつて勇者として召喚された過去を持つ勇人と同じ様に、もしや柚乃にも普通ではない何らかの秘密があるのでは──……という最早その黒い瞳に確信しか感じない望子からの問いに勇人は思わずふるりと身を震わせる。


 その問いが、あまりに的を射ていたから。


 正直、明かすかどうかは迷っていた。


 ……というより、この瞬間も迷っている。


 だが、もう──……


《……そうだね。 お母さんも──……柚乃も普通とは言えない。 望子は間違ってないよ》


 ゆえにこそ勇人は望子の問いに対して首肯しつつ、やはりというべきか柚乃もまた勇人と同じく普通の存在ではなかったと明かす。


 では何なのか、という問いかけの前に。


『かなさんとおなじ、せいじょさま? それとも、おおかみさんたちとおなじ……でみ?』

《……かなさん? あぁいや違うよ、聖女じゃない。 勿論、亜人族デミでもない。 もし亜人族だったら望子の見た目にも影響あるからね》

『そっ、か……』


 てっきり、カナタと同じ聖女か或いはウルたちと同じ亜人族デミだったのではと子供ながらに推測していた望子だったが、まぁ聖女ならともかく亜人族デミだったとしたら望子の外見に何らかの影響が出ている筈だ、と納得いく説明をされた事で頷かざるを得なくなる一方。


《……まぁ、とはいえ──》

『?』


 聖女だの亜人族デミだのと色々否定はしたが。











《──人間じゃないのは、そうなんだけど》

『……ぇ?』


 少なくとも柚乃は地球で言う人間に相当する人族ヒューマンではなかったのだと語る勇人に、ある程度の予想をしていたとはいえ望子は驚く。


 だとしたら何故、外見に影響がないのか?


 人族ヒューマン以外で人間に近い種族だったのか?


 そんな事、考えても望子には分からない。


《柚乃って名前も仮の物でね。 元の世界に戻れたら一緒に暮らそうって約束した時、日本でも違和感のない名前を僕がつけたんだよ》

『そう、だったんだ……』


 そうこうしている内に、そもそも望子がよく知る柚乃という名前さえ日本に馴染む様にと勇人が考えた物であったのだと明かされ。


 まだ色々と気になる事はあったが、それよりも先に確認したい事があった望子は──。


『……じゃあ、おかあさんはなんなの? にんげんじゃないおかあさんからうまれたわたしは、やっぱりにんげんじゃないんだよね?』

《……それは──》


 結局、人間でなければ母は何だったのか。


 母が人間でないなら自分もそうなのでは。


 という抱いて当然の疑問をぶつけ、やっとの事で勇人も覚悟を決めて口を開いた瞬間。


『──わっ!?』


 それまで勇人の膝に乗る形で抱っこされていた筈の望子が、どういう訳か勇人の身体をすり抜けて『ぽふっ』とベッドに倒れ込む。


 何事か、と望子が振り向いた先では。


『お、おとうさん……? からだ、が……』

《……そっか、もう時間なんだね》

『そん、な……っ』


 とっくに分かっていた事だからか、どこか物悲しげではあるものの笑みは絶やしていない勇人の『自らの最期』を悟る言葉に、またも涙を禁じ得なくなりかけた望子だったが。


 望子は、その涙を袖で拭ってから──。


『……おとうさん。 わたし、ぜったいにまおうをたおすよ。 そしたら、もとのせかいにかえって──……おとうさんのぶんまで、おかあさんといっしょに、しあわせ、に……っ』

《望子……》


 これまでは漠然と、『元の世界へ帰還する為に』という想い一つで臨んでいたが、これからは今この瞬間を最期に二度と逢えなくなってしまう父親の分まで幸せになる為にも。


 この世界を救ってみせる、と改めて決意。


 その姿を見た勇人は少しだけ涙を浮かべ。


《ありがとう。 その言葉だけで、僕も柚乃も救われたよ。 僕の……僕たちの、希望──》

『っ、う……っ』


 最期の最期に愛娘の成長した姿を目に焼き付け、あまつさえ抱きしめる事も出来たのだから、もう悔いなどは微塵も残っていない。


 その言葉を最期に、ふっと姿がかき消え。


 何もかもが曖昧な部屋には、ついに堪えきれず、さめざめと泣く望子の声だけが響く。


 せっかく逢えたのに。


 もっと一緒に居たかった。


 どうして、こんな事に。


 勇人と違い、後悔ばかりが増えていく。


 それでも今は、ただ──。


『……っ、さようなら、おとうさん……』


 ……もう二度とまみえる事の叶わぬ父への別れを告げる事だけに、時間を割きたかった。

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