第337話 聖女という存在の真実

「──……来栖くるす叶向かなた……」


 自分の本当の名前は来栖くるす叶向かなたで。


 望子と同じ異世界人で。


 望子と同じ日本生まれで。


 望子とは全く異なる方法でやって来た異世界転移者だったのだ──などと言われても。


「……私が……私も、異世界から……?」

『えぇ、その通りです』


 正直、理解が微塵も及んでいないカナタは女神に告げられた事実を反復する事しか出来ず、その表情からは顔色も抜け落ちている。


 いや、『微塵も』というのは間違いか。


 何せ彼女の記憶は過去十数年近くも途切れており、その前はどうしていたか、どこで生まれ育ったのかという記憶は残っておらず。


 もし本当に自分が異世界からやって来たのだとすれば、その現象にも説明がつくのかもしれない──……そう思ってもいたからだ。


 そんな風に困惑と疑念が混じり合って沈黙するしかなくなっていたカナタに、サラーキアは消えかけていたその瞳を向けつつ──。


『聖女カナタ、貴女は過去十数年の記憶を失っている筈──その原因を何と見ますか?』

「原因……そう言われましても……」


 カナタがずっと抱えていながら、どうしても分からなかった『過去十年近くの記憶』の喪失についても知っていた様で、その原因は何かと問うてきたものの、こちらとしても知らないからこそ悩み続けてきたのであって。


 ──病?


 ──事故?


 ──或いは原因もなく忘れているだけ?


 などと色々考えてきたが、どうやら最後の一つだけは女神の問いからも違うと理解し。


「……病、とか……事故とかでは……?」


 とにかく自分が思いついていた前者二つを以て、カナタは女神からの問いに答えたが。


 サラーキアは、ふるふると首を横に振り。


『いいえ、それは違うのです。 貴女の記憶の一部は──明確な悪意を以て消されたのですよ。 貴女を聖女たらしめた、あの国の者に』

「え……!?」


 カナタの失われた十年近くの記憶は病でも事故でも、ましてや単なる忘却でもなく第三者の──ルニア王国の手の者による確かな悪意で以て消されたのだと告げた事で、カナタは今度こそ表情を驚愕の色に染めてしまう。


 別に、カナタは元々ルニア王国やそこに住まう人々を好いていた訳ではないし、どちらかと言えば勇者召喚の際に百人近くもの民を贄としてしまった事への自責の念や、それを強いてきた国王や宰相、大臣を始めとした王侯貴族たちへの嫌悪くらいしかなかったが。


 それでも記憶を失っていた自分を聖女としてくれた事もあって多少とはいえ感謝の気持ちもなくはなかったものの、その事実は彼女に残ったその僅かな感謝をも消し去り──。


「……どうして、そんな事を……っ」


 ──純粋な驚愕と忌避感だけが残された。


 そして、そんな負の感情が混ざりに混ざった表情を浮かべていたカナタに対して──。


『時間もないので結論から。 ルニア王国の王侯貴族は、ただだけです』

「繰り返そう、と……?」


 既に向こう側が見える程に透けていたサラーキアは、あくまでも手短に告げるべく結論から語り出し、『繰り返そうとした』という違和感しか抱けない言葉を復唱して問うと。


『かつて舞園勇人を召喚した聖女も、その後千年に亘り選定され続けた勇者召喚サモンブレイヴの儀を強制こそされないものの生涯を国に捧げなければならなかった哀れな聖女たちも──……その全員が貴女と同じ異世界人だったのです』

「……っ!?」


 およそ千年前、百近くの贄の命を以て勇人を召喚した当時の聖女も、その後に選定された数十人近くの聖女たちも皆、カナタと同じ異世界人だったのだと告げられた事で、もう言葉にもならない驚きでカナタは息を呑む。


 必ずしも地球出身ではなかった様だが、それでも限りなくこの世界における人族ヒューマンに近い女性だけが、聖女とされてきたのだという。


 カナタも、その一人だったのである。


 ──事の起こりは数年前。


 来栖くるす叶向かなたは至って普通の中学生で、その日は部活動の帰りに友達数人とカラオケに行った後、『また明日』と帰路に着いた時──。


 いつも通っていた近道に何気なく足を踏み入れた瞬間、彼女の足元に大きな穴が空き。


 悲鳴を上げこそしたが、その人通りのなさが仇となって誰にも気づかれる事なく、そのまま叶向かなたは深く暗い穴へと落ちてしまった。


 偶然にも異世界へと繋がる次元の穴に。


 叶向かなたはすぐに気を失い、その身はとある世界の街道の傍に広がる草原に投げ出される。


 ルニア王国が王都、セニルニアの傍に。


 ここで、すぐに目覚めていれば何かが変わっていたのかもしれないが、そうはならず。


 意識を失い倒れていた叶向かなたを見つけて保護したのは、セニルニアに籍を置く貴族──。


 彼は、その髪色や瞳の色から即座に叶向かなたが異世界人であると察し、それを国王に報せ。


 次に叶向かなたが目を覚ました時、少女からは日本で暮らしていた記憶が禁術で消され、その親譲りの茶色の長髪も陽の光を反射して煌めく美しい黄金色に染められ──……そして。


「──ま……っ、待ってください!」

『?』

「確かに髪の色なんてどうにでもなるとは思います! でも瞳の色を変えるなんて、それこそとかしない限りは──」


 サラーキアが最後に何かを告げようとした時、髪色はともかく今は空色のこの瞳についてを、どう説明するつもりかと問おうとし。


「ま、まさか……!!」


 そこまで口にして、カナタは気づいた。


 ……気づいて、しまったのだ。


『えぇそうです。 貴女の黒い瞳を抉り出すとともに、貴女とは何の関わりもなく血液の型だけが同じ女性の眼球を移植したのですよ』

「失明した訳でもない眼球の移植……!?」


 そう、カナタも元々は日本人らしく望子や勇人と同じ黒い瞳をしていたが、それを無理やり変える為に彼女の瞳を摘出し、血液型が同じというだけで選ばれた一人の平民女性の空色の瞳を摘出して移植したのだと明かす。


 病や事故で視力を失った訳でもない眼球を移植するなど、この世界でもありえない事。


(そんなの、人間のやる事じゃない……! それこそ魔族と同じか、それ以上の……っ!!)


 きっと過去の聖女たちも同じ目に遭っており、それと同時にどこかの女性が犠牲になっているのだと確信し、カナタは涙を零した。


 怒りからか哀しみからかは本人のみが知るところではあるが、おそらくは両方だろう。


『そして身も心もこちらの世界の住人となった貴女は、その異世界人特有の膨大な魔力と異質な力──……貴女の場合は医神の加護が災いし、聖女カナタとなる様に誘導された』


 そして、それらの処置を施されて身も心も記憶さえ、この世界の住人となってしまった叶向かなたは、たった一つだけ意図的に残された記憶──『叶向かなた』という名と、その医神アスカラの加護もあって『聖女カナタ』になった。


 ……聖女カナタに、なってしまったのだ。


「……私は……私も、帰れるんですか?」

『……』


 その後、十数秒程も沈黙してしまったカナタは、サラーキアの話を聞いて最も気になっていた部分──……自分も地球へ帰還出来るのかと、望子と同じ様に帰還出来るという希望を抱いていいのかと問うたが、サラーキアは少しの沈黙の後、首を僅かに横に振って。


『……残念ながら、それは出来ません。 貴女はもう、この世界に慣れすぎてしまった。 たとえ舞園望子が元の世界へと帰還出来る様になったとしても、貴女が帰還する事は──』


 異世界に来てまだ一年も経っていない望子はともかく、カナタは既に数年近くもこの世界で過ごし、その魔素を帯びた空気を吸い過ぎたせいで身体が完全に為、帰還は不可能だという絶望的な答えに。


「──……もう、いいです」

『!』


 カナタは、どういう訳か微笑んでいた。


 力なく、ふわりと微笑んでいたのだ。


 その微笑みの理由を問う前に、カナタは。


「実は異世界人だったとか、本当の名前が別にあるとか、よく分からない事だらけで混乱してました──……でも帰れないなら、もういいんです。 この命を、あの子を元の世界に帰す為に使える様になったんですから」

『……覚悟が、出来たのですね』


 地球生まれだとか本名が来栖叶向だとか言われても正直よく分からなかったが、もう帰る事は出来ないというのなら、もう下手な希望を抱かず使


 それを直感的に理解したサラーキアは、カナタの表情や声音に一切の後悔がない事を悟り、サラーキア自身の存在が消えかけている事実も相まって、ゆっくりと首を縦に振り。


『……でしたら、もう私から言える事はありません。 ですが敢えて一つだけ──……貴女の力には、まだ上の段階ステージがありました。 そして、その段階ステージに辿り着く為の鍵こそ失われた記憶を知り、真名を口にする、事です……』

「上の、段階ステージ……更なる、力……」


 もう彼女にかけるべき言葉はないが、それでも一つだけと銘打ち、カナタの聖女としての力には更なる段階ステージがあり、そしてそれは既に記憶と真名を手にした事で覚醒済みだと告げたのを最期に、その身は光の粒子となり。


『大丈夫……貴女なら、きっと──』


 他の三柱の女神たちの力によって罰を与えられた水の女神は、ゆっくりと消滅し──。


「サラーキア様──……はい、必ず……」


 既に世界から消え去った筈のサラーキアに対し、カナタは深い深い祈りを捧げていた。

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