第336話 最期を迎える三つの魂
全なる邪神との激闘は終幕を迎え、アザトートの魂はその存在ごと完全に消え失せた。
また、この世界に存在する水という水が黒く染まっていたあの現象も、アザトートの消失とともに徐々にとはいえ元に戻っていく。
戦場と化していた大海も漸く平穏を取り戻し、あとは対魔王戦を最後に残すのみ──。
──……と言いたいところではあるが。
残念ながら、まだ全ては終わっていない。
大きな力には、大きな代償が伴われる。
ここまでの力を望んだ訳ではなかったとはいえ、その身体を素体に全なる邪神を出現させてしまった水を司る邪神──……ヒドラ。
この世界を生きる者の魂に手を下す事は許されておらず、その禁忌を破る形で召喚勇者に手を貸した水の女神──……サラーキア。
そして何より、かつて己の肉体を滅ぼしてまで愛娘の魂に宿り守り抜く事を誓った千年前の召喚勇者──……望子の父、舞園勇人。
その三つの魂にも、アザトートと同じく。
完全なる消失という
まずは、アザトートから引き剥がされて海へと自由落下する形となった水の邪神──。
「──……ッ、おい! 大丈夫か!!」
『……ぅ……カリ、マ……?』
「あァそうだ! 良かッ──」
全なる邪神の支配下にあった魔物や魔獣との戦いで、かなりの傷を負っていてもなお上位種としての意地を見せて、ヒドラの着水地点まで高速で泳いでいったカリマの腕の中には、どう見ても満身創痍な状態のヒドラが。
「──ッ!? あ、アンタ、それ……!!」
『……もう、長くはないでしょうね』
「……ッ!!」
否、満身創痍や五体不満足どころか胸から上しか残っておらず、左腕に相当する部位も消し飛んだと見られる崩御寸前のヒドラがおり、その命が風前の灯であると言われるまでもなく理解したカリマは唇を噛みしめる事でしかその悔しさを表現出来ないでいた──。
ポルネと違い、ヒドラに殆ど何もしてやれなかった自分への小さくない憤りとともに。
『……ねぇ、カリマ。 ポルネが言ってたわよね?
そんな彼女を慮っ──……てはいないかもしれないが、ヒドラは逆に冷静な様子で口を開き、アザトートの中で聞いた『貴女のお陰でカリマと一緒になれた』という叫びは本当に二人にとっての本音だったのかと問うた。
気にかかってはいたのだろう──
「……あァ。 少なくとも、アタシらはそう思ッてる。 アンタと……ミコのお陰だッてな」
『ミコ……そう。 あの、小さな勇者が……』
カリマも、それを受けて少しだけ平静を取り戻し、ヒドラがどう思っているのかはともかく、ポルネと自分の考えは間違いなく同じだし、ヒドラから力をもらって、そして望子が新しい道を歩む機会をくれたのだと微笑むカリマに、ヒドラは脳裏に浮かぶ風の邪神を模したあの幼い召喚勇者に思いを馳せ──。
──……そして。
『……カリマ。 さっきも言ったけど、私はもう長くない──……いえ、もうすぐ消滅するでしょうね。 だから、その前にこれを……』
「……? 何だ、これ……宝石か……?」
いつの間にか──いや、おそらく最初から握っていたのだろう何かを手渡す為に右腕を動かし、その何かを手渡されたカリマの手には、きらりと光る紺碧の水晶が乗せられて。
これは何だと問うたところ、ヒドラはもう消えかけていた右腕を元の位置へ戻しつつ。
『……私の力の結晶とでも思えばいいわ。 それを、あの勇者に渡してちょうだい。 使い方は言わなくても分かるわよね? 頼んだわよ』
「……ッ、アンタ……!!」
その水晶は、ヒドラが水の邪神として存在を確立する為に必要な力の全てであり、これを
『……勘違い、しないでよ……? あの勇者がストラの力を奪ったのは事実なんだから、それを許すつもりはないもの──……けれど』
「けれど……?」
残念ながら、まるでツンデレの模範解答の様に否定されてしまい、ストラの力を吸収した事を未だ根に持って──……いるものの。
何やら喉に小骨でも引っかかっているかの様な歯切れの悪さに、カリマが先を促すと。
『あの勇者は、ストラによく似てる……背格好とかじゃなくて、『在り方』って言えばいいのかしら……素直なところも、仲間思いなところも──……だから、あの
「……」
カリマには分からないが、ヒドラには望子とストラがどうしても重なって見える部分があった様で、『在り方』とやらを語るヒドラの顔が晴れやかに見えたカリマは初めて恩人に物理的にも精神的にも近づけた気がした。
……最期の最期に、やっと。
『あの勇者と……それから、ポルネによろしく言っておいて──好きに生きなさいって』
「……ッ、あァ……必ず、伝える……!」
そして、とうとう残った身体の緩やかな崩壊が本格的に始まった時、
『案外、悪くないわね──
「……ッ、クソォ……ッ」
今までとは全く違う、とても優しい笑顔を向けて、ストラと同じ『託す』という行為の素晴らしさを感じながら──……消滅した。
カリマの手に、かすかな感触を残して。
────────────────────
次は、この世界の女神の一柱であるのに自分たちが定めた禁忌を破った水の女神──。
「──……サラーキア様、もしかして……」
ぬいぐるみたちとは違い、その辺の
『えぇ……私も
「そんな……っ」
やはり、カナタの予想通りサラーキアも完全に消滅してしまうらしく、そう儚げに語る彼女の身体は先程より透明度が増している。
聖女という立場からなのか、それともこの世界を生きる者としての立場からなのか、カナタは心から哀しそうな表情で嘆いており。
それを見たサラーキアは、てっきり『この世界はどうなるのか』という不安から嘆き哀しんでいるのだと思い込んでしまった様で。
『心配いりません、たとえ私が消えても世界から水という水が消えたりはしませんから』
「違う! こんなの薄情すぎます! サラーキア様は世界を救う手助けをしただけなのに!」
自分が消滅したとしても、この世界の水という水は既に存在が確立されている為、自分の消滅に合わせて失くなる様な事はない、と安堵させるべく告げてきたサラーキアに、カナタは首をぶんぶんと横に振って否定する。
世界がどうとかいう前に、どうして勇者に手を貸したサラーキアが同じ立場にいる筈の女神たちに罰せられなければならないのか。
その不条理への嘆きと怒りだったのだ。
『薄情──……如何にも
「何故ですか……!?」
しかし、サラーキアとしてはそこには何も疑問や不服を抱いていないらしく、より一層分からなくなってしまったカナタが問うと。
『本来、神々とは人々の手が届く距離に現れてはならないのです。 もし手が届けば、すぐに神々を頼り、そして縋ろうとする筈です』
「……それは……っ」
そもそもの前提として、よほどの事でもない限り彼女を始めとした全ての神々は人々の前に姿を現してはならず──ダイアナも特例中の特例だった──もし仮に手が届くと知れば、まず間違いなく人々は全ての事象に対して神々の力に縋りつこうとする筈だと言い。
カナタは、それを──否定出来なかった。
何を隠そう、カナタ自身も『女神様が手を貸してくれれば』と思っていたからだ──。
『ですが私は、その考えを女神として広めてしまった事を悔いているのです。 私だけでも違う考えを持っていれば、この世界を生きる人々が異界に救世主を求める事はなかった』
そうしてカナタが自分を恥じていたのも束の間、サラーキアは唐突に先程の考えそのものを否定する発言をしつつ、もっと早くに改められてさえいれば『異世界召喚』などという愚行を犯させる事もなかったと後悔して。
……更に、こう告げた。
『勇者にしても──……
「……ぇ?」
勇者は分かる。
望子は実際、異世界から召喚されている。
だが『聖女としても』というのは一体?
その言い方だと、まるで──……まるで。
『……やはり、まだ知らないままでしたか』
そんなカナタの考えを先読みしたサラーキアは、やはり何も知らず──そして何も知らされていないのだと察し、一呼吸置いた後。
『聖女カナタ──いいえ、
「え……!?」
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