第335話 最期とは、いつの世も
『──馬鹿な……っ!! 貴様は完全に消滅させた筈だ!! 何故、今頃になって……!?』
突如、消失した筈の自我までも有して右半身を奪ってきた水の邪神の出現に、アザトートはこれまでにない程の動揺を見せている。
それも無理はないだろう、何しろ水の邪神は間違いなく全なる邪神たる自らの糧とする為、存在ごと喰らい尽くした筈なのだから。
しかし、どれだけ否定しても現実には水の邪神が今にも自分から離れようとしており。
『ふざけるな!! 如きが
『く、う……っ!!』
そんな狼藉が通ると思うか──そう言わんばかりに叫び散らすとともに、もう剥がれかかっていたヒドラを無理やり引き戻そうとするアザトートの表情に余裕は感じられない。
幾千、幾万──……もしかすると幾億年もの歳月を経て漸く訪れた降臨の機会、絶対に逃してなるものかという気迫は感じるが、そんな事は勇人や勇者一行には全く関係ない。
《……全なる存在とは大きく出たね。 もしかして
「否、自覚していないのであろう」
アザトートの身に異変が起きた瞬間、一行の中で最も冷静な判断が出来る者──すなわち、ローアの傍まで移動して来ていた勇人。
彼は、アザトートが『完全体ではない』という自身の状態に勇人やローアを始めとした勘のいい者たちが気づいていないなどと希望的観測でも抱いているのかと疑問視するも。
ローアは、おそらく『自分は絶対に完全体だ』──『完全体でなければおかしい』と思い込んでいるという説の方が濃厚だと反論。
《──もしくは、そう思いたくないか》
「然り。 どちらにせよ好機であるぞ」
《そうだね──……仕上げといこう》
更に、この二人が共通して持っていた異説として、アザトート自身も自分が完全体ではないと気づいており、されど決して認められず、その事実を口にしない事で己が精神を保っているのではという考えが濃厚であった。
そして、どの説が正しかったとしても、この絶好の機会を逃す事など許されはしない。
──だからこそ。
《君にも手を貸してもらうよ、サラーキア》
『……』
ここまで頑なに協力を拒み続けていた水の女神の力も借りて、いよいよとどめを刺す時だと手を伸ばす勇人に、サラーキアは──。
そんな中、渦中の邪神たちは未だに弛まぬ精神と肉体の綱引きを繰り広げていた様で。
『貴様……! 今度こそ消されたいのか!?』
『やれるものならやってみなさい……!』
『何……!?』
自分の意思とは無関係に離れようとする右半身を、アザトート自身が無理やり押さえつけているという奇妙な小競り合いの最中、脅しにも屈しないヒドラの言に違和感を抱く。
『今、私と貴女は一心同体……! ましてや貴女は私を素体にして現れたんでしょう!? だったら今、私を消せば貴女も消える筈よ!』
『……っ!! 小癪な──……っ!?』
その言は決して虚勢ではなく、ヒドラの身体を素体として全なる邪神が出現し、そして図らずもヒドラと一心同体となってしまった今、彼女を消せば右半身どころか素体ごと消え去り、その存在を維持出来なくなるのだ。
それを誰よりも悟っていたからこそ、アザトートは露骨に表情を歪めて、ただ只管に抗う自らの半身へ怒気と憎悪の視線を向ける。
その結果、一瞬だけ頭から離れたのだ。
《反応、遅れたね》
『っ、勇者──』
ここで最も警戒していなければならなかった筈の、ここで最も強く危険な力を持つ者。
かつての召喚勇者の存在を──。
そして、その一瞬が命取りとなった。
《
『『……っ!?』』
勇人は一瞬の内に力の充填と詠唱を完了させるとともに、その『
瞬間、全なる邪神の影響で黒く染まっていた海が大きくうねり始め、そのままアザトートとヒドラを呑み込んでなお規模を拡大し続ける渦潮が天を衝く程の勢いで空に向かう。
近海を干上がらせてしまいかねない程に。
『ぐ、う!? おぁああああああああっ!?』
『くっ──……? こ、れは……?』
ただ、アザトートがその渦潮の激流に呑まれて確かな苦痛を感じる中で、どうにも右半身のヒドラは痛みを感じているとは思えず。
何であれば安らいでいる様にも見える。
「げほっ、う"……ひ、ヒドラ様……っ」
「マジかよ、あの人ごと……っ!!」
「ちょ、じっとしてて二人とも!」
しかし、そんなヒドラの状態は彼女自身にさえ分かっておらず、それを蚊帳の外であるポルネたちに理解しろというのは無理難題。
二人を治療しているカナタが、どうにかして大人しくさせようとしていた──その時。
《大丈夫だよ、
「「え──」」
またしても、いつの間にか撮影を行使して生み出されていた勇人の幻影が、ポルネたちの不安を解消してやるかの様に優しげな声音と表情で以て、『ヒドラ
スッと幻影が指を差した渦潮の中に、ゆらゆらと激流に逆らう事もなく、あるがままに泳いでいる様な『何か』の姿が視界に映る。
『オ"ォォ……イタイ、クルシイ……ッ』
『ダレダ、ダレガヤッタ……』
『コイツダ、コイツダ……!』
『ヒキズリコメ、オナジバショニ……!』
渦潮を埋め尽くす様に、そして明らかにアザトートを敵視している様にぐるぐると四方八方を取り囲むそれは、アザトートに向けて呪詛を呟く事を決してやめようとはしない。
その『何か』とは、カナタやローアが港町の沖まで出た船の上にて遭遇した事のある。
『まさか……!
そう、この世界の海で魔獣や魔物に襲われたり、もしくは不慮の海難事故で命を落とした者の魂が未練を残していた場合に生者を海へと引き摺り込む亡霊として出現する現象。
その亡霊の名は──……
基本的には先述した通りに海で亡くなった生物が素体となっている為、外見も濡れそぼっている様に見えたり、ところどころに腐敗ガスが溜まっていたのか痛々しく膨れ上がったりしているのが一般的──……なのだが。
あの渦潮の中で呪詛を呟く
『えぇそうです。 この戦いに巻き込まれて命を落とした海棲の魔獣や魔物と──そして』
それを説明する為──……という訳ではないのかもしれないが、やっと表に出て来ていた水の女神サラーキアは今も渦潮に呑まれている最中のアザトートの言葉を肯定しつつ。
『……この戦場にこそ存在しなくとも、貴女の力の余波に影響を受けて変異を遂げた魔獣や魔蟲に襲われて死亡した、もしくは深い傷を負って
『……!? 貴様!! それは──』
あの海で亡くなったとは思えない
アザトートが目を見開いて驚いたのは、それらが本当に
『えぇ分かっています。 この行為は禁忌も禁忌、女神といえど決して許されない事です』
まだ亡くなったと確定していない生物の魂を、この世界を広く見守る役割を担う女神の一柱が無理やり生霊にさせるというのは、たとえ誰に裁かれる訳でもない女神という立場にあっても禁忌となる許されざる行為──。
……他の女神に消されてしまう程の禁忌。
勿論、陸で傷ついた生物たちを生霊としてまで
ただ、ほんの少し時間を稼げればいい。
もう、サラーキアは覚悟を決めていた。
一方、サラーキアの話を聞いていたり驚いていたりする間にも、アザトートは何とかして
『クソッ!! クソォッ!! 我は!! この世界を滅ぼし!! 邪なる神としての意志を全うする者!! 斯様に容易く滅ぶ訳にはぁ──』
この渦潮の勢いが激しすぎるのは当然ながら、いくら消し飛ばされようとも執拗に絡みつこうとする
こうして苦し紛れの言葉を吐くしかない程には、ないという事がありありと分かった。
幾千、幾万、幾億というのは比喩表現でも何でもないのだから、その怒りもやむなし。
『……いいえ。
《そう。 どの世界でも──呆気ないものさ》
『……フザケルナ! フザケルナァアア!!』
だが、それも女神や先の世代の召喚勇者からすれば、ありえて然るべきだと──受け入れるべき終焉だとしか、かける言葉もなく。
かたや自らの最期を悟ったゆえの真剣味を帯びた表情を、かたや最期くらいは笑顔で送ろうという気遣いゆえの微笑みを以て語りかけてきた二つの存在に、いつの間にか漂白された衣類の如く真っ白な姿となっていたアザトートは最早、叫ぶ事しか出来ないでおり。
そして次の瞬間、アザトートと同じ様にすっかり黒がなくなり無色透明となっていた渦潮の中心に引き摺り込まれたアザトートは。
『ァ、ア"ァァ……ッ!! オ"ノ"レ"ェエ"ェエエエエエエエエエエエエエエエ……ッ──』
『……っ、ぁ……』
段々、段々と緩和収縮や縮絨収縮を引き起こした衣服の様に縮むどころか、その存在ごと高圧縮されていくかの様に小さくなって。
最期の最期に、ペッと唾でも吐くかの様に素体だった水の邪神を解放し──消滅した。
「ひ、どら、様……っ」
「馬鹿、大人しくしてろ! アタシが行く!」
「あっ、ちょっと!?」
その一部始終を見ていたポルネが飛び出そうとするのを抑え、カリマがヒドラを拾う為に海へと飛び込んでいくのを止められなかったカナタが届かない手を伸ばす、その一方。
(……そう。 そして
勇人は自分の──……というより全解放によって大きくなり、そして半透明にもなっていた望子の右手を見遣るとともに、どちらからともなくサラーキアと視線を合わせた後。
(──……
薄れゆく意識の中で、そう呟いた──。
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