第334話 声が、聞こえる
──……声が、聞こえる。
誰の声なのか、ハッキリとは分からない。
でも、どこかで絶対に聞いた事がある。
この声の主へ最初に話しかけたのが自分であるという事も、朧げにだが記憶している。
それでも霞がかかった様に不明瞭なままなのは、きっと自分が置かれている状況が影響しているのだろうとヒドラは確信していた。
──彼女は消滅などしていなかった。
もし、アザトートが他の邪神もヒドラと同じく本体ごと吸収していたとしたら、まず間違いなく全なる邪神として完成したアザトートの中から彼女の存在は抹消されていた筈。
運が良いのか悪いのか、ヒドラは今アザトートの怨嗟渦巻く魂の奥底にて、たった一柱で鎖に繋がれている様な状態となっており。
最早、自分は一生このまま全なる邪神の中で動く事も出来ず、この世界が全なる邪神の手によって崩壊するのを待つだけなのだろうと、半ば諦めかけていた──その時だった。
『──……っ、ヒドラ様!!』
(……『
どこかで絶対に聞いた声を耳にしたのは。
ヒドラ様──……などと敬称付きで呼ばれた事はなかった筈だが、それも無理はない。
初めて出会った時、自分は
何故か、『ヒドラ様』という呼称はとても耳触りが良く、その声が鼓膜を通して彼女の脳を揺らす度に記憶の霞が晴れていく──。
『──ねぇ、聞こえてるんでしょう!?』
(そんな大声出さなくても聞こえてるわよ)
ヒステリックに──……とまでは言わないが、アザトート越しでも自分の鼓膜を強く叩く、その甲高くも艶やかな叫びに軽く辟易しながらも、ヒドラの表情は決して暗くない。
『貴女が邪神だなんて知らなかったわ!』
(それはそうよね、言ってなかったのだし)
加えて、そのすぐ後に聞こえてきた『ヒドラが正体を明かさなかった事』責めているのだろう──ヒドラはそう感じた──真剣味を帯びた叫びに、ヒドラは自嘲的に鼻で嗤う。
『でも、その事を恨んでなんていない! 貴女のお陰でカリマと一緒になれたんだもの!』
(……姉妹同然と知っても、あの二人は……)
しかし、そんな彼女の憂慮とは裏腹に声の主は恨み辛みなど抱えていないらしく、それどころかヒドラが力を与えてくれたからこそ本当の恋人同士になれたのだと本音を叫び。
声の主を含めた二人が限りなく姉妹に近い存在と知ってもなお、その想いは変えないのだと、変えるつもりはないのだと悟ったヒドラは初めて脳や魂ではなく『心』が揺れた。
罪悪感……とも違う、何らかの感情で。
ただ、その感情は声の主の叫びに
『可愛い勇者様にも出逢えた! あの子は、きっと貴女の事も救おうとしてる……っ!!』
(……だから何よ、あの勇者はストラを──)
何しろ、ヒドラの耳に届いたのは彼女の同胞たる風の邪神ストラを吸収した勇者を『可愛い』などというほざく旨の叫びであり、おまけにその勇者が生意気にも自分を助けようとしていると聞いて、ヒドラは鼻を鳴らす。
たった四柱しか存在しない邪神という特別な種にとって、お互いの存在はそれこそ特別なものであり、その内の一柱を吸収した望子も、その内の二柱を吸収したコアノルも、ヒドラにとっては等しく──……仇敵だから。
だが、しかし──……心の底では。
(──……いえ、本当は分かってるわ。 もし仮にストラが敗けたとしても、あの娘が心から嫌っている様な相手に力を渡したり奪われたりするなんて事は絶対に避ける筈だって……)
そもそも、ストラの性格を良く理解している彼女からしてみれば、もしもストラが敗北寸前の状況まで追い詰められて、その邪なる風の力を奪われる様な事になったとしても。
絶対に『奪われるくらいなら』と自らの力を消滅させる筈だし、ましてや自分から『はいどうぞ』と譲渡する事など考えられない。
とても素直で、それでいて負けず嫌い。
それが、ストラという邪神の性格ゆえに。
だが、だからこそ──。
(ミコ、だったかしら。 純粋なのね、あの子)
ストラはあの勇者が持つ幼さゆえの素直さに、ある種の共感を抱いたのではないかと。
(……もしくは、ただ世間知らずなだけか)
或いは、『素直』というか異世界からの来訪者という事も踏まえての『世間知らず』さが、ストラに警戒心を抱かせなかったのではないか──……などと色々考えている内に。
(……違う、世間知らずなのは私の方。 女神たちとの確執に囚われた結果、挙句の果てには自分を依代にして全なる邪神を呼び覚まされる。 ストラはきっと、あの勇者に託したのね)
ヒドラは、ヒドラ自身こそが時代錯誤の世間知らずであり、かの四大元素を司る女神たちとの深い深い確執にのみ囚われていたせいで、サラーキアを見た時から感情の制御さえ満足に出来ぬまま、アザトートを呼び覚ましてしまった事を深く深く後悔するとともに。
きっと、ストラは自分たちの悲願だけでなく、ストラを除く三柱の同胞たちの今後を考えた上で『後はお願い』と言わんばかりに。
あの幼い勇者へ託したのだろうと悟った。
『だからお願い──……返事をして!!』
ならば、たった今この瞬間も自分へ向けて叫び続けている『娘同然の
(はぁ……もう分かった、分かったわよ。 私だって……いつまでもこんな負の集合体に──)
どうせ自分は助からないのだからと、こうして諦めて囚われてやる理由も──そして。
『──囚われたままじゃ……っ、いられないもの! そうでしょう? ポルネ、カリマ!』
応えてやらない理由も、もうなかった。
『!? ヒドラ、貴様……っ!?』
「ヒドラ様っ!!」
唐突に身体の右半分の主導権を取り返されたアザトートが困惑し、それを見たポルネが文字通りの血反吐を吐きながらも笑みを湛える中、『あの二人』だけは──ただ
「《──好機》」
策の完遂を、人知れず確信していた──。
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