第333話 喉が裂け、胃が破れても──

 ──自分の声は確実に届いている。



 しばらく叫び続けていたポルネは、やっとの事でその事実を自覚し始めていたものの。


 それとはまた別に、ある事実に──……に気づきかけてもいた。


 それは『このままなら届くかも』という希望的観測とは対照的な──……


『ねぇ聞こえ──……っ、ぐ、う"ぁ……?』

「え、あ……っ!?」

「おい、ポルネ……!?」



 切っ掛けは、ポルネの喉を襲った痛み。



 ──否、喉だけではない。



(何、これ……っ、喉だけじゃない、口も身体も……特にお腹──違う、胃の辺り……っ?)


 喉よりも上に位置する口の中も、その口から喉を通った先にある食道を更に進んだ奥の胃袋辺りにも、似た様な激痛を感じていた。



 ……ただ、正確には痛みとも違う。



 何か、こう──……どことなく重みのある心地良さも感じるから逆にタチが悪いのだ。


 真っ先に彼女の異常を察したカナタが咄嗟に治療術をかけても、ほんの少し遅れて気づいたカリマが案じる様に声をかけても、ポルネは二人の方を見ず返事もしようとしない。


 聞こえてはいるし、ほんのり温かな神力を感じ取る事も出来てはいるが、それが殆ど意味を成していない事も彼女は理解していた。


 何故ならポルネの身体を襲う激痛が今もなお苛烈さを増し、カナタの治療術を上回る勢いで彼女を蝕み続けているからに他ならず。


(何、なの……!? 何が原因で、急に──)


 先程までは何の支障もなく声を届けられていたというのに、どうして今になって──。


 苦しみながらも思案していた彼女に対し。


「──聖女カナタ! ポルネ嬢の回復を中断するのである! 今、ポルネ嬢の身体は闇呑清濁ダクドランクを通し送り込まれる邪神の微弱な、それでいて恒久的な瘴気に蝕まれ続けているのだ!」

「!? な、なら、なおさら治療術で──」


 余計な事を──とまでは言わないが、ローアからの『ポルネへの治療術の中断』を指示する旨の強めの声音に驚きながらも、だったらその瘴気とやらを滅するべく治療術を行使するのが最適なのでは、と反論せんとした。


「違う!! 彼奴はポルネ嬢の体内に潜在していた邪神の力に『餌』となり得る瘴気を与えている! 謂わば『回復』なのである! お主の治療術は最早、過剰な回復として毒に──」


 しかし、ローアから返ってきたのは叱責にも近い叫びであり、アザトートの策──水の邪神を引き剥がさんとするポルネの中にある水の邪神の力の残滓を、『餌』と仮称した瘴気を闇呑清濁ダクドランク越しに与える事で身体の許容量を超えた過回復をさせようという目論見に。


 回復が目的となる治療術は最早、策を助長しかねない毒にしかならないのだと告げる。



 ──否、告げようとした。



『──やはり貴様がかなめか。 白衣の魔族』

「……!? ダク──」

《油断も隙もないな──》


 僅か数分も経たぬ内に自らの策が露呈される事を嫌ってか、アザトートは水の女神を通り越して、ローアこそが勇人の次に危険な存在だと理解して一点集中かつ超高速の水の矢を放ち、ローアや勇人が対処せんとした時。


「うっ──……っ、らあぁああああっ!!」

「! イグノール!?」

《へぇ、やるね》


 そこへ割り込んできたのは、もう右腕が水圧で潰れて影も形もなく吹き飛ぶくらいでは動じなくなってきたイグノールであり、ローアの眼前まで迫っていた水の矢──……というよりは大きすぎて殆ど柱だったそれを弾き飛ばした彼を勇人は珍しく素直に称賛する。


 事実、今の一撃はローアを確殺するどころか、この巨龍ごと動力室まで貫いて一行を全滅させた上で墜落させ得る威力であり──。


 右腕一本の犠牲で、その途方もない威力の水の矢を防いでみせた彼を、たとえ魔族とはいえど称賛してしまうのも無理はなかった。


『……あぁ、そういえば居たな貴様』

「忘れてんじゃねぇぞクソが!!」


 しかし、そんな勇人とは対照的にアザトートは彼の存在自体を失念していた様で──何処まで本気かは分からないが──さも煽り散らすかの如き声音で嘲られた彼は憤激する。


 そして憤激しつつも膨大な魔力を帯びた咆哮を放つ事で距離を取らせ、改めて勇人との戦いに専念せざるを得ぬ状況にさせる一方。


「……すまぬ、助けられたな。 イグノール」

「はっ!! 礼なんざ言う柄かよ!!」

「……くはは、それもそうであるな」


 彼女にしては珍しく、非常に珍しく素直に礼を述べたというのに、イグノールからしてみればローアから感謝されるなど気味が悪いとしか言えず、まるで揶揄う様な口調で話を終わらせにかかる彼にローアは笑い返した。



 ──が、しかし。



(──……などと笑っている場合ではないな)


 そんな冗句に付き合ってやっている余裕もない──……というのが彼女の本音であり。


 今は、ローアの脳内に浮かんでいる二つの対策のどちらを実行するかを決めるのが先。


 一つは、この策の効率が著しく低下する事も仕方ないと諦めて、まずは闇呑清濁ダクドランクを解除した上でポルネを回復させつつ遠巻きにでもいいから只管ひたすらに声を届けさせるという対策。


 そして、もう一つは策が成された後にポルネがどうなっていようが構わず、ただ只管ひたすら闇呑清濁ダクドランク越しに声を届けさせるという対策。



 たとえ喉が裂け、胃が破れても──。



 前者の場合、魔呪具ギアスツールによる闇呑清濁ダクドランクとポルネの接続を解除する事で全なる邪神からの干渉を断ち、ポルネを持ち直させる事が可能。


 ……が、ここまでの順調さが嘘の様に途轍もない時間がかかる事は最早避けられない。


 そして後者の場合、闇呑清濁ダクドランクを解除したりポルネを回復させたりと策を途中で止める事なく、ある程度は世界の崩壊を抑えられる。


 ……が、そうなるとポルネは間違いなく策が終わる頃には──命を散らしている筈で。



 前者を選ぶなら、おそらくこの世界が。



 後者を選ぶなら、間違いなくポルネが。



 ──……全なる邪神討滅の、礎となる。



「……」



 ローアが選ぶのは──。











「──ポルネ嬢。 すまぬが、そのまま頼む」

「「……!?」」



 ──……前者だった。



 その瞳は、ただただ全なる邪神を見据え。



 カナタやカリマの驚愕さえ意に介さない。

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