第332話 揺らぐ全なる邪神

 ──……と、ポルネは叫んだが。



 別に、ポルネもカリマも水の邪神の事をそう呼んだ事は一度もないものの、それでも全なる邪神の中の彼女は明確に反応している。


 ……少し極端な話ではあるが、『お前』だったり『貴様』だったりと明らかに恩人へ向けて言い放つ呼び方ではなかったとしても。


『っ、消失しても尚、響く程か……!』


 それがポルネの──或いはカリマの声であるならば、ヒドラの記憶に響くのであろう。


「──……あの反応……っ、引き続き呼びかけ続けよ、カリマ嬢! 効果は抜群である!」

「えぇ……何度でも、何度でも……っ!!」


 ポルネと同等か、もしくはそれ以上に全なる邪神の一挙手一投足に注視していたローアは、そんな全なる邪神の反応から明らかに効果があると判断して『続行せよ』と指示し。


 確かな事は言えないし、ほんの僅かな手応えしか感じられないとはいえ、どのみち成すしかないのだと理解しているポルネも、その手に持った魔呪具ギアスツールに向けて声を出し続ける。


『──ねぇ、聞こえてるんでしょう!?』

『ぐっ……』


 声を届ける役割と、ポルネに降りかかる厄災を喰らう役割を果たしている闇呑清濁ダクドランクから響く、どこか悲痛ささえ思わせるポルネの叫びを聞かされたアザトートは消失した筈の水の邪神の力が不安定になった影響で揺らぎ。


『貴女が邪神だなんて知らなかったわ!』

『がぁ……っ』


 初めて出会った時、己が邪神であるという事を告げなかったヒドラを責める様な叫びをぶつけると、アザトートの魂は更に揺らぐ。


 無論、全なる邪神に『罪悪感』などという不要な感情は存在しない為、彼女の魂をぐらつかせているのは──……


『でも、その事を恨んでなんていない! 貴女のお陰でカリマと一緒になれたんだもの!』

『く、おぉ……っ』


 その証拠に、ポルネが次の一手だとばかりに今度はヒドラへの感謝にも近い叫びを上げたところ、アザトートの奥底からは安堵にも似た奇妙な感情の波が押し寄せてきていた。


 叫ぶポルネの紅色の瞳に浮かぶ、その玉の様な涙も影響を与えているのかもしれない。


『可愛い勇者様にも出逢えた! あの子は、きっと貴女の事も救おうとしてる……っ!!』

『ち……っ』


 そして、たった今この瞬間もアザトートが相対している勇人に人格を明け渡している小さな勇者、望子に出逢えた事も自分たちにとっては何物にも代えがたい幸運だったと真剣な表情で訴えるポルネに、アザトートはここで漸くポルネの行為に嫌悪感を抱き始めた。


 ここまでは、どちらかといえば『我を相手によくやるものだ』という嘲りにも称賛にも近い感情のままでいられたが、このままでは勇人との戦いに集中出来ないばかりか敗北への道程が縮まる一方だと理解したから──。


『だからお願い──……返事をして!!』

『っ、いい加減に──』


 翻って、とどめを刺すつもりではなかっただろうものの、ポルネのその叫びが今まで最も魂を揺らしてきたと実感したアザトートの堪忍袋の緒が切れたらしく、闇呑清濁ダクドランクすら反応出来ない速度で以てポルネを攻撃したが。


《『料理クッキング弱火ローヒート』──こっちに集中しなよ》

『ぐ!? あ"ぁっ!?』


 その攻撃はおろか、アザトートの身体ごと焼き尽くすかの様な青い炎が、まるでガスコンロの如き形で下から出現した事により、アザトートは消し炭になる前に距離を取った。


 ……弱火があるという事は中火や強火もあるという事に等しく、たかだか弱火程度で消し炭になりかけた時点で如何に両者に力の差があるのかという事が嫌でも分かるだろう。


(優先すべきは召喚勇者の始末……だが、あの海神蛸ダゴンを放置しておくのも不味い……かと言って生半可な攻撃はあの口に喰われる……っ)


 その事は、アザトートも充分過ぎる程に理解しており、この戦いにおいて最も重要な事が勇人の始末であるのは今となっても変わりはないが、それでも現状ポルネの声こそが脅威となっている事もまた事実である為──。


(──……潰すなら、あの『口』からか)


 まず最初に対策可能なのは、この瞬間もポルネの声を届けるだけに飽き足らず、アザトートの力の余波が決してポルネに届かぬ様にと吸引や咀嚼を繰り返している──あの口。


 あの口がポルネの魔術ではないという事には既に気づいているし、ポルネの手元にある三角形の魔呪具が触媒となっているのだろうという事にも、アザトートは勘づいている。


 しかし、ポルネを直に狙おうとすれば一行の狙いを把握している勇人に妨害される為。


(──試してみるか、を)


 全なる邪神が選んだのは、ポルネを直に狙うのではなく、さりとて闇呑清濁ダクドランクを直に消し去る目的でもない戦いの余波を許容量を超えるところまで喰わせ続け、あるのかも分からない胃袋を破裂させてやろうという策──。



 ……正直、ポルネの声は耐え難くはある。



 が、絶対に耐えられない訳ではない。



 そして勇人との戦い自体も『即座に決着をつける』という事は出来ないものの、『負けない様に時間を稼ぐ』という事ならば可能。



 それこそ、何時間でも何日でも何年でも。



 新旧召喚勇者を潰し、この世界の全てを破壊する為に、たった数年耐え続ければいいというのなら、アザトートは迷わずそうする。



 それこそが、邪神の存在意義なのだから。











(──……とか考えてるんだろうね)


 といった全なる邪神の思考は勇人に筒抜けであり、おそらく向こうもそれを分かった上で『止められるものなら止めてみろ』と煽る様な表情を浮かべているのだと察し、『はあぁ』と浅くない溜息をつく勇人の顔は暗い。


(流石に何年もかける訳にはいかないな、この世界が保たないっていうのもそうだけど──)


 何しろ、アザトートの思惑通りに数年もの時間をかけてしまったなら、この世界は既に崩壊寸前、或いは幻夢境と同じ様に完全崩壊してしまっているだろうという事もあるが。



 更に、もう一つの懸念があった。



 ……その懸念とやらの正体は?



《……それ以前に、



 もう時間がないと呟く彼の言葉や、そんな彼の視界や思考が霞んでいる事からも──。



 ──……何となく察せられるだろう。



 女神たちとの契約うんぬん以前に、彼はこれ以上この世界に居続けられないのである。



 彼の肉体は千年前に滅んでいるのだから。

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