第330話 幻影と侮るなかれ

 ──分身ドッペル



 それは正確に言うと魔術ではなく、それを行使する術者の魔力の内の一部を体外に放出し、その術者が持つ属性に応じた分身体を作り出す──……謂わば、一つの技術である。


 当然、本来なら単なる魔力の塊でしかない分身ドッペルに意思など存在しない筈だが、この分身ドッペルも──そして、フィンの分身ドッペルも意思がある。


 ちなみに、ダイアナの加護を得たフィンすらも上回る力を持つ狐人ワーフォックス、リエナが生み出す蒼炎の分身ドッペルに、それらの様な意思はない。


 リエナ程の使い手であれば、そのくらいの特異性を持たせる事は出来そうなものだが。



 ……残念ながら、それは出来ない。



 恐るべき魔王コアノルにさえ、それは出来ない。



 何故なら、その技術は勇人が召喚勇者の力として授かっていた魂魄付与ソウルシェアがなければ行使するどころか会得する事さえ不可能であり。


 フィンの分身ドッペルが意思を持っていたのも、フィン自体が勇人の力で顕現していたからだ。


 仮に望子の持つ人形使いパペットマスターの力だけが、ぬいぐるみに影響を与えていたとしたら、それこそこの世界における本来の人形使いパペットマスターと同じ様にぬいぐるみから魔術を放つといった戦法しか取れなかったというのは疑いようもない。


 ……そもそも、この様な危険極まる異世界になど喚び出されてほしくはなかったというのが彼の本音だったが、こうなった以上は肉体全てを滅ぼしてでも力を分け与えておいて良かったのかもしれない、とも思っていた。



 そんな勇人の意思を宿した幻影は今──。



「──……とんでもねぇな、おい……これで幻影だって言われても納得出来ねぇよ……」

「……これでも半分程の筈であるがな」


 かつて勇人と死合った過去を持つ筈の魔王軍幹部、生ける災害リビングカラミティすら目を離せなくなる程の強さを誇る千年前の召喚勇者──……のを以て魔獣や魔物を殲滅していた。


 半分程、というのは比喩でも何でもない。


 今も戦場の中心で全なる邪神と世界が揺れる程の激闘を繰り広げている彼は、およそ半分かそれ以下の魔力しか割いていないのだ。


 尤も、それは彼が撮影フォトと呼ぶ力に限った話ではなく、この世界の人族ヒューマン亜人族デミが行使する分身に割ける魔力は術者の魔力量の半分を超える事はない為、加減などはしていない。


 それでも、この幻影は本体と比べれば遥かに劣り、アザトートには決して及びはせず。


 されど、この世界を生きるほぼ全ての生物を軽々と凌駕する程の強さを有してもいる。



 ──たかが幻影と侮るなかれ。



 全解放リベレイションの状態ゆえか、いつもの望子より格段に上背の高いその六色の背中は、イグノールだけでなく一行全員にそう物語っていた。


 事実、勇人が望子の肉体を通してのみ扱える奇妙かつ途轍もない威力と規模を誇る力を使わずとも、その六つの力で水棲主義アクアプリンシパルや海棲魔獣たちは次から次へと命を散らしており。


《──はは、何だか懐かしいね。 この炎は》


 火化フレアナイズによって顕現した蒼炎の九尾は、まさに津波の如く襲いくる水棲主義アクアプリンシパルを蒸発させ。


《ほら、行っておいで。 有翼虫螻けんぞくたち》

『『『グェエ"ェエエエエッ!!』』』


 風化フレアナイズによって出現した有翼虫螻ビヤーキーは、どう見ても望子の時より凶暴になって魔獣を襲い。


《……を思い出すね、この力は……》


 龍化ドラゴナイズによって変異した両腕は、そっと振るうだけでも空間ごと魔物も魔獣も斬り裂き。


《……これは望子に相応しいのかな……?》


 腐化モルドナイズによって拡散したカビの胞子は、たとえ実体があろうとなかろうと全てを腐らせ。


《……いや、こっちの方が相応しくないか》


 悪化イビルナイズによって展開された闇の魔力は、それを浴びた魔獣たちを魔族化させて傀儡とし。


《そうそう、こういうのこそ相応しいよね》


 水化アクアナイズによって発現した無数の水球は、その神秘的な光景にそぐわず閉じ込めた生命をじわじわと圧縮し、そのまま無に還した──。


 ──……幻影と侮るなかれ、たとえ半分かそれ以下とはいえ先代勇者の影なのだから。


(望子のお父さん──……の分身? が味方で良かったわ……こんなの本当に地獄じゃないの)


 正直どちらも地獄絵図なのではないか、と動力室から視ていたハピが途方に暮れる中。


《全体的に扱いやすいな。 に力を込めてくれた人たちも、その人たちと良好な関係を築けた望子もお手柄だ。 流石は僕の娘だよ》


 当の幻影は、この激しい戦闘を繰り広げる間にも鼻唄なんて鳴らしながら、その小さな小さな立方体に六つの力を込めた様々な者たちや、それらとは年齢どころか種族も異なるのに仲良くなれた愛娘を褒めちぎっている。


 おそらく本体も同じ事を考えている筈。


 自分の肉体を滅ぼしてでも力を分け与える程の親バカなのだから、それも無理はない。


「凄い、本当に凄い……これなら全員──」


 一方、『全員、無事に生還出来るかもしれない』という先程まで抱きかけていた希望が復活しそうになっていた、そんなカナタに。


《──……聖女カナタ》

「ひぁっ、はい!?」

「……」

(あ、あれ? 私にしか聞こえてない……?)


 まさかの幻影から名指しで声がかけられた事により、カナタは心底びっくりしつつも返事をしたが、ポルネは特に反応していない。


 どうやら彼女にしか聞こえてないらしい。


《もう間もなく、あの戦いの中心に辿り着くね。 そうなったら僕の役目は終わりだけど》

「は、はい……?」


 すると幻影は、びっくりするカナタに構う事なく、そして迎撃の手を全く緩める事もなく語り始め、その終章エピローグの様な語り出しに含まれた中身のなさにカナタが困惑していた時。


《──……その後は、どうする?》

「……え? どうする、って──》


 突如、幻影の声が低くなり真剣味も帯びたという事実は、たった一言である筈の『辿り着いた後の行動』という問いかけさえ、カナタの思考を停止させるのに充分すぎた様で。


 およそ数秒にも満たない時間、スッと答えられない彼女を待つ事もしなかった幻影は。


《あの海神蛸ダゴンが一言か二言、声をかけた程度で水の邪神を引き剥がせると思う? そんな訳ないよね、きっと時間がかかる──……で保つとでも思ってるのかな》

「っ、そ、それは……でも……っ」


 そもそも、ポルネの声を届けてヒドラを引き剥がすと一言に言ってもそんな簡単に事が進む訳がなく、もし仮に数時間近くかかるとしたら、この数分程度で消耗寸前となる様な粗末な力しかない君に何が出来るのか──。


 という、ある種の正論をぶつけられてしまったカナタだったが、それでも諦めるなどという選択肢を用意する訳にはいかないのだから、どうにか自分なりに反論しようとする。


《ま、僕から言えるのはそれだけ。 せいぜい努力するといい──

「え? ど、どういう──……あ、あぁ……」


 しかし結局、幻影はカナタからの微かな反論さえ待つ事なく、その姿をまさに陽炎の様にゆらゆらと揺らめかせつつ、ひらひらと片手を振って意味深な事だけ言い残して──。


 ふっ、と役目を終えて完全に姿を消した幻影の向こうに映った景色は、また地獄絵図。


『──……ついに来たか、この領域まで』

《幻影ありきとはいえ、よく頑張ったね》


 赤・青・黄・緑──……そして黒の五色が入り混じり、まるで世界そのものが渦巻いているかの様な戦場の中、巨龍に乗った一行を感情の違うそれぞれの笑みで迎える両者に。


「後は頼むぜ、ポルネ……」

「えぇ、必ず……!!」


 最早、力を使い果たしてヒドラに声を届けるどころではないカリマの頼みに、ポルネは覚悟と決意を秘めた薄紅色の瞳を輝かせた。



 かつての恩人を引き剥がすとりもどす為に──。

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