第328話 針に糸を通す様な──

 ──突入、回避、迎撃。



 実際に言葉にしてみれば、たった数秒もかからずに言い終えてしまえる三つの指示を。


 さも『出来て当たり前だ』と言わんばかりに、そう口にしてのけたローアであったが。


(完遂出来る確率は五分──……いや三分にも満たぬか。 文字通りであるな)


 一行で最も知謀に長けた自分とキューが立てたこの策でさえ、おそらく七割程の確率で失敗し、その末に命を落とすと踏んでいた。


 何せ相手は全なる邪神、千年間も劣化する事なく保ち続ける程の封印を解く為に力を消費した結果、以前とは比べようもなく弱体化してしまった魔王コアノルより遥かに強く。


 たとえ、かつての召喚勇者が全なる邪神と互角以上の戦いを繰り広げられているとしても、その事実が一行の立てた策の出来に及ぼす影響はさして大きくはないのもまた事実。


 そもそも彼女が言う『三分にも満たぬ』というのは、ローアの言葉通りに『策を完遂出来る確率』なのであって、この策が仮に成功した場合に『全員が生還している確率』を算出するとしたら──……それこそ、



 ……まぁ、とは言っても。



(……それもまた一興であるがな)


 どのみち望子が地球へ帰還するには命を落とす必要があるローアにしてみれば、この絶望的な状況も何なら研究の一環として愉しめてしまえるらしく、フライアとヒューゴの死により既に望子を哀しませてしまった後となっては、もう何人かが犠牲になっても大差ないだろう──……と昏い笑みを湛えていた。



 ……あくまでも、いち研究者として。



『グルルゥ……ッ!! ゴギャアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』


 そんな彼女の思案をよそに、ウルたち三人がキューからの魔力と神力の供給を受け続ける事によって恒常的かつ莫大な量の動力を伝達させ、それにより全身に動力という名の蒸気が行き渡った巨龍の咆哮を皮切りに──。


「動力は充分みてぇだなぁ! 振り落とされても拾わねぇからよ! せいぜい気張れやぁ!」

「うむ──……突入せよ」

「言われなくても分かってらぁ!!」

『グオォオオオオオオオオオオオオッ!!』


 すっかり狂気じみた戦闘意欲を取り戻していたイグノールは、その手から数えきれない程の本数を誇る薄紫の糸を改めて龍の全身に這わせ、ローアに言われるまでもなく巨龍の両翼を大きく広げつつ、まるでそれ自体が攻撃であるかの様に凶悪な勢いで放出される蒸気を推進力として──……特攻を開始した。



 その瞬間──。



『『『ヴュオ"ォ!! ヴュゥウ"ア"ァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』』』


 ある程度は予想していた事とはいえ一行の介入を苛烈に拒む全なる邪神の意思が漆黒の波となり、アザトートが勇人ゆうととの戦いにしか主戦力を割けない事を察してか、その筆頭として無数の水棲主義アクアプリンシパルたちが巨龍に牙を剥き。


『『『オ"ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……ッ!!!』』』


 更に、その凶暴な意思を持って襲い来る津波の中を器用に泳ぐ多種多様な海棲の魔獣たちが、ヒドラのそれと同じ様なおぞましくも艶かしい触手を伸ばして、ウルやレプターにも劣らぬ程の威圧感を誇る咆哮を轟かせる。


「早速のお出迎えとは気前が良いじゃねぇかぁ! なるだけ避けてやるから後は何とかしろよ!? 行くぜ三素勇艦デルタイリス! かっとばせぇ!!」

『グルアァアアアアッ!!』


 しかし、そんな魔物や魔獣の威圧や咆哮に怯む生ける災害リビングカラミティではなく、その手から現出された薄紫の糸を巧みに操り特攻を継続する。


 イグノールの精度が向上したのか、それともウルたちが行き渡らせている動力のお陰なのかは定かではないが、イグノールと巨龍との連携は、さも打ち寄せる津波であるかの様な水棲主義アクアプリンシパルの攻撃を何とか躱しきっている。


 無論、最も理想的なのはイグノールの補助がなくとも巨龍自身が全ての攻撃を回避する事だが──流石に、そう上手くはいかない。


 龍如傀儡ドラグリオネットにより姿形だけでなく意思さえも一時的に取得しているとはいえ、そもそも龍風情が全なる邪神の攻撃を躱しきるなど不可能であり、それこそ針に糸を通すかの様な精巧で緻密な動きが求められるのだから──。


 ゆえにこそ、イグノールの操作があっても避けられない攻撃は──……必ず発生する。


 最早、全方位と言っても過言ではない程の範囲で迫り来る漆黒かつ鋭利な津波と、それに紛れて雪崩れ込んでくる海棲魔獣の特攻。


 それらが持つ属性は当然ながら水である筈なのだが、アザトートが四柱の邪神の力を吸収した為か、その中には火や土、風などの本来ありえない属性を武器にする魔獣もおり。


 水に比べると少ないが、だからこそ相当な速度を誇り、それでいて素体が邪神の力である為に、ウルたちの全力にも劣らない威力を持つ三つの属性が今、刃となって襲い来る。


「っ!! 駄目だ、あれは躱せねぇぞ!!」


 それら全てを回避しきるのは不可能だと今までの経験と本能から察した彼の、かなり大きな舌打ち混じりの『何とかしやがれ』という言葉が聞こえてきそうな叫びに対し──。


「カリマ嬢! 余力を残すなどと考えるな! 我らの責務はポルネ嬢を生かす事にある!!」


 ローアは、さも自分たちは捨て石だとでも言わんばかりに──そんなつもりがあったのかはともかくとして──カリマへ呼びかけると同時に、かつて行使した超級魔術を用意。



 その魔術の名は──……闇素変換ダクブースト



 効果範囲内に存在する任意の生物を闇の魔素へと強制的に変化させる、ローア自身が開発したローアにしか行使出来ない超級魔術。


 尤も、殲滅が目的ならば同じ超級魔術である闇菌蔓延ダク・バグが持つ『絶滅』の方が効果的ではあるのだが、あちらは一回の行使につき一種類の生物しか絶滅させる事が出来ず、たった一回で彼女の脳も肉体も死にかける程の反動を受けてしまう為、今回の様に戦闘が長引くかもしれない場合には不向きなのであった。



 ……ちなみに。



 水棲主義アクアプリンシパルを絶滅させる選択肢は──ない。



 今、世界中の海という海全ては全なる邪神の影響下にあり、ローアの憶測ありきとはいえ水棲主義アクアプリンシパルが世界中の海と繋がっている可能性がある以上、水棲主義アクアプリンシパルを絶滅させてしまうと海そのものが消滅し、この世界の存続が危ぶまれる様な事態になるかもしれないから。



 まぁ、そもそも効かないかもしれないが。



「わァッてる! アタシの恋人だぞ!? アタシが命張ッて守ッてやンなきャどうすンだ!」

「……今言う事じゃないでしょ、もう……」


 翻って、カリマはカリマで真剣な表情を浮かべたまま相棒であり恋人であり──何なら殆ど姉妹でもあるポルネに対して改まった告白かの如き叫びを上げ、それを受けた当のポルネは溜息混じりに呆れた様な声で返すも。



 その顔は、もう茹で蛸の様になっていた。



「我輩が可能な限り消滅させる! お主は、かいくぐって来た個体を討つ事に専念せよ!」

「おォよ! 十足乱舞デケムグラディオ!!」


 そんなポルネをよそに、ローアから与えられた戦闘の指示を受けたカリマは、『我輩より前には出るな』という忠告を念頭に置いた上で彼女自身が最も得手とする武技アーツを発動。


「世界に溢るる魔の粒子、地に満ち揺蕩い浮遊する。 その身を費やし──……糧となれ」


 そして、ローアが詠唱とともに懐から闇の魔素から抽出した紫色の液体が入った試験管を取り出し、その液体を今は龍の頭と化している船首の先へと垂らし終えたかと思えば。


『『『オ"、オ"ォォッ!? オ"、ア"ァアアアアアアアアアアアアアアア……ッ!?』』』

「……中々良質な魔素になるものであるな」


 効果範囲内に居た魔獣たちと、その魔獣たちが放った三つの属性を持つ多種多様な攻撃自体も闇の魔素に変換され、そのままローアの身体へ還元される──……その後方では。


「おらおらァ!! 幾らでも来やがれェ!!」

『『『オ"、オ"ォア"ァアアッ!?』』』


 青白く発光する十本の足を刃に変えて、ローアの闇素変換ダクブーストから運良く逃れた魔獣、及び魔獣の攻撃をカリマが残らず殲滅しており。


(凄い、これなら私の出番なんて……)


 このままいけば一行の全員が大きな負傷もなく生還する事も不可能ではないかもしれない──と、カナタは少しばかりの希望を胸に抱いて、その空色の瞳に光を灯していたが。











 ──世の中は、そう甘くは出来ていない。



 それが異世界なら、なおさら──。

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