第326話 千年前の契約
一方その頃──。
動力室からは見える事のない──ハピだけは視えていたし、キューは予測こそしていたが──戦場の景色は、とても一対一の戦いが行われているとは思えない程に荒れている。
《──……やる事が派手だね、いちいち。 そんな事しなくたって逃げやしないのにさぁ》
全く以て焦燥している様子も消耗している様子もない《それ》、召喚勇者はともかく。
『減らず口を……! だが、それもまた心地良い! これが真の戦いというものの刺激か!』
《……暑苦しい》
最早どこからどこまでが本体なのかさえ定かではない、その漆黒の身体の殆どを大海と融合させた全なる邪神、アザトートの力によって戦場は四つの邪なる属性に支配されて。
(……といっても、やっぱり中々厄介だね。 この調子だと今日中には終わらないかもしれないし、そうなると世界への影響が大きくなる)
その影響は、この漆黒の海域から大して距離がある訳でもないヴィンシュ大陸や魔族領にまで及び、そこに住まう生物たちにも決して少なくはない被害を出し始めていたのだ。
《さっさと終わらせたいのは山々だけど》
だからこそ、アザトートとの戦いを早めに終わらせるべきだとは分かっているのだが。
(……絶対に動くなよ、サラーキア。 ここで君が不用意に動けば全てが無に帰してしまう)
互角とはいかずとも、この戦いへの介入自体は出来る筈の水の女神、サラーキアに何故か『動くな』という強い意志を込めた視線を向ける《それ》の覚悟に満ちた表情に対し。
────────────────────
(──……とでも思っているのでしょうね)
サラーキアは、ただ《それ》と全なる邪神が繰り広げる世界を揺るがし崩壊させかねない程の戦いを静観する事しかしておらず、とてもではないが女神としての役割や責任を果たしているとは世辞にも言えないのが現状。
元を辿れば、サラーキアを含む四大元素を司る女神たちから邪神は誕生しているのだから、アザトートと正面切って戦わなければならないのは本来なら彼女である筈なのにだ。
では何故、彼女は微動だにしないのか?
……そこには、二つの理由があった。
一つは単純に、サラーキアが司っていた水の力の殆どを、あの立方体に込めたからだ。
殆どというのは比喩でも何でもなく、もう彼女には女神と呼べる程の力は残ってない。
今のサラーキアは、この世界に喚び出されたばかりの望子が変化させた時の、はっきり言って未熟としか言えないフィンにも劣る。
それだけ、サラーキアは望子に──……というより《それ》の勝利に賭けていたのだ。
……しかし、それでも女神は女神。
単独であの戦いに介入出来ないのかと問われれば──……正直、出来なくはない筈で。
彼女の助力があれば、より早く全なる邪神を討ち滅ぼす事も可能なのではと思うかもしれねいが──残念ながら、そうもいかない。
そこに、もう一つの理由が関わってくる。
──今から、およそ千年以上も前の事。
ある日、唐突に異世界へと召喚されてしまった《それ》──……もとい当時はまだ十八歳だったのちの望子の父親となる青年『
望子と同じく『勇者』としての適性があるからこそ召喚された彼は、すぐさま
その力の名は──……『
生物か非生物であるかさえ問わず自らの魂を分け与え、それが生物であるならば飛躍的な強化を施し、それが非生物であるならば命持つ生物へ変化させるというあり得ない力。
……あり得ては、いけない力。
彼は、そして異世界の人々は、その力を魔術でも武技でもない『魔』族に対抗する為の新たな『法』則──……『魔法』と称した。
まぁ結局は彼しか使えなかった為、次第に歴史から消えていった概念ではあるのだが。
特に不可思議なのは後者の力であり、この力を以て彼は
その一党には最も付き合いが深かった
……これは余談だが、この世界で
そして、およそ数年近くかけて大半の魔族を殲滅し、その主たる魔王コアノル=エルテンスを激闘の末に地下深くへ封印した彼は。
聖女、及び全世界の人々の願いを叶えた事によって元の世界への帰還が可能となった。
全世界の
──……
そう、帰還しようとしたところまではよかったものの──そう上手くはいかなかった。
決して油断などしていなかったし、それこそ慢心などもなかった筈だが、それでも彼は謎の痛みと苦しみに苛まれる事になる──。
闇の魔術とは別に魔族という種が得手とする、おぞましくも凄まじい『呪い』の力で。
……例えば、これが魔王軍幹部や魔王の側近によるものであれば彼も抗えただろうが。
よりにもよって、その呪いの主は恐るべき魔王コアノル=エルテンスが最後の最後に遺していった悪逆無道、残酷非道な置き土産。
その身に受けた者は、たとえ召喚勇者であろうと聖女であろうと必ず死を迎える呪い。
しかして、勇人は嘆く事も怒る事もせず冷静に祈りを捧げ、とある存在に呼びかける。
その存在こそがサラーキアを含めた四大元素を司る女神たちであり、その一部始終を見ていた彼女たちは『自分たちでも解呪は不可能だ』と申し訳なさそうに告げんとしたが。
彼は、ただ一言──……こう口にした。
──どうせ死ぬなら、この命の全てを産まれてくる子供に譲り渡したい。 どうか、その手伝いをしてもらえないか。 お願いだ──
既に自分の命の終わりを悟り、コアノルからの呪いによって死を迎える前に、この命を愛する存在に宿る新たな命に与えたいのだという、この世界の救世主の最期の願い──。
その願いの裏に、『もしも自分と同じ様に異世界へ召喚されてしまった時、父親として少しでも力になりたい』という使命感を感じ取った四柱は、すぐに彼の願いを聞き届け。
本来、
……以前、魔王城にて側近が報告していた召喚勇者の情報の中に、『あの三体の
あれについては望子の
コアノルならともかく、デクストラは魂の形を見抜く力など持ち合わせてないからだ。
望子の
そんな圧倒的な力の一端を手にしたからこそ、ここまで望子の様な幼子でも頑張ってこれたのだというのは、まず間違いない──。
──……まぁ、尤も。
もし本当に彼の子が異世界へ召喚されたとして、その際に四大元素を司る女神たちと見えたとしても、その事実を絶対に子供には伝えず、それを示唆する様な事をしたが最後。
今度こそ彼の意志や人格、魂そのものが完全に消滅する、という条件つきで──だが。
これこそが、サラーキアが今だけは絶対に参戦出来ない、してはいけない理由だった。
今、彼女が参戦すれば『彼の正体を知っていて共闘する』という事になり、おそらく彼の魂は消滅して望子だけが残されてしまう。
そうなれば最早、勝利はなくなるだろう。
……だからこそ彼女は
ちなみに、その後の彼は魂全てを譲り渡した事で呪いによる死を迎える前に消滅し、そんな彼を愛していた存在はその身体に宿る新たな命とともに彼の故郷へ旅立っていった。
以上が、かつての世界の救世主の活躍と顛末──そして水の女神が参戦出来ない理由。
『……千年前から分かっていましたが、やはり私は──……
そんな自嘲気味な水の女神の呟きは、アザトートと勇人が繰り広げる戦いの轟音でかき消されて、ついに誰にも届く事はなかった。
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