第323話 《全解放》
肌を刺す様な──……という生易しい表現では、とても言い表せない《それ》の覇気。
(この重圧……尋常ではない殺意……っ、我輩が先に始末されてしまうやもしれぬな……)
最早、巨龍と化した
何せ、ローアにとっては全なる
……別に、かの存在を軽んじてはいない。
アザトートの力は既にかつての魔王コアノルと同等以上であると彼女には分かっていたし、これ程の圧倒的な力を見せつけられても全く警戒しない様な愚者ではないのだから。
しかし、その代え難い事実を加味しても。
おそらく──……いや、まず間違いなく彼女の目の前の《それ》は、アザトートも今世での魔王コアノルをも遥かに上回っており。
加えて、ほんの少しでも目を逸らせば《それ》は即座にアザトートではなく自分を殺しにくるという事も分かっているからこそ、こうして態勢一つ崩せずにいるのである──。
そんな状態のローアに一切配慮をする事なく、《それ》は直立したまま浮かび上がり。
《──……君が
「……然り」
今まで二度、望子の中から現れた事はあっが、それまで一度も使ってこなかった僕という一人称を使い、《それ》が自分を呼び起こした理由を確信した上で問いかけてきた事により、ローアは緊迫した面持ちで肯定する。
《今の望子では力不足、
すると、《それ》は普段の望子では決して浮かべないだろう真摯な表情のままに、ローアが口にしておらず望子に直接伝えてもいない筈の、アザトートと望子の戦力の彼我を把握し、その首に下げた立方体を指で触れる。
(
それが疑いようのない事実だというのは間違いないものの、仮にも魔王謹製の
《……けれど、これを覚醒させる時に発生する衝撃と反動は大きい。 この子の幼い身体と脳では耐え切れない、だから殺したんだね》
「……全て、お見通しの様であるな」
加えて、ローアが望子を殺さなければならなかった理由すらも看破されては、もう溜息しか出てこず、逆に冷静にさえなってくる。
《君の言いたい事は理解出来る。 でも──》
それを知ってか知らずか、《それ》は優しく語りかける様な声色を以て、ローアへの共感を示したのも束の間、急に笑みをなくし。
《どんな理由があろうと、この子を──僕の愛娘を殺したのは事実。
「……承知した」
いつ、どこで、如何なる理由があろうとも望子を手にかけたのが変えられない事実であり、そして何より望子が地球へ帰還する為の条件を満たす意味でも全てが終われば必ず殺すと宣言した《それ》に、ローアは頷いた。
その条件については彼女自身も随分と前から察していたし、そもそも『お友達』を仕方ないとはいえ殺害してしまった以上、彼女は元より命を以て償うつもりでいたのである。
それは、かつての彼女では決して持ち得ない『贖罪』という感情がゆえであり、これも望子との邂逅と交流が大きかったのだろう。
《……まぁ、まずは邪神からだ。 もう僕の出現には気づいてるだろうけど──せっかくだから挨拶代わりに、これを覚醒させようか》
(! ついに、この眼で……!!)
その後、《それ》は興味なさげにローアから視線を外しつつ、やっとの事で邪神そのものについて言及するとともに、その小さな立方体へと手を伸ばしたのを見たローアは『殺す』と言われた事も忘れて双眸を輝かせる。
……以前、ローアは研究部隊に属する部下たちを
結局、彼女こそが一番の奴隷なのだった。
《望子には少し負担をかける事にはなるけれど、きっと大丈夫。 何と言っても君は──》
そして、《それ》は握りしめた
《──勇者にして、勇者の娘なんだから》
その核心を突く衝撃的な言葉を最後に望子の身体を借りた《それ》は、もう目を開けていられない程に眩く、それでいて優しく温かい閃光に包まれながら浮かび上がっていき。
──そして、次の瞬間。
《──……
光の中からその呟きが聞こえた途端、立方体からは凄まじい程の蒼炎・風・水・闇・カビ・龍の咆哮が竜巻、或いは噴火の様に噴き出し、《それ》の姿も俄かに変化していく。
「お、おぉ……! これが、これこそが──」
その一部始終を決して目を離さない様に凝視していたローアは、これまでにない程の愉悦に満ちた笑みを湛えていたが──ここで。
場面は、イグノールの方へと切り替わる。
────────────────────
──アザトートは、僅かに困惑していた。
(──……やはり他の羽虫とは違う、これまでに
四柱の邪神の力を吸収し、そして現れた全なる邪神は生け贄とも呼べる邪神たちの記憶をも継承しており、そこに映る魔族たちの実力と、たった今この瞬間も彼女と相対している下級魔族の実力が全く噛み合わない事に。
龍と感覚を共有しているからか、イグノール自身も傷だらけになってはいるが、それでも食い下がってくるばかりか僅かにとはいえ自分に傷を与えてくるその魔族は明らかに異質であり、それで彼女は困惑していたのだ。
(……まぁ、とはいえ──)
しかし、それはあくまでも──。
『
『グギュア"ァッ!?』
「ちっ……!」
魔王コアノルを除く、それ以外の雑魚と比較して『異質』というだけだと結論づけた事で困惑を吹き飛ばしたアザトートが放つ漆黒の波動は龍の身体を蝕む様に削り、イグノールは感覚を共有するまでもなく痛痒を抱く。
(やべぇな、こりゃあ……あの
最早、飛行するだけでも厳しい状態であるのは疑いようもなく、イグノール自身が一行で序列二位だと断じたキューと、ついでにハピが二人揃って時間を稼ぐ事しか出来なかったのも無理はなかったのかと漸く納得した。
そして、もう一つ──。
(……
このまま自分一人で戦い抜きたいのは山々ではあるものの、どう考えても事態が好転するとは思えず、その為に必要なのは漆黒に染まった空も海も何もかも吹き飛ばしてしまう様な──勿論、比喩ではなく──力を持つ存在だと、イグノールが舌を打ったその瞬間。
《──『
「っ!? なっ──」
突如、指を打ち鳴らす様な音とともに聞こえてきた何らかの術名の如き呟きに驚いたのと束の間、彼の姿はその場からかき消えて。
《──っと。 よし、上手くいったみたいだ》
つい先程まで彼が居たその場に突如として現れた、蒼炎と翠風の身体、龍と魔族の羽や尻尾、周囲に浮かぶカビの胞子や水の球体といった六つの属性を宿す《それ》を見ても。
『……ふん』
アザトートは特に取り乱す事もなく、ただただ一度鼻を鳴らすだけにとどまっており。
『……漸く顔を出したか──召喚勇者よ』
《僕は会いたくなかったけどね》
そんな風に一言だけの言葉を交わした後。
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