第322話 《それ》は、ついに呼び起こされる

 元の綺麗で整った内観などどこへやら、まるで巨龍の内臓そのままであるかの如く歪になっていた船室での話し合いを終えた一行。


「みこ……? ねぇウル、みこが泣いて──」

「分かってる! だが今はこっちが先だ!』

「でも──……っ、あぁもう分かったよ!』


 ウルとフィンが甲板で膝をつき様々な色の涙を流す、どう見ても普段通りではない望子を気にかけつつも、ローアの指示通りに満身創痍のハピとキューを回収していた一方で。


「──……さて」


 ローアは、ローア自身が口にした『最終工程』とやらに取り掛かるべく、たった今この瞬間も二体の魔族の死を受けてさめざめと涙を流す召喚勇者の方へ、ゆっくり歩み寄る。


『おねえさん、おにいさん……わたしなんかのために……っ、ごめん、ごめんね……っ』


 望子は未だに、その首元に下げた小さな立方体を握り締めながら、そこへ光の粒子となって込められたフライアたちを悼んでいた。



 そんな望子を見たローアの表情は──。



「……」



 ──『無』。



 ……それだけだった。



 哀しみ──という感情が理解出来ない訳ではないし、この少女に対して他の人族に向けるそれとは違う感情を抱いているのも事実。



 しかし、それでも今の彼女の頭の中には。



 望子の中に眠る、《それ》の事しかない。



 今この場にはいない彼女の部下、研究部隊リサーチャーに所属する魔族たちなら分かった事だが、ローアの知的好奇心がある一定の一線を越えると、その事にしか意識が向かなくなり──。



 ──……途端に無口になるのである。



 普段、彼女の興味を惹いたり琴線に触れたりする様な事象があったなら、『くはは』という快活な嗤い声とともに魔族特有の昏い笑みを湛えていたのだから、この状態が異常だというのは最早言うまでもない事であろう。


 とはいえ、いつまでも沈黙を貫いている訳にもいかないのもまた事実であるがゆえに。


「──……ミコ嬢。 すまぬ」

『ぇ──』


 どういう感情からかは不明だが、ローアの珍しく真摯な声音による謝罪が後ろから聞こえてきた事に、それまで何も見ようとせず何も聞こうとしなかった望子はそちらを向く。


 そこには、いつものローアではありえないという他ない、スッと頭を下げて望子やフライアたちへの謝意を示すローアの姿が──。











 ──あるのでは、と望子は思っていた。



 あってほしいとさえ、思っていたのに。



 だが、そこにいたローアの姿は──。



『ろー、ちゃん? なに、それ──』


 かつて、フィンと半ば相討った魔王軍幹部筆頭、ラスガルドが放った闇属性の魔術である闇如翼劔ダクウィンガル──片翼を剣に変えて腕に巻きつける事で対象を両断する魔術を構え、どう見ても望子を始末しようとしている様にしか。



 ……見えなかった。



 先程の『すまぬ』という言葉には、きっとフライアたちへの謝罪の気持ちなんて入っておらず、こうして自分を手にかける事への言葉だったのだと幼いながらに気づいたのも束の間、漆黒の斬撃は望子の眼前にまで迫り。


『な、んで……?」

「……」


 幸か不幸か、あまりの驚きと困惑に痛みを感じる間もなく、その斬撃は望子を薙いだ。


 本来なら魔族風情の魔術など、たとえ上級魔族のものであっても風化エアロナイズ状態の望子には通用しない筈だが、あいにくと今の望子は非常に不安定であり、その効果も稀薄であった。


 いわゆる袈裟斬りの形で斬り伏せられた望子は、ゆっくりと風化エアロナイズを解除させられてしまい、いつもの八歳児の姿となって倒れ伏す。


 ここにウルたちがいれば一切の躊躇なく彼女を殺害しようとするだろうし、そもそも望子への攻撃など絶対に許す事はないだろう。


 しかし、この激戦の中ではウルの嗅覚もフィンの聴覚も感度が悪く、ましてや本調子でもない為か望子の異常には気づけなかった。


 無論、満身創痍のハピも右に同じである。


 唯一、望子が如何なる目に遭うかを予測出来ていた筈の神樹人ドライアド──キューはといえば。


(……今頃、ミコは……ごめんね、ミコ……これは絶対に必要な事だから)


 やはり、ローアによって望子が死を迎えるのは予測済み──……何であれば決定事項だった様で、キューが心の内で謝りつつも自分たちの行いを己の中で正当化する一方。


「キュー! 動かないで! すぐ治すから!」

「だい、じょうぶ……自分で、やるから」

「いいから! じっとしてて!」


 神樹人ドライアドを治した事などないものの、あまりに状態が酷いキューを放っておく事など出来ないカナタは言われた通り、ローアの指示を遂行するべくハピとキューを優先して治し。


 カリマとポルネ──特にポルネの治療を優先的に行い、レプターのみを放置する事に。


(──……ごめんなさい、レプター……本当なら、すぐにでも治してあげたいんだけど……)


 カナタにとって、レプターは最も長く一緒に旅をしてきた仲間かつ友人であり、もし許されるなら最優先で治してあげたかったが。


(……言われちゃうと、ね……)


 レプターを放置する本当の理由──……望子にとっての最期の戦いで、レプターの力が必要になるから今は休ませるべきだと言われてしまえば、カナタとしても嫌とは言えず。


 ベッドに寝かせる事しか出来ないでいた。


────────────────────


 ──閑話休題。



 望子を一撃で殺害したローアはといえば。



(……無事に様であるな)


 目の前でうつ伏せに倒れる望子を見下ろす姿勢から、しゃがみ込む様な姿勢になりながら望子の黒髪を束ねていた髪飾りに触れる。


 それは少し前に、レプターへ髪紐代わりにスカーフを借りていた望子が、その長く美しい髪をどうやって束ねるかと悩んでいた時。


 まるで最初からそうするつもりだったと言わんばかりのタイミングで、ローアが望子にプレゼントしたのが、その髪飾りであった。



 その髪飾りの名は──……『身代インプレイス』。



 正真正銘の魔道具アーティファクトであり、そこに秘められているのは『生涯に一度だけ、自身が負った傷や病を肩代わりする』という効果の恩恵ギフト


 長い生涯で一度しか発動せず、おまけに任意ではなく強制的に発動する為、本来なら非常に扱いづらいと言わざるを得ないのだが。


 そこは研究者の本領発揮、基本的には利点の少ないこの恩恵ギフトを『一度だけ、かつ任意で死を肩代わりする』効果へと恩恵ギフトそのものを造り変えて、その髪飾りに込めたのだった。


 恩恵ギフト自体が神々の気まぐれとはいえ、もう冒涜と揶揄してしまえる程の行為ではある。



 だが、これは絶対に必要なものなのだ。



 何であれば、キューが神樹人ドライアドへの進化を遂げる前、望子が首から下げていた小さな立方体の正体を看破した時から既に、ローアはこの展開を想定し、この髪飾りを渡していた。


 そして先程の『機能している』という彼女の言葉通り、その髪飾りは灰となっていく。


 それこそ生物が火葬された時の様に──。


 それから十数秒、未だ望子は目覚めていないが、これもローアの想定通りである様で。


「──……聞こえているのであろう? ミコ嬢の心の中、魂の奥底に宿りしよ」

「……」


 ローアは望子にではなく、その幼い身体の内に宿っている筈の《それ》に話しかける。


 彼女はもう、《それ》の正体を半ば決め打っており、《それ》が望子と同じく異世界よりの存在だと確信している彼女の言に対し。


 望子の身体は微動だにせず口も利かない。


 当然と言えば当然だろう──この少女は全ての生物へ平等に訪れる死を免れたばかり。


 ローアの細工がなかったとしても、すぐ目覚めろという方が難しいというものである。


「……貴様が目覚めぬというのであれば、それもよい。 さすれば、この少女は──ミコ嬢は、運命之箱アンルーリーダイスの覚醒の反動で避けられぬ死を迎える事となるというだけである」

「……」


 しかし、ローアはぐらぐらと揺れる視界も鳴り響く咆哮や轟音さえも気にかけず、さも脅しをかけるかの様な口調を以て──口調を以て話しかけた。



 そもそも望子を殺害した理由は二つある。



 彼女の言葉通り運命之箱アンルーリーダイスが覚醒を遂げる際に発生する莫大な衝撃、或いは反動を受ける関係上、勇者とはいえ幼い望子の身体では耐え切れないと踏んでいた為、あらかじめ命を絶っておけばいいのでは、というのが一つ。


 そして、もう一つは──身代インプレイスで死を回避した筈なのに目覚める事のない望子を人質に。



 ──《それ》を呼び起こす事にあった。



 まさに今、彼女は後者を目的とした駆け引きをしていたが、それでも微動だにしない。



 ……



(……やはり、間違いはない様であるな)


 ローアは確信していた。


 かつて、《それ》を目の前で見た時に感じたものと同じ力の波動が、ほぼ間違いなく望子の魂の奥底にて動揺や怒気で震えた事を。


 魔族である彼女にはよく分からない感情であるが、おおよその人族や亜人族の親は『命を捨ててでも子を守る』という心理が働き。


 こうして人質に取る様な事をすれば、この様に怒りに打ち震えるという事もあるとか。



 ──……つまり何が言いたいかというと。



 ローアが決め打つ《それ》の正体とは。











 ──血の繋がった、この少女の



 そうでなければ、この湧き出る溶岩の様な反応に説明がつかない──……まぁ、そうでなかったとしたらそれはそれで興味深いが。



 そして、もう一つ確信している事がある。



 数ヶ月前、初めて望子を見た時からずっと抱いていた違和感──……というか


 千年以上も前に見た何かと強く重なる黒髪黒瞳の少女は、その何かと血統を同じくしているのかもしれないとは思っていたのだが。



 それが今、確信へと変わったのだ──。



「……娘を見殺しにしたくなくば──」











「出てくるがいい──……よ」


 決して望子の事ではなく、《それ》を指して告げた『召喚勇者』という役割に対して。











「──……どこまでいっても魔族は魔族。 だと聞いていなければ瞬殺していたよ》

「……っ!!」


 ふわりと明らかに手や足以外の、ましてや一般的な魔力や神力でもない何かによって力なく浮かび上がった望子の口から発せられたのは、かつて聞いた《それ》の口調による。



 明確な敵意と殺意がこもった返答だった。

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