第318話 時間稼ぎか、それとも──

 速度としては、やはりハピの方が速い。



 当然と言えば当然だろう、ぬいぐるみとはいえ梟を象り、そして翼竜プテラノドンの化石を身に纏う彼女は元より空中戦こそが本領なのだから。


 ……しかしながら、キューが遅れをとっているかというと──……そうでもない様だ。


『──……凄いわね、キュー』

「え? 何が?」

『……いえ、何でもないわ』

「そぉ?」


 さも誘導弾ミサイルの如く一直線に空へと昇っていくハピに速度こそ劣れど、キューの背中から生えた二つの蕾からは膨大かつ均等で、おまけに余裕を持たせた神力が放出されている。


 標的に着弾する事を目的とする為、帰途の事など考慮もせずに飛翔する誘導弾ミサイルとは異なり、あくまでも航行が主目的である為、充分な余力を持って飛翔する航空機エアプレーンの如く──。


 それを見抜いていたからこそ、ハピは素直に自分より遥かに優れた彼女を褒めたのだ。


 尤も、ハピの脚には彼女の継戦能力を限りなく高める触媒、羽休止木レストが装着されている為、余力も何もアザトートの下に辿り着く頃には、その魔力は全回復しているだろうが。


 ……三素勇艦デルタイリスは、かなりの距離を落下してはいたものの、ハピたちの上昇速度もまた凄まじく、もう間もなく目的地に到達するというところで──……二人は何かを感知する。


『っ!? これ、フィンを倒した……っ!!』


 その正体は、つい先程フィンを瞬く間に討ち倒してみせた漆黒の水の槍で、それらがの海の中から二人を襲いかかってきた。


「そうだね……でも、

『えっ──』


 尤も、フィンの時と違い感知は出来ていた為、ハピもキューも急加速や急停止を織り交ぜる事で回避自体は容易としていたが、キューは水の槍それ以上の脅威に気づいていた様で。


 くるくると回転しながらの上昇の最中、何の気なしに話を振ってきたキューに釣られて視線を海の方へ向けたハピも──気づいた。



 ……ゆっくり、ゆっくりと。



 海が、元の形に戻ろうとしている事に。



 アザトートが放出した激流の斬撃は直線状であり、その斬撃で海は世界ごと両断するかの様に真っ二つとなっていた筈なのに、いつの間にか円柱状にまでなっていた事に──。



 ……ハピは今、漸く気がついたのだ。



『割れた海が元に戻っていく……!? これじゃあ今も落ちてる望子たちの身が……!!』

「……まぁ割れるなら戻せるよね」

『も、戻って助けに──』


 ゆえにこそ、ハピは何よりも望子の身を案じ、キューは何とか平静を保ちつつも表情にはしっかりと危機感を漂わせ、それを感じ取ったハピが引き返すべく思わず停止するも。


「大丈夫、今頃ローアがキューと同じ考えで動いてくれてる筈だから。 その為にも、キューたちで出来る限り時間を稼ぐ。 いいね?」

『……わ、分かった……急ぎましょう!』

「うん!」


 そんな彼女の心配は、この危機的状況にそぐわない落ち着いた声音で言い聞かせるかの様に諭すキューの言葉で抑えられてしまう。


 その同じ考えとやらがハピには伝わってない以上、完全な心配の解消など出来る筈もないのだが、それはそれとして彼女としても時間稼ぎの駒になるというのは望むところであった為、本望だとばかりに更に速度を上昇。


 それこそキューを置き去りにしかねない程の加速であったものの、キューはキューでハピの後ろにぴったりとくっついて飛ぶ事により螺旋状の空気流に便乗する形で加速する。



 いわゆる、スリップストリームである。



 その甲斐あって、ハピたちは非常に短い時間で円柱状かつ漆黒の滝壺から抜け出しつつも、その更に上の澱んだ空に浮かぶ全なる邪神、アザトートと漸く対面する事が出来た。


 瞬間、彼女は手とも触手ともつかない湿り気を帯びた部位を打ち鳴らす事で拍手して。


『──よくもまぁ這い上がったものだ。 勇者と女神の加護とは、やはり面倒極まりない』

『っ、貴女と会話する気なんてないのよ!』

「右に同じってね! 発射ぁ!!」


 先程と同じく、やはり心にも思っていないだろう称賛の言葉と、おそらくこちらは本心なのだろう勇者や女神を鬱陶しがる侮蔑の言葉を同時に投げかけてきたが、そのどちらでもないハピたちにはそんな言葉は響かない。


 ゆえにこそ、ハピは恐化きょうかの効力で普段とは比べ物にならない程の威力を誇っていた暴風の弾丸──風射ふうしゃに極寒の冷気を乗せて放ち。


 キューもまた、ダイアナの加護によって得た力を存分に発揮し、ここまで飛ぶのに使用していた滞空砲花アンチ・ホバーの蕾を下ではなくアザトートに向ける事で神力の波動を二つ放出する。


 そこらの上級魔族ならば片方だけでも存在ごと消失する様な威力はあった──筈だが。



『──……ふむ、こちらも中々ではある』



 ……アザトートには、届かない。



 いや、正確に言えば届いてはいるものの。



 まるで──……そう、アザトートの下に位置する漆黒の『水』に向けて放てばこうなるだろうという様にのだ。


『な……っ!? い、今の、超級魔術の──』

「『水化アクアナイズ』……? いや、でも──」


 その現象を、まるで望子の扱うの様だとハピが思い至ったのも束の間、即座に『水化アクアナイズ』と呼ばれる火化フレアナイズ風化エアロナイズに並ぶ超級魔術の一つかとキューは推測するも、どうやら何かの要因で違和感を抱いている様子。


 そんな中、ハピの『超級魔術』という言葉と、キューの『水化アクアナイズ』という言葉の両方に憤りを覚えたらしいアザトートは鼻を鳴らし。


『……魔術だと……? その様なと同一視されるのは不愉快だ。 我は全なる邪神、四つの属性を司る邪な神。 自らが負う傷を、この世界のどこにでも存在する事も可能だという事だ』

『な……っ!?』


 人族ヒューマン亜人族デミといった、アザトートにとって下等以外の何物でもない種族が縋る様な技術と、文字通りの神の力を混同される事は不快でしかないと語りつつ、つい先刻の現象は世界のどこかにある『水』に衝撃を移したゆえのものだったと明かされた事で、あまりに話の規模が大きすぎてハピが呆然とする中。


(……だよね。 だって魔力は感じなかったし)


 そもそも、アザトートから一切の魔力を感じ取れなかった以上、彼女が魔術を使ってはいないという事は分かっていたキューとしては、これといって驚いたりしていなかった。


『何よ、それ……じゃあ貴女に攻撃は──』

『そうだとも、通用する訳が──』


 そして少し遅れて状況を理解したハピが僅かに震えつつも零した、アザトートを倒すどころか攻撃の一つさえ加えられないのかという絶望的な呟きに、アザトートは魔族よりも更に昏い笑みを湛えて絶望を突きつけんと。



 ──……した、その時。



「──それ、おかしくない?」

『……何?』


 さも知人に話しかける様な気安い声音で全なる邪神の言葉に疑問を呈したキューに、アザトートは瞬時に笑みを消し二の句を待つ。


「本当に肩代わりさせられるんだったら、あの時のフィンの一撃で多少でも傷を負った事に説明がつかないよ。 そうでしょ? ハピ」

『っ、そう、いえば……』

『……何が言いたい?』


 すると、キューは先程のアザトートとフィンとの一瞬の戦いの際に、たとえかすり傷程度とはいえ負傷した事をどう説明するのかと口にし、それも尤もだと思ったハピが素直に納得する中、アザトートは声音を低くする。



 結局、何が言いたいのか──……と。



「……君は無敵じゃないって事だよ、それが分かっただけでも収穫は大きい。 キューたちの役割は、あくまでも時間稼ぎだけど──」


 その問いに対し、キューは挑戦的かつ挑発的な笑みを浮かべるとともに、この世界で最強格の存在である事に間違いはなくとも、それが無敵であるとは限らないのだと告げ、ついでの様に自分たちの役割を明かしつつも。


「──これなら倒せちゃうかな? ねぇ?」

『え──……っ! ふ、ふふ……っ』


 全なる邪神などという何とも大仰な名を名乗っていても、これなら攻略のしようはありそうだ──……とでも言いたげな、あまりに無謀ともとれるキューの言葉に、ハピは最初こそ呆気に取られていたものの、すぐにキューの言葉に込められた意図を察して微笑み。


『……そう、ね。 思ってたよりは随分とマシなのかしら? 全なる邪神が聞いて呆れるわ』

『……』


 おそらく、アザトートの意識や神力そのものを自分たちにのみ向けさせる為の挑発なのだろうという、キューの意図をしっかり読み取ったハピのやたらと熟れた挑発に、アザトートはただただ無表情と沈黙を貫いたまま。


(……本当に、これでいいのよね? キュー)

(良い感じだよ、ハピ。 多分、今ので──)


 これてよかったのだろうか──そんな不安からくる呟きを風に乗せてキューにのみ届けたところ、キューはこくりと頷きつつも次の行動を指示する為に顔を向けた──その時。











『──愚者が』



 アザトートが、そう静かに呟いただけで。



『っ!? あ"、うっ──』

「! ……!」


 先程のフィンと同じ様に前触れなく、ハピとキューの身体の内側から黒く澱んだ水の槍が飛び出したが、フィンよりは被害が軽微。


 やっぱり──……という言葉からも分かる通り、キューは先見の明でアザトートの次の手を読んでいたものの、それでも完全に回避する事は不可能と分かっており、それを寸前でハピに伝えられたからこその現状だった。


『……己の体内にある、あらゆる液体からの反逆──本来、防ぎようもない一撃の筈。 訪れる死の未来を読んだか、全く賢しい事だ』

「……神樹人ドライアドの力も知ってるとはね……」


 当然ながら、その事実をアザトートは見抜いていた様で、たった今の攻撃についての言及を粛々と行いつつ、キューの属する神樹人ドライアドが持つ未来視にも近い先見の明についての知識をも語り、おそらくは既知そうなのだろうとは思っていても、キューは顔を歪めてしまう。


 尤も、ハピはあらかじめ凍らせても問題ない部位の体液を凍てつかせる事で、キューは体内を満たす樹液や蜜をあの一瞬でなるだけゼロにする事での対策自体は出来ていたし。


(……思ったよりは逆上してない……でも、これでいい。 読み通り、あっちの負担は減るね)


 この絶望的な状況そのものも望子たちの負担を減らすという策の一つである以上、多少の傷やそれに伴う苦痛は耐えて然るべき、というのがキューが出した最終的な結論──。



 ──……ゆえに、ここからは。



「……そう、ここからは──消耗戦だよ」

『……えぇ、せいぜい頑張りましょう』


 ただただ、キューと同じ考えに至っている筈のローアが策を成すまでの時間を稼ぐ為の消耗戦という、希望も何もない戦いに身を投じるしかない、それが唯一の選択肢だった。

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