第314話 その漆黒は、全ての『水』に。
その絶望的な事象が発生した現場にいた者たち以外で、それを真っ先に感知したのは。
「──……ふふ、面白くなってきたのじゃ」
「コアノル様? 如何なさいました?」
「其方にも直に分かるじゃろうて」
「……?」
「──……面倒な事になったねぇ」
「? 何がですか? 店主」
「……いや、何でもないよ」
「そう、ですか? まぁいいですけど……」
かの恐るべき魔王、コアノル=エルテンスと──最強の
両者共に世界最強クラスの力を持つ彼女たちは、それゆえに危機管理能力もまた誰よりも優れたものを持っており、いずれ世界の誰しもが気づく事だとはいえ、やはり頭一つ抜けた存在であるというのは疑いようもない。
ただ、それぞれが抱く感情は大きく違う。
リエナが抱いているのは『煩わしさ』。
(……こんな事になるなら面倒臭がらずに仕留めておけばよかったかねぇ……しくじったよ)
これから世界中の者たちが抱く事になるだろう、『悲壮』や『絶望』といった負の感情とは違う、それらを抱く必要もない程の強者である彼女だからこそ抱き得る感情だった。
千年以上前、四柱の邪神全てと単独で一度は遭遇した事がありながらも、その全てで互角以上の戦いを繰り広げた彼女だからこそ。
(その表情で『何でもない』は無理ない……?)
彼女の見習い弟子であり魔道具店の店員でもあるピアンからすれば、いきなり何某かを面倒臭がる溜息をつかれて驚いた事だろう。
対して、コアノルが抱いているのは──。
──……『愉悦』。
(ローガンの事を言えんのう、このザマでは)
その身に二柱の邪神を取り込んでいるにも拘らず、まるで他人事であるかの様に昏い笑みを湛えて展開を見守らんとする腹積もり。
……実のところ、たった今この瞬間も彼女の中に在る二柱の邪神の力は鎮められてなどいないのだが、それでも少し前の──側近が妙な勘繰りをしていた時よりはマシの様で。
(漸く制御が可能になられたかと思えば──)
あの時の醜態は何処へやら、すっかり普段通りの呆れた様な姿勢を取り戻していたデクストラが浅くない溜息をついた、その瞬間。
──……そう、まさにその瞬間だった。
「──……はっ!?」
デクストラが突如、全く別の方を向いた。
首がちぎれるのではという程の勢いで以て彼女が向いた先にあるのは、常闇でありつつも魔族なら見通せる魔族領の近海が映る窓。
その答えは、窓に──……ではなく。
窓の外に映る、近海の異変にあった──。
前提として、ここ魔族領は先述通り陽の光の一切が届かない程の常闇であり、この世界でも陽の光を反射する事で青く煌めく筈の海を黒く──……というより暗く染めている。
だが、それはあくまでも周囲が真っ暗だから黒く見えるだけであって、根本的には透明かつ無味無臭な水──というところである。
……もし、その性質に何の変化もなかったとしたら、デクストラが反応する筈もない。
ゆえにこそ何かしらの異変があったと逆説的に言えてしまう──……という事なのだ。
では、その変化とは何か──?
「──海が……っ、黒く染まって……!?」
「……漸く気づいたか」
そう、デクストラの言葉通り近海は完全な漆黒に染まっており、それが常闇からくる色ではないと直感で理解した彼女は、その異変とは別にもう一つの謎についても理解する。
「……コアノル様、もしかせずともこれは」
「うむ。 最後の邪神が動いた様じゃの」
「っ、やはり……!」
コアノルが呟いた、『面白くなりそう』というのが十中八九この異変の事を指し、そしてこれを引き起こしたのが水の邪神だとも悟った彼女の声に、コアノルはあっさり肯定。
(……流石はコアノル様……一体全体どの辺りが弱体化しているというのでしょうか……?)
漸く──という発言からも、コアノルは自分などより遥かに早く異変に気づいた事は明白であって、こんな鋭い感覚を持つ彼女のどこが千年前より弱くなっているのかと、デクストラは疑問に思うと同時に自らを恥じる。
やはり自分は、まだまだ魔王コアノル=エルテンスの足元にも及ばないのだと、もっと精進せねば側近として失格ではないか、と。
ただ、誤解のないよう言わせてもらうと。
これでも、そこそこ早く気づいた方だったのだ──……世界中の
────────────────────
……
最初に
その山の名は──……『リフィユ山』。
数ヶ月前、望子たち一行が港町を目指す際に足を踏み入れた地であり、そこには
(お、魚いるなぁ。 池の方の魚は頭領一家の許可がないと食えないし、ここで釣りでも──)
そんな山中の小川に流れる透き通った水を
『『『──ギョオ"ォオオオオッ!!』』』
「う!? うあぁああっ!?」
突如、彼が覗き込んでいた小川を流れる水という水全てが黒く染まるだけでなく、その小川を泳いでいた魚が触手持つ異形となり。
それが彼の方へと飛びかかってきたのだから、この反応もやむなしといったところか。
その異形の魚たちが彼に飛びかかり、そして牙を剥き喰らいつかんとした──その時。
『──グルルォオオオオッ!!』
『『『ギョア"ァッ!?』』』
「へっ!?」
突如、勇ましい咆哮とともに乱入してきた大きな何かの攻撃によって魚たちは飛散し。
元が魚だったとは思えない程のドロドロな液体に成り果ててしまった魚をよそに、その乱入者の方へと彼は勢いよく視線を向ける。
「え、エスプロシオ……っ!?」
『グルルゥ!』
そこにいたのは、かつて望子たちとも会った事があり、何であれば望子をその背に乗せた事もある
更に、そのすぐ後ろからはこの山に棲まう
「──おい大丈夫か!? 怪我はないな!?」
「え、えぇ……頭領、これは一体……?」
そう、今代の頭領であるルド=ガルダからの気遣う声に大丈夫だと返しつつ、とにかく状況が知りたかった彼が問いかけたところ。
「……俺にも分からん、分からんが……どうやら
「は、はいっ!」
「エスプロシオは引き続き見廻りを頼む!」
『グルルァアア!!』
残念ながら自分には分からないが、どうやら先々代の頭領たる彼の祖母が事態を把握しているらしく、それを皆で共有するべく速やかな帰還を促し、二人と一体が飛び立つ中。
「──……本当に、間違いないのね?」
集落の真ん中に立つ巨樹──その天辺にある小屋の中にて、ルドの母親であり先代頭領でもあるレラ=ガルダは、ふかふかの羽毛座布団に羽を休める小鳥に何かを問うていた。
『……あぁ、こりゃあ邪神の仕業だよ。 あの時の黄色い風と似た気配を感じないかい?』
「何となくは……しかし──」
その小鳥こそ、レラの母親でありルドの祖母であり、そして何より先々代頭領でもある
だからといって、おいそれと信じるのは難しい──と抱いて当然の懸念を持つ一方で。
『信じがたいのは分かるよ。 ただね、これと似た様な事態は多分この山以外でも起きてる筈さ。 まぁ、もしかしたらここが最初かもしれないけどね──風の邪神の残滓のせいで』
「そんな……」
『……今は成り行きを見守るしかないね』
スピナは半ば確信を持って、あの様に水が黒く染まり、そこに棲まう魚や虫が異形となる現象は何もこの山だけで起きている訳ではないと語りつつ、もしかすると異変の切っ掛けは風の邪神たるストラの力の残滓が僅かに漂うこの山なのかもしれない──とも語る。
何と、これは──……大正解だった。
覚醒を遂げた『全なる邪神』の中には当然ながらストラの力も混ざっており、その影響で彼女が住処としていたリフィユ山に存在する水という水に、ヒドラとの戦いの場である海域を除き世界で最初に異変が起きたのだ。
……水という水に──とは言ったが。
本当の意味で全てという訳ではなく、こうして
勿論、スピナはその事にもいち早く気がついていたが、その理由自体は不明瞭なまま。
……尤も、それは詮なき事であった。
ヒドラの暴走を憂いたストラの残留思念が働いたがゆえの、一抹の抵抗だったなどと。
言われなければ絶対に分からないから。
そして、スピナの予想通りにリフィユ山の異変を皮切りとして世界全土で『水』が黒く染まり、人々は困惑と恐怖に包まれる──。
この状況を打破出来るのは──ヒドラと対峙している望子を始めとした勇者一行のみ。
しかしながら、そんな勇者一行と魔族たちの身に、これから訪れる事となるのは──。
全なる邪神『アザトート』へ覚醒し、かの四大元素を司る女神たちをも超える力を手に入れたヒドラによる一方的な蹂躙劇だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます