第308話 悪いのは、誰?

 そこからの戦闘は更に苛烈さを増した。



 ヒドラにとって厄介といえる者たちの一部は幻夢境ドリームランドにいるし、こちらにいる面々でいえば、せいぜい人魚マーメイド神樹人ドライアドくらいだと高を括っていた──……そう、括っていたのだが。


 実際に戦闘を始めてみれば人魚マーメイド神樹人ドライアドは勿論の事、風の邪神ストラの姿を模した幼い召喚勇者が思った以上に戦闘慣れしているし──。


 いくら邪神の力が僅かに混じっているとはいえ、そこまでの脅威ではないと断じていた鳥人ハーピィも、一気に強くなった。


(──……恐化きょうか、だったかしら)


 人魚マーメイド鳥人ハーピィと、そして幻夢境ドリームランドにてもう一柱の自分と戦っている人狼ワーウルフが可能としているらしい、どことなく鰐だの蜥蜴だのに似ている気もする怪物の化石を纏う、あの奇妙な力。


(この世界じゃ見た事ないし、あの勇者が住んでた世界の怪物か何かなんでしょうけど……)


 この世界にも似た様な魔獣はいるが、それでも数億年単位で世界の裏側に潜んでいた彼女でさえ骨格が完全に一致する存在を知らない以上、異世界の怪物である筈と推測する。


 ……彼女自身、知らない事を知らないままにしておくのは嫌なタイプの為、出来る事ならば直接聞いておきたくはあるものの、残念ながらそんな悠長な会話をする余裕はない。


『ほーら、そんなんじゃ当たっちゃうよ!』

『……まだ制御が難しいわね、っと!』

『っく、この……!!』


 事実、今この瞬間も殆ど隙間なく撃ち込んでくる弾幕の如き激流と暴風の弾丸を捌き。


『わっ!? あ、ありがとうきゅーちゃん!』

「気にしないで、さぁ頑張ろう!」

『うん! 、おねがい!!』

『っ! それは──』


 その合間合間に大将首──要はあの召喚勇者を狙ってはみるものの、それらはほぼ確実に黄緑色の竜巻に阻まれ、そうでなくとも結界越しの船に根付いた木製かつ球状の繭の様な盾によって完全に勢いを殺されているし。


『『『クェエェエエエエエエエッ!!』』』

有翼虫螻ビヤーキー……っ!!』


 更に、かつては風の邪神ストラ眷属ファミリアだったと記憶している虫の身体に蝙蝠の顔と羽がついた怪物が先の二匹の攻撃の隙間を埋める様にして襲来してくる──……全く以て隙がない。



 とはいえ何一つ打つ手がない訳ではなく。



(逆に考えれば、あの三匹以外──……勇者と亜人族デミたち以外は使えないって事よね。 だったら、これ以上は増えない筈)


 ヒドラの昏い紺碧の瞳には、イグノールが龍如傀儡ドラグリオネットを行使する時に展開するものと同じ様な魔力の糸で、あの二匹と勇者が結びついているのが映っており、そう考えると他の連中にあの力を行使する権利はないのではないか──……というのが彼女の希望的観測だ。



 そして、それは大正解であった。



 ──……ただ。



 繋がってるとは言ったものの、あの二匹と勇者との間には見られない。


 おそらく、あの勇者は人形使いパペットマスターの様なものなのだろうが、それなら術者側から人形パペットへの恒常的な魔力供給が行われている筈で、その様子も痕跡も確認出来ないという事は──。











(──……?)



 ……という不可思議な結論に至る他ない。



 しかし、少なくともあの二匹は幼い勇者に対して絶対の忠誠を誓っている様にも見えるし、それを考えると術者でなければ何なのかという疑問の方が強く浮かび上がってくる。


 この場で答えに辿り着く事は難しいかもしれないが、それでも彼女は正真正銘の邪神。


 知恵に関しても、そこらの人族ヒューマン亜人族デミとは比べ物にならない──……だからこそ、ヒドラは一つの仮説を立てる事で一旦思考を止め、この戦いに集中する事に決めたらしい。



 ──あの勇者以外に、『仲介人』がいる。



 という、あわや妄想間近の仮説を──。



『……さっさと終わらせて──』


 そして、やっと戦いに本腰を入れられると言わんばかりに先程までとは比較にならないドス黒い紺碧の神力を込めた──その瞬間。


『──……え?』


 ヒドラの視界に、つい先程まで脳内で思案していた、あの勇者の姿がない事に気づく。


 一体、何処に──相変わらず自分を仕留めようとしている人魚マーメイド鳥人ハーピィに注意しつつ、ストラを模した忌々しい勇者を探そうとした。



 ──……その時。



『──ぅ、くぁっ!?』


 突如、彼女の巨体が不可視の何かに絡め取られ、ほんの少しの身動きも出来なくなる。



 ……いや、よく見ると不可視ではない。



『ちょっと、じっとしてて……っ!!』

「あんまり動くと絞め殺しちゃうよ?」


 それは黄緑色の風による触れる事すらも叶わない真空の縄と、『呪い宿りミストルト』と呼ばれる寄生樹の黒い根による望子とキューの拘束。


 ほんの一瞬、邪神の思考が戦いから逸れた事に唯一気づいたキューが、それを望子にこっそりと伝える事で、フィンとハピの弾幕の陰に隠れながら接近する事に成功していた。


 邪神の力を譲渡された勇者と、その一行の中では最も神に近い力を持つ神樹人ドライアドによる拘束は、およそ人族ヒューマン亜人族デミでは脱出不可能。



 ……そう、人族ヒューマン亜人族デミだったなら。



『っ、餓鬼共の分際で私を拘束なんて──』


 一行の相手は水の邪神、幾ら勇者と神樹人ドライアドとはいえ経験の浅い二人の拘束程度、ヒドラにとっては文字通りの児戯にも等しく、またしても餓鬼呼ばわりしつつ脱出を試みんと。



 ──……したのだろうが。



『学習しないね、そんなに死にたいの?』

『っ、邪魔するんじゃないわよ!!』

『っと、危な』


 当然ながら、その呼び方を許容出来る筈もないフィンの、まるで音そのものになったかの様な超高速移動からなる激流の斬撃を、ヒドラは一瞬で拘束を抜けつつ何とか回避し。



 キッと望子の方を睨めつけたところ──。



 その表情は、どういう訳か困惑気味で。



『どうして、そんなになの?』

『……はっ?』


 その、ストラと瓜二つの美貌から告げられた、この戦場には全く以て似つかわしくない静かな声音による要領を得ない質問に、ヒドラはこれまでにない程に呆然としてしまう。


 それも無理はないだろう、『何でそんなに怒ってるの』という質問ならまだしも、どうして悲しんでいるのかという的外れな質問を投げかけられるとは思っていなかったから。


『よくわかんないんだけど、わたしのなかのすとらさんが、『もういいよ』って。 『ぼくはこのこにたくしたから』って。 『わるいのは、ぼくたちだったんだ』っていってるの』

『何、ですって……?』


 そんな邪神をよそに望子は、その半透明かつ黄緑色の身体に──正確に言うと胸の辺りに手を当てて、その奥で眠る風の邪神が囁いてきたという、ハッキリ言って『これ以上の戦いは無益だ』という旨の言葉を伝えるも。



 ヒドラの貌は更なる怒りに染まっていく。



『『だから、なんてやめて』っていってる。 かなしそうなのは、それの──』

『っ!!』


 その後に望子から告げられた、『もう復讐は終わりにしよう』という、あくまでもストラからの忠告に対し、ヒドラは目を見開き。


『──貴女に何が分かるのよ!!!』

『ひぅっ!?』


 もう大概の事では怯えなくなっていた望子が思わず慄き、あろう事かフィンやハピさえ攻撃の手を止めてしまう程の怒号で、ここは幻夢境ドリームランドでもないというのに海が黒く染まる。


「い、息が、出来な……っ!」

「何、が……?」

「震えが、止まらない……っ」


 カナタやフライア、ヒューゴなどは最早その絶望的な威圧感に押し潰されかけ、まともに動く事も呼吸する事も難しくなっている。


『『『──……ッ』』』

『『『ヴュ、オ"、オ"ォ……ッ』』』


 ……海神蛸ダゴンたちが主である邪神の覇気にかしずき、そして水棲主義アクアプリンシパルたちが完全に意識を支配されていた為、動きを止めていたのが不幸中の幸い──……と言えるかもしれない。


(……あれが水の邪神の本領、か……?)

(怒ってるなぁ、かなり……)


 動じていなかったのは役割上、動じる訳にいかないレプターと、こうなる事も大体は予想出来ていたキューの二人のみだった──。


『託した!? 復讐をやめろ!? あの娘がそんな事言う筈ない!! 確かにあの娘は私たちの誰より移り気だったかもしれないわ!! けれど、そんな腑抜けた事絶対に言わない!! いい加減な事言うんじゃないわよ糞餓鬼!!』

『で、でもっ──』


 そんな中、青と緑が中心だった体色をドス黒く染め始めたヒドラは、つい先程の望子の言葉──もといストラの言葉を最初から捏造だと決めつけたうえで、とことん罵倒する。


 何億年も一緒に居た自分の方が絶対にストラの事を理解しており、それを前提とすれば望子の言葉は虚言としか思えなかったから。



 ……真実だなどと思いたくなかったから。



 しかしながら望子としては嘘などついておらず、どうにか信じてもらおうと試みるも。


『言うに事欠いて、『ボクたちが悪かったかも』!? そんな事ある筈ないじゃない!!』

「……何が言いたいの?」


 ヒドラは更に、ストラが口にしただなどと曰う、『邪神じぶんたちの非を認める』旨の発言が真実である筈がないと──……邪神じぶんたちが悪いなんて事はありえないと大声で叫び放つ。


 こう言っては何だが、ストラはかなり我儘な性格をしていたゆえ、そんな風に自分が悪いなんて言う筈がないというのが一つ──。


 そもそも、ヒドラは自分が悪い事をしていると微塵も思ってないというのが一つ──。



 つまり、ヒドラは全てに納得していない。



 ……納得する気がないとも言えるが。



 その意図を唯一、何となしにとはいえ理解していたキューは、結局のところ何が言いたいのかという事を代表して邪神に問う──。



 その果実の様な瞳に一切の動揺を見せず。



『ふふ、せっかくだから誰が悪いか教えてあげようかしら!! 悪いのは全部、全部──』


 それを受けたヒドラは、さも我が意を得たりと言わんばかりに昏い笑みを浮かべるとともに、もし自分たちの行為を『悪』だと仮定するなら、その『悪』を遂行する事となった原因は誰にあるのかを高らかに明かそうと。











 ──……



 そう、明かそうとはしていた筈なのだ。



 だが、それは──……叶わなかった。



 何故なら──。



『──……え"、あ"……っ?』



 ヒドラの豊満な胸の辺りから、まるで破城槍の様に鋭く尖った激流の槍が生えたから。



 そして、ヒドラが何事かと振り向く間もなく槍を突き刺した張本人が、重い口を開く。



『……そうですね。 悪いのは全部──』











女神わたしたちと邪神あなたたち。 それだけですから』

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