第293話 水龍の背を駆ける
──二人の体格は、ほぼほぼ変わらない。
僅かに──ほんの僅かにイグノールが上背で勝る程度であり、おそらく筋肉量にも大差はないといえる。
そんな二人を明確に分かつのは──。
──『経験値』。
召喚勇者の
封印される前を含めると、およそ千年以上にもなる
一撃一撃の火力自体は遜色ないとはいっても、それを活かしきる為の経験値の差は埋めようがない──。
火山も顔負けの熱量にも顔色一つ変えない彼女の足下で不規則にうねる波で象られた龍の背は、ウルが一歩、また一歩と踏みしめるたびに高温の蒸気を放ち。
相手が魔王軍幹部でさえなければ、その高温の蒸気からなる火傷だけで倒せてしまうかもしれなかった。
……とはいえ、そんな推定に意味はない。
大事なのは、ウルの目の前に立つ魔王軍幹部──イグノールに彼女の全力が通用するかどうかという事。
現に、イグノールは自分の視界をも覆い尽くす高温の蒸気にも全く動じておらず、それどころか自分たちの戦闘を盛り上げる舞台装置の様にさえ感じており。
「──くぁははは!! やるじゃねぇか
『……っ、褒め言葉にゃあ聞こえねぇなぁ!!』
水で象られた何体もの巨龍を従え、また自分自身にも龍の爪を纏わせた彼の一撃を、ウルは同じく赤熱した
尤も『ミコ程ではない』、『そこそこ』というのは冗談でも何でもなく、そういう意味では戯言と一蹴するのも違う気はするのだが──……それはさておき。
実を言うと、ウルは彼の力の絡繰自体は理解出来ており、か細くも強度があり何とか肉眼で確認可能な薄紫色の糸を切断すれば、さっきから茶々を入れてくる水龍の群れはどうにか出来るという事は知っていた。
だが、それでは全力の魔王軍幹部に勝利したという事にはならない筈だ──との考えから、ウルは只管に水龍が放つ水の砲弾を躱して本体をのみ狙い続ける。
そんな彼女の爪、牙、尻尾──或いは咆哮とともに放出される業炎を以てしてもイグノールは揺るがず。
「悪かねぇ、悪かねぇが──まだ届かねぇなぁ!! そんなんじゃ
『やかましい! その余裕も今のうちだぞこらぁ!!』
互いに大きな傷こそないが、それゆえに小さな傷が目立ってきたウルに対して挑発するかの様な叫びを浴びせた彼を、ウルは忌々しげに睥睨しつつ叫び返す。
最弱の称号──とイグノールは叫んだものの、ウルは未だに自分が勇者一行で最弱だとは思っておらず。
少なくとも、あの聖女カナタには無理だろうというのに『希少性』という一点のみで自分が最弱認定されるのがいまいち納得いかない──それが本音だった。
だからこそ、ウルは決して退く事はない。
彼に最弱を取り消す旨の言を吐かせるまで──。
一方で、
(あの
おそらく不安定な筈の足場を、しっかりと赤熱した脚で踏みしめ駆けてくる
今のところ大きな傷は負っていないが、ほんの少しでも隙を見せれば必ずそこを突いてくる──これでも彼はウルが持つ戦闘の
たとえ、『召喚勇者の所有物だから』だとしても。
また、その一方で彼は別の何かも気にかけており。
(にしても……まだ出てこねぇのか? ここが本当に邪神どもの世界だってんなら出てきてもいい筈だが──)
この世界が邪神の邪神による邪神の為の世界──本当に
……
かつて感じた邪神特有のおどろおどろしい気配は常に感じているが、それはあくまでも初めから感じていた
だからこそ、こうしてウルとの激闘を繰り広げている間にも
(……まさか、あっちに居んのか? そういや、デクストラの奴が何か言ってた様な──……確か、『海の方から大きな怒りを感じる』とか何とか……だとすりゃあ)
その事実から──そして、デクストラが忠告の様に言っていた『海から感じる怒り』とやらから、あちらの世界に邪神が居るのではという結論に至った彼は。
(──気兼ねなく戦えるって事じゃねぇかぁ!!」
『はっ!?』
「おっと。 悪ぃ悪ぃ、こっちの話だ」
『訳の分かんねぇ事を──っ!?』
もう邪神探索に魔力を割く必要もなく、いきなり邪神が姿を現した時の為に警戒心を保ち続ける必要もないと判断して悦び、それが声に出ていた事にも気づかなかったせいで驚いていたウルに対し、イグノールは思ってもいない謝意を述べつつ糸を一箇所に集める。
(だが逆に言やぁ、あっちに残った奴らが邪神と戦う事になるし──そっちの方が愉しいんじゃねぇか……?)
集束する薄紫の糸自体が次第に龍の姿へと変異していく中、
(……そうだな、さっさと終わらせて戻してもらった方がよさそうだ。 そんで次は、いよいよ邪神との──)
『くそっ、
最終的な結論として、『
「『──っ!?』」
二人は、ほぼ同時に何かの強い意思を感じ取った。
その意思とは、まず間違いなく──『怒り』。
……いや、『怨み』や『憎しみ』というべきか。
魔族特有の昏い魔力や気配が霞む程のドス黒い圧力にウルの肌は粟立ち、耳と尻尾が『ぴんっ』と立つ。
イグノールはイグノールで表情にこそ動揺の色は見られないが、それでも消しかけていた警戒心を前面に押し出し、その強い意思の主を探すべく集中し──。
──見つけた。
「──……お前が、そうか」
『あ、あいつが……?』
イグノールが最初に発見した事により、そんな彼に釣られる様にして意思の主を視界に映したウルが、その存在のあまりの異質さに困惑とも恐怖とも違う奇妙な感覚を覚える一方、少し離れた海上に見ゆる主は。
『──初めまして、私はヒドラ。 こちらでもあちらでも全ての水を司る邪神よ。 でも覚える必要はないわ』
「あぁ……? 何が言いてぇんだ」
海藻の様な緑色と茶色の混ざった長い髪を揺らしつつ、カリマやポルネとは比べ物にならない程の触手が生えた下半身で海上に立ち、やたら主張が強く出るところが出た美しい上半身をアピールしながら名乗り。
しかれど、その名を覚える必要はないなどと曰った事で、いまいち要領を得ないイグノールが問い返したところ、ヒドラは一気に怒りの意思を噴出させ──。
『当然でしょう? だって貴方たちなんかに──』
『──冥土の土産はもったいないもの』
此処で必ず始末する──と、そう宣言してみせた。
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