第288話 思い込みの激しい側近

 一方その頃──。



 常闇の地──魔族領の中心に建つ魔王城。



 その内部に、まるで血管のように張り巡らされた長い廊下を歩いている、あまりに美麗な一体の女魔族。



 彼女の名は──デクストラ。



 取りも直さず、かの恐るべき魔王コアノル=エルテンスの側近であり、その麾下にある魔王軍の統率者。



 実質、魔王を除いた最高権力者といったところか。



 そんな彼女は今、予想通りだったとはいえ裏切り者となってしまった魔王軍幹部──生ける災害リビングカラミティとの交信を終え、この衝撃的かつ想定内の事実を報告すべく。


 彼女にとっては主であり産みの親の様なものでもあり、もっと言えば敬愛を超えた依存にも近い感情まで抱いている相手──魔王の寝屋へと歩を進めていた。


(──……悲観する程ではないですが……あれが我が軍の大戦力であったのは疑いようもない事実。 ましてや研究中毒者リサーチジャンキーも完全な勇者の味方となっている以上……)


 そうしている間にも、デクストラの脳内は裏切り者イグノールの事でいっぱい──非常に不本意だが──であり、あの文字通りの大戦力が抜けるだけならまだしも敵に回り、その敵勢力に召喚勇者の友達になっているという研究部隊リサーチャーの主任がいる事を考えると、もう頭が痛い。


 正直、幹部でも何でもないローガンの事など記憶の隅にでも置いておけばいいと思うかもしれないが、デクストラとしてはそうもいかない理由があった──。


 そもそも彼女がローガンをガナシア大陸まで左遷させたのは、ローガンの研究内容や存在そのものがコアノルの治める魔王軍──延いては魔族領に相応しくないと判断したから、という事になってはいるものの。


 実のところ、コアノルの力を直に注がれていない同胞の中で、ローガンの力が頭一つ抜きん出ているだけでなく、デクストラや三幹部たちに手を出せない事を考慮しないなら魔王軍の中でも最上位だという事を。



 デクストラが知っていたからに他ならず──。



 それゆえ彼女は、ローガンが自分たちにとっての脅威とならぬ様に遠く離れた地へ左遷させたのだった。


(……先触れに懲罰部隊エクスキューショナーを──……いえ、そんな事をしても無駄に戦力を消費してしまうだけですよね……)


 その認めがたい事実を考慮すると、もう間もなく魔族領を訪れるであろう勇者一行の戦力を削る為の先触れも無意味だろうし、それならば城の護りに専念させた方が幾分か有益な筈だ──と思いとどまる一方で。


(何はともあれ、まずは報告ですね。 あれの背信行為を、コアノル様が如何様いかように思われるか──……うん?)


 こういった事は我が魔王マイロードを交えて考えるべきだという結論に至った彼女は、やっと見えてきたコアノルの寝屋の堅牢な扉の前に立ちつつ、その向こうで眠っているかもしれない魔王に声をかけんとした、その時。











「──……っ、ぅ、く……はぁ……っ」

「っ!?」


 扉の向こうから聞こえてきた、やたらと艶っぽく思えるコアノルの呻き声にデクストラは思考が止まる。


(……い、今の声は……? も、もう少し近くで──)


 呻き声──というか喘ぎ声にしか聞こえなかった為であり、どれだけ控えめに見ても失礼で無様極まる行為だと分かっていても、デクストラは扉に耳を当て。



 もう一度、先程の声の聞きたさあまりに集中した。



「は、あぁ……っ! ふ、く、うぅ……っ」

「……!!」


 そんな彼女の色欲たっぷりな想いは結実し、その扉の向こうからは先程よりも更に悩ましい艶声が聞こえてきた事により、デクストラの所感は確信へ変わる。



(も、もしかせずとも──……、ですよね……?)



 コアノルは、を──をしていると。



 何なら、こう──……水音っぽいのも聞こえるし。



 これまで、およそ百年──……かの召喚勇者に封印される以前も含めるのなら千年以上も仕えてきたが。



 そういった情事に耽る事など一度もなかった筈。



 ……ちなみに自分は何度か──というより何度もあるし、それは大抵コアノルを想っての行為コトなのだが。


(何か……心境の変化でもあったのでしょうか──)


 それはそれとして、どうして今になって独り遊びなどに興じる様になったのかが全く思い当たらず、その聡明な頭を魔王の情事の事情に特化させて働かせる。


(最も大きな可能性としては──……非常に忌々しいですが、あの幼い勇者を想ってというところですね……)


 真っ先に思い至ったのは、あの幼い召喚勇者──望子が間もなく魔族領を訪れるという事もあって、コアノルの心が昂ってしまったがゆえ、という事である。



 認めたくはないが──おそらく、そうなのだろう。



(……私では駄目なのでしょうか──……いや、そんな事はない筈……私の方が、コアノル様と長く共に……)


 コアノルは、『美しい物』より『可愛い物』を好む傾向にある──というのは彼女としても理解はしているものの、だからといって納得しきれる事ではなく。


 千年以上も傍にいる自分を差し置いて、ぽっと出の八歳児を興奮材料に使うなど我慢ならなかったのだ。



 ならば、どうするか──。



(……そう、そうですよ……それなら私が……お、お手伝いして差し上げれば良いんです──……よ、よしっ)


 興奮材料を飛び越えて、『独り遊び』のをすれば良いのでは──という普段の冷静で冷徹な彼女の考える事とは思えない、ぶっ飛んだ発想を基にして。


「……っ、こ、コアノル様っ! 宜しければ──」


 本来なら、ノックもせずに入室するなど不敬な行動だと分かっている筈だが、もう辛抱出来ないとばかりに勢いよく扉を開いた彼女の視界に映ったのは──。











「──……え……?」



 褐色の頬を上気させ、その艶やかな唇から喘ぎ声を漏らして独り遊びに耽る魔王コアノル=エルテンス。



 ──ではなく。



「──……っ、くぅ……? デクストラ、か……っ」

「こ、コアノル様……? その、お姿は……」

「……これ、は──……ぐっ」

「だ、大丈夫ですか!?」



 何故か、コアノルかどうかも疑わしい程に身長が伸びており、デクストラとの差が殆どなくなっていたコアノルの全身という全身が、まるで溶岩の如き粘度を持つ業炎に苛まれている、あまりに想定外な光景で。



 心配の言葉よりも先に疑念の言葉が口をついてしまったデクストラの声に、どうやらコアノルではあるらしい彼女は姿が変わっても美しさやあどけなさは変わらないその表情を苦悶の色に染めつつも口を開いた。



「……妾の中で、邪神どもが暴れておるのじゃ……」

「な……っ!?」



 またも想定外の科白に、デクストラは驚愕する。



 ……今のコアノルを見て納得出来てしまったから。



 烽火連天──火の邪神、アグナの力と。



 変幻自在──土の邪神、ナイラの力が。



 コアノルの中で確かに暴れているのだと──。

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