第286話 さらば、ヴィンシュ大陸

 それから、また三日程が経過した早朝──。



 ヴィンシュ大陸へ訪れた際に錨を下ろした場所であり、そして何より生ける災害との戦いの場でもある岬には、カナタが修復した事により造船直後の様な状態になっていた蒸気帆船──三素勇艦デルタイリスが停泊しており。


 まだ錨を上げていない事を除けば、いつでも航海に出られる準備を既に済ませている大きな船の前には。


 これからヴィンシュ大陸を旅立って、かの恐るべき魔王が待つ魔族たちの本拠地である魔族領へと向かうべく集合した望子を始めとした召喚勇者一行と、その一行の見送りに来ていた漁村の民が顔を揃えていた。


「──……いよいよ、かの地へ旅立つのじゃな」

「うん。 いろいろ、おせわになりました」


 そんな中、村民たちの代表と言って差し支えない村長のウォルクが、どうにも以前より覚束ない足取りで集団の前に出つつ、そこまで離れている訳でもない魔族領を文字通り遠目に視ながら感慨深そうに呟き、それを受けた望子は行儀良く頭を下げて謝意を述べる。


 現に、もう一ヶ月近くも厄介になっていた事もあって、フィン、キュー、そして望子の朗らか三人組を始めとした一行は、かなり村民たちと懇意になっていた様で、この謝意の言葉に多くの村民が笑みを湛えた。


「何、構わんよ。 お主は、お主らは──」


 また、メイドリアの者たちと懇意になった事により発生した弊害──とまでは言わないが、これからウォルクが口にする事を全員が把握してしまったらしい。



 一体それが何なのかと問われれば──。











「──この世界の希望なのじゃからのう」

「……うん、がんばる」



 ──……そう。



 ほぼ同じどころか、それ以上に長く滞在していたドルーカの街では、リエナたちの協力もあってその他大勢にバレる事はなかったが、『港町』から『漁村』へと格も規模も落ちてしまったこの地では情報が広まるのも一瞬──隠し切る事は、もう出来なかったのだ。


 こんな幼い少女が勇者だと、どうして全員が信じてくれたのか──という疑問もあろうが、やはりヴィンシュ大陸を十年近くも荒らし続けた生ける災害リビングカラミティを退けてみせたという大きすぎる功績が影響していた様で。


 メイドリアの民は男女問わず皆、幼い勇者に期待せずにはいられない──というのが現在の状況だった。



 ……心なしか目もキラキラしている様に見えるし。



「ほっほっ──……っとと」

「あっ──」


 そんな彼ら、もしくは彼女らを微笑ましげに見てから再び望子へと視線を戻そうとしたウォルクは、これといって段差や傾斜がある訳でもないのに躓きかけ。


「おいおい村長、大丈夫か? あんた、──」

「……うむ、もうなのじゃろうな」

「……やっぱり? 間もなく……? 何かあったのか」


 危うく地面に倒れ込む寸前という彼を望子が魔術で支えようとするより早く、こうなる事を予測したうえで速やかに支えてみせたクァーロの『やっぱり』、そしてウォルクが遠い目をして呟いた『間もなく』という言葉に引っかかりを覚えたウルが疑問を口にする。


 すると、クァーロは『話していいか』と目線で確認を取ってから、『実はな』と前置きしつつ口を開き。


遠視ルクファーの欠陥で、『完全な視力の喪失』が忍び寄って来てるらしいぜ。 まぁ本人にしか分かんねぇ事だが」

「視力の喪失──……何とかならないの?」


 以前にも話していた、ウォルクが授かっている恩恵ギフトである遠視ルクファーの欠陥──いずれ来る視力の喪失が、もう間もなく迫ってきているらしいと明かし、それを聞いたハピは自らが途方もない超視力を有している事もあって他人事とは思えず、カナタやファルマを見るも。


「「……」」


 ……二人は、ほぼ同時に首を横に振ってみせる。


「……恩恵ギフトの欠陥による障害の治癒は不可能なんだ」

「治療術も回復薬ポーションも、キューの神力も効かないねー」

「……そりャあ気の毒だなァ」

「あまり気を落とさないで──なんて気休めよね」


 それもその筈、レプターとキューの言葉通り恩恵ギフトの欠陥によって発生する身体への障害は、どんなに優れた神官の治療術でも如何なる効能を持った回復薬ポーションでも治る事はなく、きっと聖女じぶんでも不可能だと直感で理解していたからこそカナタは首を横に振り、またカリマやポルネは割と本気で老人に同情の意を示していた。


 もし、ある日突然──恋人の顔や姿が見えなくなってしまったらと考えると恐ろしくて仕方ないからだ。



 ……恩恵ギフトは神々の気まぐれとも称されているのだから、キューの神力なら或いはと思うかもしれないが。



 気まぐれだからこそ、どうにもならないのだ。



 神々は、その欠陥の治し方を考えてもいないから。



 授けた神々が治し方を考えていないなら、そもそも治し方など世界の何処にも存在しない──という事。


「わ、わたしの、せい……?」


 そんな中、望子は望子でウォルクの視力喪失の原因が恩恵ギフトだとは分かっていても、もしや自分が落としかけた隕石が切っ掛けになってはいないかと邪推しており、おろおろとした様子でウォルクを見上げる──。



 ──勿論、望子は何も悪くないし。



 恩恵ギフトの欠陥が原因なのは誰の目にも明らかである。



 ……が、しかし。



 星と星の衝突──などという神々でさえ多少なり本気を出さなければ成し得ない現象を、ウォルクが遠視ルクファーを通して視ていた事が彼に何の影響も及ぼさなかったかと言われると、ハッキリした事は誰にも言えない。



 望子が──星見龍スターゲイズ・ドラゴンの力が原因の可能性もある。



遠視ルクファーもそうじゃが、『恩恵ギフトの欠陥』からは絶対に逃れられん。 もう、とうに晩年を迎えた身である事を幸運に思わねばならぬくらいにはの。 じゃから気にする事はない、お主はお主の目的の為に頑張るのじゃぞ」

「……っ、うん!」


 しかし、ウォルク自身は視力の喪失が完全に恩恵ギフトの欠陥だけが原因だと確信しているらしく、『そんな事はないぞ』を前置きしたうえで、どのみち老い先短いのだから何も気にする事はないと口にしつつ、その骨張った細い手で撫でた事で、やっと望子も安堵した。


「皆さん、よければこちらを受け取ってください」

「これは──……っ!? もしかして!?」

「それ何? 薬?」


 一方、ウォルクやクァーロとともに村民たちの前に出ていたファルマは、その足下に用意していた木製の箱を差し出すとともに、カナタを始めとした一行に中身を見せる様に蓋を開くと、その中には鮮やかな黄緑色に発光する液体が瓶詰めされており、それを見たカナタは他の面々とは異なる驚きの反応を見せている。



 その正体に気がついていたのは、カナタとキュー。



 そして、この中でも特に豊富な知識を持つ魔族。



「──霊薬エリクサー回復薬ポーションや治療術では足らない程の傷や病を、さも最初から苛まれてなどいなかったかの様に癒やしてしまうという回復薬ポーションの完全上位互換にあたる代物である。 よもやファルマ嬢、お主がこれを……?」


 ローアは、その液体を回復薬ポーションの完全上位互換と呼んで差し支えない代物──霊薬エリクサーと呼ばれるものだと看破しており、それを自分で製薬出来ない事を散々試して把握したからこそ、まさかファルマがと確認すると。


「……これでも、ダイアナ様のご加護を賜った身ですから。 人数分とはいきませんが、お受け取り下さい」

「……ありがとう、ファルマ。 大事に使うわね」


 ファルマは、ダイアナから授かった加護の存在を誇らしげに噛み締めるとともに、その五つの霊薬エリクサーが入った小さな箱をカナタに手渡し、『同行出来ない代わりに』と付け加えた事で、カナタは心から感謝を告げて箱を受け取り、ファルマと握手を交わしたのだった。



 ……尤も、この霊薬エリクサーでも恩恵ギフトの欠陥は治らないが。



 そして、いよいよ旅立ちの時──。



 この場に居合わせていない三体の魔族たちは、フィンが『先に船に乗っててね』と声を飛ばした事で既に乗り込んでおり──もう準備は万端といったところ。


「──ミコ。 そして、その仲間たちよ。 お主らであれば、きっと魔王をも討ち倒せるじゃろうが……救ってくれとまでは言わぬ。 お主らも無事でいるのじゃぞ」

「うん! ありがとう! みんな、またね!」


 最後に一言とばかりに告げられた、ウォルクからの激励と祈願を兼ねた言葉を受けた望子は、メイドリアの民からの声援に応える様に手を振りながら礼を述べて、それを最後に三素勇艦デルタイリスは汽笛を鳴らして出航し。


 水平線の向こうへ──ではなく、ヴィンシュ大陸を沿う様に航海するべく大きく周りつつ海を往く蒸気帆船を、メイドリアの民は見えなくなるまで見送った。


────────────────────────


 以下、三素勇艦デルタイリスの内部でのやりとりである──。



「──いぐさん! かってにたべちゃだめでしょ!」

「わ、悪ぃ、腹減っちまってよぉ……」

「意地汚いよねぇ、魔族って──」

「いるかさんもたべてるじゃん!」

「や、やっぱ誤魔化せないかぁ……」


 まだ夕食が出来上がってもいないのに、つまみ食いをしたイグノールとフィンを語気を強めて叱る望子。


「……あれって、いつもあんな感じなの?」

「え、えぇ、まぁ……そう、みたいですね……」

「……粗野なところは、うちのカリマに通ずるわね」


 そんな魔王軍幹部の体たらくは何も今に始まった事ではないと苦笑いで答えるフライアの言葉に、どうしようもないくらい呆れてしまっていたハピとポルネ。


「ふむ、これが霊薬エリクサー……解析したいところであるが」

「駄目だよ、これはファルマがくれたんだから」

「……どンだけ知識欲深ェンだよ、オマエ」


 ファルマに貰った霊薬エリクサーが気になって気になって仕方ないローアを、どうにかして諌めるキューとカリマ。


「……観測部隊ゲイザーって、どこまで覗いてたんですか?」

「い、いえ! 聖女様に関しては、そこまで──」

「……じゃあ、あの子は覗いてたんですね」

「っ!? いえ、そんな──」


 ヒューゴが望子専門の観測部隊ゲイザーと聞いて、よもや見てはいけない部分まで──と邪推した結果、彼への強い嫌悪感を隠す事もしなくなったカナタ、などなど。


「……改めて、よく分かんねぇ組み合わせだよなぁ」

「確かにな。 だが、これでこそだ。 まさに──」


 ウルの一言に込められている通り、この船の中では人族から亜人族──果ては魔族までもが仲良さげにしており、そこに関してはレプターも同意見であったものの、この状況こそが望子を始めとした自分たちに。











「──奇想天外ユニークの名に相応しいじゃないか」

「あぁ、そう──……あ?」

「ん?」


 召喚勇者兼冒険者一党パーティ──奇想天外ユニークに相応しいと語り、それを受けたウルは『そうだな』と返そうとしたのだろうが、そのまま疑問符のついた声を上げつつ。


「……そういや、そんな名前だったな」


 冒険者らしい活動など殆どしていないのだから無理もないが、どうやら完全に忘れていたらしい自分たちの一党パーティの名を改めて噛み締めていたウルに対し──。


「……最終決戦直前だ、しっかりしてほしいんだが」

「うっ、うるせぇよ!」


 レプターは心底呆れた様に溜息を溢しつつも、どこか楽しげな苦笑いを浮かべており、それを分かっているからかウルも砕けた態度で彼女の肩を叩いていた。



 こうして勇者一行は、ついに魔族領へ向かう──。











 その道中、更なる刺客が襲い来る事も知らずに。

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