第281話 佳境、龍化VS恐化

 かの亡龍の姿──とは言ったものの。



 正確に言うと、あの時の龍とは異なる部分も多い。



 一つは、その大きさ。



 かの亡龍は一般的な体格の人族ヒューマン亜人族デミが百人乗っても大丈夫そうな程の巨体だったが、こうして望子が変異した龍は何とか十人弱といった大きさしかない。


 加えて、かの龍は露骨に『怪獣』といった表現が似合う大きな顎や爪、牙などを有していたものの、ウルの目の前に現れたのは、あの時の龍を可能な限り細身にした感じの儚い美しささえ思わせる純白の龍──。



 それでも、いざ目の前にしてみれば上背の高さや翼を開いた時の大きさ──いわゆる翼開長の大きさもあって威圧感が半端ではない様で、それを踏まえるとウルの動揺や焦燥も決して嘘や冗談ではないと分かる。



 更に言えば、その外見。



 望子が変異した龍を『亡龍』と称さないのは、あの龍との区別をつける為というだけではなく、その身体は間違いなく生きておりカビも生えていないからだ。


 それは、かつての召喚勇者の仲間だった頃の姿なのだが、それを知るのは生ける災害リビングカラミティ研究中毒者リサーチジャンキーのみ。


 どこか荘厳ささえ思わせる龍の姿に、ウルだけでなく彼女を除いた勇者一行全員も、そしてあろう事かフライアやヒューゴまでもが思わず目を奪われていた。


 しかし、このまま睨み合っていても仕方ないと判断したウルは、『すーっ』と気持ちを整える目的の深呼吸をしつつ、おぞましさなど微塵もない龍を見据え。


「──……お前、ミコでいいんだよな」


 目の前で変異したのだから当然だというのは分かっていても、ラスガルドとの戦いの時や、ウルは見てないが風の邪神との戦いにも顔を出したらしい『望子の中にいる何か』が乗っ取ってはいまいかと確認する。


『ソウダケド──アァ、コノミタメジャシカタナイヨネ。 ダイジョウブ、チャントワタシダヨ。 ミコダヨ』

「そ、そうか……それなら──」


 されど、ウルの邪推に反して望子は細長い龍の首を横に振りつつ、どうにも全く形状の異なる声帯を用いて無理やり人の声を出している様にしか聞こえない雑音混じりの声で『大丈夫、望子だよ』と主張するも。


(……いや良くはねぇだろ……! あん時の龍より小せぇが圧が段違いだ、どう見ても、さっきまでより──)


 それなら良かった──などと安堵出来る様な状況である筈もなく、つい数瞬前までは少女相応の大きさだったというのに今や自分を見下ろしている龍から発せられる威圧感を思うと、もう勝機など全く見えない。



 少なくとも、では──だが。



「──ぉ、おおぉ……! 素晴らしい! 素晴らしいの一言に尽きるのである! 多少の差異こそあれ、あの姿はかつて召喚勇者の仲間であった龍そのもの……!」

「……おい、おいおいおい! 凄ぇなぁミコ!! しかも、あん時の奴より小せぇのに強そうじゃねぇか!」


 一方、望子の力の成長に目が離せない様子のローアとイグノールが、これでもかという程の愉悦たっぷりな表情と声音を以て、あわや二人の間に割り込まんとする勢いでわいわいがやがやと愉しそうに騒ぐ中で。


(……確かに魔術は想像力をこそ武器とする力だ、それは龍化ドラゴナイズだって例外じゃない……けど、たった一つの決意でここまでの変化が……? これが召喚勇者の──)


 下手な上級よりも知能の高いヒューゴは、その知能の高さが災いしたのか目の前で起きている現象を、ローアやイグノールの様に素直に見ている事が出来ず。


 いくら想像力こそが武器だとしても、たった一つやそこらの決意や覚悟でここまで大きく変化を遂げるものなのか──と改めて召喚勇者の脅威度を、そして何より異常さを目の当たりにさせられていたのだった。


『──……ツヅキ、シヨッカ。 オオカミサン』

「……っ!!」


 そんな風に外野が一喜一憂しているのをよそに、その無垢な瞳を向けつつ戦いを続けようと声をかけてきた望子に、ウルは思わず警戒から臨戦態勢を整えて。


(……死ぬ気でやらなきゃ殺される──はは、こんな事思ったのは魔王軍幹部筆頭ラスガルドと戦った時以来か……?)


 かつて、かの魔王軍幹部と対峙した時にも本能的に悟った、『死ぬ気でやらなきゃ殺される』──なんて感覚を、まさか望子相手に悟る事になるとは思ってもおらず、そんな乾いた笑いを図らずも溢していた時。


「──……ねー、ウルー」

「あ!?」


 突如、蚊帳の外からかけられた緊張感のない声の方を向くと、そこには尾鰭を折り曲げて正座の様な姿勢で座るフィンがおり、ウルが反応を見せるやいなや。


「あれ、使ってみたら? 恐化きょうか

「っ!? いや、あれは──」


 フィンが提案してきたのは、イグノールとの戦いの終盤でもウルが──というか、ウルを始めとした望子のぬいぐるみたち三人が行使した切り札であるところの恐化きょうかの行使だった様だが、ウルはこれを拒否する。



 ……無理もないだろう。



 過去に二度、恐化きょうかを行使したという事自体は記憶にあるものの、どういう戦いをしたかは全く覚えておらず、おまけに先のイグノールとの戦いで提案してきている張本人が暴走する姿を見せられていたのだから。


「大丈夫大丈夫。 神の加護があるから、きっと暴走はしないよ──知らないけどね。 キューはどう思う?」

「うん? あー、いーんじゃない? やってみよーよ」

「お、お前らなぁ……!!」


 だが、そんなウルの杞憂など何処吹く風といった具合のフィンは、そのまま彼女と同意見であるらしいキューへと話を振り、キューはキューで何とも他人事の様に取り敢えず使ってみようよと告げてきた為に、この際だから物申してやると牙を剥き出す一方で──。


「……って言うか──」

「うん、きっと──」


 次の瞬間、途端に真剣なものへ表情や声音を変化させた二人は互いに顔を見合わせ頷いてから──一言。


「「──やらなきゃ死ぬよ?」」

「な"っ……!!」


 二人の共通の認識であるらしい、『どのみち使わないなら死ぬだけだ』という事実を突きつけられたウルは思わず吃りながらも──その口を閉ざしてしまう。


(……あいつらの言う事は間違っちゃいねぇ……このまま挑んでもボロ雑巾みてぇにされるだけ──だったら一か八かの賭けに出るしかねぇじゃねぇか……!!)


 何故か──と問うまでもなく二人の発言は紛う事なき事実であり、この姿のまま挑んだところで敗北は必至であるし、そもそも命を落とす可能性だってあるのだから使わざるを得ないのだと分かっていたからだ。


「──……ミコ。 こっからは、あたしも本気でいくからな。 泣いて謝っても……いや泣いて謝るくらいの怪我させちまったら死んで詫びるが、とにかく全力だ」

『……ン? ウン──……ウン?』


 だからこそ、ウルは初めて恐化きょうかを──あの時は恐化きょうかという名すらなかったが──行使した時と同じ様に姿勢を低くし如何にも獣といった四つん這いのまま望子に対して本気で戦い、されど傷つけたくはないから不味いと思ったら取り止めだという旨を遠回しに告げたが為、望子は龍の首をかしげてしまっていたものの。


 そんな望子を尻目に、ウルの身体を中心として煌々と輝く真紅の魔力が集束していくだけでなく、その真紅の魔力は次第に何かの骨の様な形状となっていき。


「いくぜ──……恐化きょうか!!」


 意を決して魔術名を叫んだ瞬間、骨の形を為していた魔力全てがウルの身体に鎧の如く纏わりついて、それは段々とウルよりも少しだけ大きな怪物を形取り。


(……これ、は……!? あん時とは違ぇな、この化け物じみた力があたしの支配下にあるのを感じる……!)


 少なくとも、イグノールとの戦いで暴走した自覚はあったウルだったが、おそらく神の加護とやらの影響で、これ自体が破壊の意思を持つとまで思っていた魔術が支配下にある事を理解し、ウルは笑みを浮かべ。


「これ、なら──……ル、アァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』

『……!!』


 鼓膜どころか大気をも震わせる咆哮とともに、その身体に半透明で真紅の魔力によって作られた暴君龍ティラノサウルスの化石を纏う、ウルの姿が皆の前に現れたのだった。


 およそ大陸一つを揺らそうかという大咆哮が放たれた事で、もう余程の事では驚かないだろうと子供ながらに思っていた望子も思わず龍の瞳を見開いており。


「あン時の怪物の骨を纏ッてやがンのか……!?」

「震えが、止まらない……一体どれ程の……っ」


 その大きさ自体は、あの暴走時より遥かに劣るというのに今のウルから感じる覇気や威圧感は明らかに強まっている様にしか思えず、カリマやポルネはウルが骨とともに纏う業炎により本来なら熱を感じる筈だというのに、どういう訳か寒気や震えに襲われていた。


 生物である以上、決して逃れる事は出来ない根源的な恐怖によるものだろう──と自覚していてもなお。


 ちなみに、この戦場には──というか二人と一行の間には神の加護により遥かに強くなったレプターが行使する一言之守パラディナイトが小規模で展開されているが、それでも熱や覇気は僅かに一言之守パラディナイトを突き抜けている様だ。


 イグノールの言う一行の序列で言えば、レプターとウルの間には七位と十位という僅かな差しかないのだから、まぁ当然と言えば当然なのかもしれない──。


「やっぱり、ボクのと似た感じになって──美味うまっ」

「お母さんの加護のお陰だね! うーん美味しい!」


 その一方、特に恐怖も寒気も感じていない様子のフィンとキューが、されど業炎による熱には我慢ならないのか、フィンが生み出した魔力の水にキューが生み出した果実を搾って作った冷たい果汁ジュースを飲みつつ、あくまで客観的な視点でウルの力を分析する中にあり。


「ほぉ! こちらも素晴らしいではないか! くぅ、もし許されるのなら今すぐ調べ尽くしたいところではあるが……! 今は戦いの行く末にも興味が尽きぬ!!」

「……茶々は入れるんじゃないぞ、ローア」


 望子の変異だけでも興奮が収まりきっていないというのに、ウルまでもが恐化きょうかを使いこなしてしまった事で、ローアの知的好奇心は絶頂の域に達していると言っても過言ではなく、そんな褐色少女を隣で呆れた様に見ていたレプターは、ハッキリ言って自身も二人の力に見惚れてはいたが何とか感情を抑え込んでいた。


 この場に居合わせた者たちは、どうにも色物ばかりゆえ自分くらいは冷静でいなければ──と考えての事であったが、レプターが色物でないかと言われると。



 ……何とも微妙なところである。



 翻って、ただただ怯えている為に言葉を発せないでいた神官二人と違い敢えて無言を貫いていたハピは。


(──……私のも、あんな感じになるのかしら……)


 フィンが驚いていないところを見ると、おそらく彼女も似た様な姿になる事を確認済みなのだろうと踏んだうえで、ハピ自身が行使する恐化きょうかもあんな暴力の化身の如き姿になるのだろうかと不安になる一方──。


 ならないならならないで自分が二人に劣っているという事に他ならず、そう考えると逆に不安になってしまうハピをよそに、ウルは赤く燃える暴君龍ティラノサウルスの脚で地面を踏みしめながらも更に輝きを増した瞳を向け。


『……どうする? お互い姿も変わった事だし、またさっきまでみてぇにり合うか? それとも、もう──』


 続けるか、それとも中断か──と若干の威圧を望子に放ち、これで折れてくれればもう戦わなくて済むという希望的観測を込めてドスを利かせはしたものの。


『ンーン。 コノカラダダト……アンマリ、ハヤクハウゴケナイミタイダカラ──……ヲ、ドウニカデキタラ……オオカミサンノ、カチダヨ。 ガンバッテネ』

『へ……? あれって何だ──』


 そんな彼女の威圧など望子には微塵も届いていない様で、ふるふると首を横に振って継戦の意を示すのかと思えば、そのまま首をゆっくりと上に向けて空を見上げながら、『あれ』とやらを何とか出来ればウルの勝ちで終わりで良いからと告げてくるも、ウルは何が何だか全く分からず釣られる様に空を見上げて──。











『──……よ……?』



 そこにある、『あれ』に気がつき──愕然とした。



 自分の視界にが『あれ』とやらであってほしくなかったが、この状況を考えれば間違いなく『あれ』が望子の言う『あれ』なのだろう。



 だからこそ、ウルは愕然とせざるを得なかった。



『……おい、おい嘘だろ? って、まさか──』


 何しろ、『あれ』はどんよりと曇った空を穿つ様に下へ下へと落ちてくるだけでは飽き足らず、その勢いを更に増し何かを目掛けて一直線に落ちてきている。



 そう、ウルを目掛けて──。



 カナタ、ファルマ、カリマ、ポルネ、フライア、ヒューゴ辺りが、その絶望的な光景を目の当たりにした事で震えたり腰を抜かしたり言葉を失ったりする中。


「……かの龍の名は、星見龍スターゲイズ・ドラゴン。 勇者に見初められる程の圧倒的な強さを誇っており、には我輩も一目置いていた。 どういう訳か再現は出来なんだが」

「……では、がそうだと……?」

「うむ、かの龍の力とは──」


 望子と並び、この中で最も冷静さを保ったままのローアが、あまりに何の突拍子もなく千年前の召喚勇者の仲間だったという龍の名を明かし、その龍だけが持っていたという力について誰に聞かせるでもなく呟いていたのを聞いたレプターが、『まさか』と問うと。



 ローアは一瞬だけ彼女の方を見遣ってから首を縦に振り、そして『あれ』の影響で煌々と照らされた愛らしくもある褐色の表情を懐かしさで染めながら──。



「星に呼びかけ、己が下へと引き寄せる──つまり」



 星見龍スターゲイズ・ドラゴンの力の正体が、『あれ』を引き寄せ地上へ落とし、この世界を穢す存在を滅する力なのだと。



 つまりは──。



 地球でも、それが原因で亡くなった人間など片手で数える程しか確認されておらず、されど太古の生物たちはそれが原因で絶滅さえしている──『あれ』を。











「──『隕石あれ』を狙って落とす事にある」



 隕石を、百発百中で落とす力なのだと──。

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