第275話 禁忌之箱

「──な……なんて? ぱん、どら……?」

「はい、禁忌之箱パンドラーズダイスです」


 フライアが真剣な表情で口にした、どうにも聞き覚えのない運命之箱アンルーリーダイスの完成後の名とやらの一部だけを呟いた望子に対し、フライアは頷く事で再認識させる。


 勿論、禁忌パンドラはおろか運命アンルーリーの意味さえ理解出来ていない望子は、どうして目の前の女性魔族の表情が真剣味を帯び──そして険しくなっているのかは分からず。


 おそらく自分と同じで禁忌之箱パンドラーズダイスについては知らなかったのだろう、イグノールとヒューゴの方を向くと。


「……成る程なぁ、そいつに見覚えがあったのは魔王の奴が作った魔道具アーティファクトだからか。 あぁスッキリした」


 かたや、どうにも喉の奥に小骨でも刺さったかの様な違和感を拭いきれていなかったイグノールは、その魔道具アーティファクトの製作者が魔王であり、ずっと抱いていた違和感の正体が千年以上前に見た事があったからだと自己完結する事が出来た為か晴れやかな表情を浮かべ。


禁忌パンドラ、とは……穏やかじゃないな……」


 かたや、『禁忌パンドラ』などという不吉極まる名称に変化するらしい魔道具アーティファクトを見つめていたヒューゴは、イグノールと違い千年前にも見た事がなかったからか実に興味深そうに、また若干の警戒心さえ纏わせており。


 おそらく聞けば答えてくれるのだろうが、それぞれの思索を邪魔するのも悪いか──みたいな事を考えつつ望子が声をかける事を躊躇っていると、イグノールが不意にフライアや望子の方へと視線を戻してから。


「……で、どうなったら完成なんだ?」

「そ、そういえば……」


 運命アンルーリー禁忌パンドラへと変わる条件──完成に至る条件が俄然気になってきたらしく、されど満腹中枢を刺激されたせいか眠気もある様で何とか欠伸を噛み殺しつつ問いかけ、ヒューゴも同じくフライアの二の句を待つ。


 すると、フライアは『うぅん……』と悩ましい声を漏らしながらも千年前の記憶を何とか掘り起こして。


「私も千年前、デクストラ様から伺っただけですので正確な事は分かりませんが……その中に込められる魔術の上限を満たす事が出来れば──とか何とか……」

「……って事ぁ──」


 まだ彼女がデクストラの直属の──そして一番の部下だった頃、彼女が部隊を率いて人族ヒューマンの街を攻め落とした事で上機嫌になっていたデクストラが話してくれた、『自分が提供したとある素材で創られた、コアノル様の魔道具アーティファクト』についてを思い返しつつ語り出す。


 イグノールやヒューゴとしては何となく分かっていた事だが、やはり上限である六つの魔術を込めた暁に完成を迎える事になる様で、おおよそ想定通りだったイグノールが首をかしげている望子に目を向けると。


「あと、ふたつ……? それで、どうなるの?」

「……それが完成すると──」


 上限──という言葉自体は初耳だとしても、『中に込める』や『満たす』といった言葉の端々から『残り二つの魔術を込める事』が完成条件なのだと理解しており、『完成後の性能』について問うてきているのだろうと察したフライアは望子の疑問を解消するべく。



 何故、禁忌パンドラとなるのかを説き始める──。



 そもそも、『運命之箱アンルーリーダイス』という名の魔道具アーティファクトが創られる事となったのは、とある貴重な素材をデクストラが貢物として魔王コアノルに捧げた事が発端だった。



 その、とある素材とは──『龍之心臓ドラゴンズハート』。



 龍の身体から離れてもなお脈動し続けると云われる程、規格外の生命力と魔力を内在する龍の心臓そのものであり、まるで宝石の様な輝きを放つという──。



 では、その心臓を何処から調達したのかといえば。



 言うまでもないかもしれないが──かつてイグノールが単身で討伐し、そして閉じ込められる事となった勇者の仲間だった過去を持つ、あの龍の心臓だった。


 あの龍を討伐してすぐ、イグノールはローア──というかローガン率いる研究部隊リサーチャーの毒牙にかかり、イグノールの身体を龍の脳味噌の辺りに閉じ込めて一体化させる実験に、どうやら心臓は必要ないとローガンが判断を下したと知ったデクストラが、それを回収し。



 コアノルに捧げたのが、始まりだったのである。



 その頃、コアノルは『闇以外の魔術も扱えれば良いのじゃがなぁ』といった類いの愚痴を溢しがちで、どうにかして火だの水だの風だのを闇以外で行使出来ないものかと考えており──その悩みを解消したのが。



 他でもない運命之箱アンルーリーダイス、延いては禁忌之箱パンドラーズダイスだった。



 だが、『多様な属性の魔術を扱いたい』という悩みを解消可能な魔道具アーティファクトが、どうして禁忌なのか──。


 それは、その中に六つの魔術を込め終えた瞬間から適用される、『全解放リベレイション』と呼ばれる状態にこそある。


 例えば、『火』と『水』や『光』と『闇』といった真逆の属性を持つ魔術が込められていても、それらを六つ同時に発動する事が出来るという状態の事を指しており、フライアが聞いた話では級位さえも問わず。



 六つ全てが超級でも問題なく行使可能なのだとか。



 今の望子であれば、その身に火化フレアナイズ風化エアロナイズ龍化ドラゴナイズ腐化モルドナイズを寸分の狂いなく同時に発現可能になる様だ。



 ……魔合獣キメラの様な異形になりはするのだろうが。



 かつての召喚勇者で漸く四つか五つだった事を考えれば、それが禁忌だというのも理解してもらえる筈。


 かつて、コアノルは龍之心臓ドラゴンズハートで創り上げた運命之箱アンルーリーダイスの中に六つの超級魔術を込めたうえで、それらを自らの暗く昏い闇の力で更に強めて愛用していたらしい。



 尤も、その魔道具アーティファクトが望子の手にある理由までは。



 全く以て、フライアにも分からない様だが──。



「じゃあ、ミコ様の龍化ドラゴナイズによる焼却息吹バーンブレスが蒼炎だったのは……運命アンルーリー禁忌パンドラに──完成に近づいてるから?」

「かも、しれない……けれど、確証はないわ」

「……そっ、かぁ……」


 そんな風に長々と、それでいて可能な限り望子にも分かりやすい様にと簡潔に語り終えたフライアに対して、ヒューゴが話を纏めるが如く望子の焼却息吹バーンブレスが青かった理由について尋ねると、フライアは確実ではないと前置きしつつもそれとなく肯定し、それをはたから見ていた望子も何となく、何となーく理解していた。


「あ〜……火化フレアナイズ風化エアロナイズ龍化ドラゴナイズ腐化モルドナイズ……で、あと二個か。 くれてやりてぇとこだが品切れだからなぁ」

「ふ、ふたつもくれたんだから、きにしないで」

「……あの──」


 そんな中、運命之箱アンルーリーダイスの完成した後の望子の力に興味が惹かれて仕方ないらしいイグノールが指を折り曲げながら、もう手渡せる魔術が無い事を心底残念そうにするも二つ貰っている時点で充分な望子は首を振る。



 その一方、何かに違和感を覚えたフライアが──。



「……もしや、ミコ様は意図して超級魔術だけを?」

「……え? うぅん、たまたまだよ?」

「そう、ですか……」


 ここまでの魔術を考えた結果、超級だけを選んで込めているのかと邪推して問いかけたが、そんなつもりは毛頭ない望子はまたも首を横に振ってみせ、それを見たフライアは望子が嘘をつく筈もないと見て納得。


 尤も、この魔道具アーティファクトを実際に調整したリエナは『ミコの身を護れる出来るだけ強い魔術を』と付け加えていた為、彼女の疑問は決して間違いではないのだが。


「しかし、それなら残り二つも超級で埋めるべきですね。 あと二つも合わせて一つの力となるなら尚の事」

「そう、なのかな……?」

「私も、その方が良いと思います」


 そして、その会話を隣で聞いていたヒューゴが顎に手を当てつつ、どうせなら完成後の性能まで考えて残り二つも超級魔術で固めるべきだと進言し、どう判断すればいいのか分からない望子がフライアを見上げると、フライアは優しい笑みを浮かべて頷いてみせた。



 ──が、しかし。



「おいおい、ミコこいつに肩入れするみてぇな発言してもいいのか? あの魔王狂いは何処で聞いてるか分かったもんじゃねぇぞ? 魔族領あっちに戻ったら殺されるかもなぁ」

「「……っ」」

「え……」


 そんな朗らかな雰囲気を漂わせている望子やフライアとは裏腹に、やたらと挑発的かつ邪悪な笑みを湛えたイグノールが『勇者ミコの味方をしていいのか?』と煽る様に告げた瞬間、露骨な程にフライアたちの表情が恐怖や焦燥で曇ってしまい、それを見た望子は不安げに二人を交互に見遣るも、フライアは深く息を吐き。


「……覚悟の上です、どのみち私は『廃棄処分』寸前の身ですから。 これ以上、ミコ様を理不尽な目に遭わせたくはない──というのが私の本音ですから……」

「フライア……」


 生ける災害リビングカラミティの無自覚な威圧にも怯む事なく、この身はデクストラによって廃棄処分の烙印を押されているし、そうでなくとも望子に救われたあの日から望子に危険な目に遭ってほしくないというのが本音だと明かし、ヒューゴは改めて彼女の覚悟の強さを理解する。


「まぞくのおねえさん……ありがとう、うれしいよ」

「い、いえ、そんな……こちらこそ」


 それを聞いていた望子は、ここで漸く本当に信頼しても大丈夫なのだとハッキリ自覚した為か、ぎゅっとフライアの痩せ細った身体に抱きつき礼を述べ、フライアはフライアで礼を述べられていい様な身分ではないと自覚していたが望子の愛らしさには抗えず──。



 ……同じ様に、ぎゅっと抱きしめ返していた。



「……まぁいいか、どうせお前らは超級なんて使えねぇんだろ? もうちっと先になるな、運命之箱そいつの──」


 翻って、そのやりとりには特に興味ないらしいイグノールが白髪を掻きつつ、フライアたちは確認するまでもなく超級など扱えないだろうし運命之箱が完成するのはまだまだ先の話かと再び残念がっていた──。



 ──その時。



「──……ん?」

「「「?」」」


 そこで言葉を切ったかと思えば、イグノールは途端に全く別の方へと顔を向け何かを見ようと目を細めており、そんな彼の挙動に三人は首をかしげてしまう。



 どうしたの──と望子が声をかけようとした瞬間。



「……近づいてきてんぜ、お前の──お仲間が」

「え──ほ、ほんと!? みんなが!?」


 イグノールは、ここを目指していた望子の仲間たちが辿り着きそうだと明かし、それを聞いた望子がフライアから離れて同じ方へ勢いよく顔を向ける一方で。


(フライア……僕らは、どうする? 身の振り方とか)

(……言ったでしょ? まずは様子見だって)

(で、でも──……いや、分かった)


 いくら勇者一行に上級魔族が混ざっているとはいっても、この状況では他の者たちに殺されかねないのではと踏んだヒューゴが『一度、身を隠すかい?』と案を出したが、フライアが先程も口にしていた様子見には、どうやら今の状況まで含まれていたらしく──。



 一瞬、反論を試みんとした彼もけんに回る事に。



 そんな魔族たちの密談をよそに、まだ姿が見えてこない皆を今か今かと待ち望んでいた望子の耳に──。



「──……みぃいいいいこぉおおおお……!!!」

「え、い、いまのは──」



 やたらと通って聞こえる甲高くも耳触りの良い叫声が届き、その声の正体を一瞬で悟った望子が自分からも近づく為にと一歩踏み出そうとした──その瞬間。











「みこーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」

「ぅわぁああっ!?」

「ぅおっ!」

「「ミコ様っ!?」」



 望子は当然ながら、フライアやヒューゴどころかイグノールさえギリギリ反応出来るかどうかという速度で視界いっぱいにフィンの姿が飛び込んできたかと思えば、その勢いのまま自分に抱きついてきた事で望子は低空浮遊する人魚マーメイドに持ち上げられてしまっていた。



 実に、およそ一週間ぶりの再会である。



 こうなってしまうのも無理はないと言えた──。

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