第272話 魔族領よりの使者

 とてもではないが爽やかとは言えない、イグノールの巣で迎える朝、望子はゆっくり身体を起こし──。


「──……ん、んん……」


 先日、極度の疲労からか日も落ち切らない夕刻に寝てしまったというのに、しっかりと翌日の早朝まで睡眠をとった望子が伸びをしながらも辺りを見回すと。


「……あ、れ……? もう、おきてたんだ……」

「……ん? あぁ……」


 そこには既に目覚めていたらしいイグノールが、どこか遠くの空の方を見つめつつ欠伸をしており、それに気づいた望子が普段以上に幼く聞こえる声で話しかけると、イグノールも望子の声に反応して振り向く。


「おなか、すいてる? あさごはん、つくるけど……」


 昨日、自分が早くに寝てしまったせいで夕食を食べそびれているかもしれない──そう考えた望子が彼に対して、すぐに朝食にするかどうかを問うたところ。


「……まぁ腹は減ってんだが……それよりだな」

「?」


 空腹なのは間違いない様ではあるものの、イグノールとしては自分の空腹よりも優先しなければならないと判断するに値する何かを仄めかし、それを受けた望子が彼の二の句を待つ意味でも首をかしげていると。


「二つ、お前に伝えなきゃいけない事がある」

「……また、ふたつ……?」


 どうやら望子に対して二つ程、伝えておいた方がいいと考えた何かしらの情報があるらしく、またも彼の口から飛び出した『二つ』という言葉に既視感を覚えた望子は簡易式のテントを片付けつつ疑問系で返す。


「一つは……見りゃ分かるか」

「あれって──……え……?」


 すると、イグノールは早速だとばかりに一つ目を語らんとしたが、どうせなら自分の目で見てからの方がいいとでも判断したのか、スッと望子の背後に向けて指を差し、そちらを見ろと暗に告げてきた為に──。



 望子が、そのまま後ろを向くと──そこには。



「……あんなに、きとかくさとかはえてたっけ……」


 この数日間、彼の巣から一歩でさえ出る事はなかったとはいえ、それでも巣の周辺が所謂『不毛の地』となっている事は望子も理解しており──だからこそ。


 木も草も花も実も──およそ『森』と形容するに足る要素全てが巣の外に広がっているのが望子の視界に入ってきた事で、きょとんとした表情になっていた。


「いや、生えちゃいなかったなぁ。 少なくとも昨日までは、だが。 お前が寝てる間に、こうなりやがった」

「そ、そうなの……? でも、なんで……」

「……さぁな。 ただ──」


 誰に聞かせるでも問うでもない──そんな望子の呟きに対し、イグノールは首を横に振ってみせる事により否定しつつ、この光景は望子が早々と床に就いてしまった後、鬱陶しいくらいの眩しさを伴う黄緑色の光とともに広がったのだと言うが、どうしてそんな光が急にという疑念を込めて望子が再び問いかけてくる。


 勿論、龍の亡骸から解放された阿呆ではなくなったイグノールでも分からない事はあるものの、それでも多少なり推測をするくらいの思考の余裕はある様で。


「この大陸──っつーか、前の森に居た女神の気配が復活してやがる。 多分その影響だろうなぁ」

「めがみ……かみさま?」

「あぁ。 まぁ名前も司ってるもんも覚えてねぇけど」


 十年前、彼が龍だった頃──ディアナ神樹林を散々荒らす前に座していた植物の女神ダイアナの事を気配だけとはいえ覚えていたらしく、その気配が復活した事が原因だろうと語り、お気に入り絵本で知ったらしい『女神=神様』という式を望子が回想していた時。


「で、その近くに……お前の仲間もいるみてぇだぜ」

「! ほ、ほんと……!?」

「俺は嘘はつかねぇよ」


 そんな女神の気配の近くに、あの戦いで完膚なきまで叩き潰した望子の仲間たちの気配も感じるとイグノールが告げた瞬間、望子は期待と喜び、不安と焦燥が入り混じった表情を浮かべて確認しようとし、イグノールはそれを受けて望子の頭に手を置きつつ頷いた。


(よかった……みんな、ぶじだったんだ……)


 イグノールの何とも粗雑な手つきに目を細めていた望子が、『きっと大丈夫だ』と思っていつつも本当に無事である事が判明したからか安堵の息を溢す一方。


「あ……いまのが、ふたつめってこと……?」

「ん? いや違ぇよ。 もう一個あるからな」

「もう、いっこ?」


 巣の外で森が再生した事と、その現場に望子の仲間たちが居合わせた事──これらが彼の伝えたかった二つなのかと問うたところ、イグノールが望子の問いかけをあっさり否定したうえで二つ目は別にあるのだと答えた事で、またしても望子が首をかしげていた中。


「どうやら、お前にとっちゃあ嬉しくねぇだろう方の迎えが来たみてぇだぜ──ほら、あっち見てみろよ」

「あっち──……え、あれって……!」

「あぁ、ありゃあ──」


 イグノールは望子が目覚める寸前まで見つめていた空へ再び向き直し、その方角から望子にとっては決して朗報ではない迎えが来たらしいと語りながらそちらを向く様に示した為、望子がそちらを向いたところ。


『──イグノール様が、いらっしゃらない……! まさか、あの時の爆発は本当に……!? 何と報告すれば』

『……あんな爆発があったのに、ディアナ神樹林は寧ろ再生し──っ、待って、あそこに誰かいるわ……』

『えっ? あっ、あれは……!!』


 そんなに小さくないし何なら結構な距離まで聞こえてくる、かの空を飛ぶ何某かたちの会話の中にはイグノールやディアナ神樹林の名前が登場するだけでは飽き足らず、その内の一体がこちらを指差すと、もう片方も望子とイグノールに気がついたのか目を見開く。


「一応、俺の同胞──魔族だな」

「どう、ほう……なかま?」

「仲間っつーか……部下? いや、部下も違ぇか──」

「……? あっ、こっちくるよ!」


 勿論──というか言うまでもなく、その者たちはイグノールと同じ魔族であり、ローアが常々口にしていたせいで覚えていた同胞という言葉から仲間なのかと望子が問うも、『仲間』という程親しくないし、もっと言えば『部下』というのも違うとイグノールが珍しく悩んでいるのをよそに、その二体は二人に接近し。


「──……あ、貴方は、もしや……?」

「あぁ、俺が生ける災害リビングカラミティだぜ?」


 その内の一体、魔族としての特徴がなければ普通の好青年の様な見た目の男性魔族が、おそるおそるといった具合にイグノールに声をかけると、イグノールは我が意を得たりとばかりに笑って素性を明かし──。


「……観測部隊ゲイザー所属、中級ヒューゴ」

「……フライア」

「「ただ今、により参上致しました」」


 瞬間、二体は広げていた蝙蝠の如き漆黒の羽を畳みながら片膝をつき、かの魔族領からヴィンシュ大陸まで王命を受け文字通り飛んできたのだと──ヒューゴとフライアは息を合わせて下級魔族イグノールに跪いてみせた。


 尤も、下級とはいえ幹部なのだから当然なのだが。


「……上級?」


 そんな中、二体が畏まるのを尻目にイグノールはフライアの級位に何やら引っ掛かりを覚えており──。


(……あれ? あのひと、どこかでみたような……?)


 望子は望子で、どこかでフライアと会っている様な気がしていたが、あんなに痩せ細っていたかどうか自信がなかった様で、それを言葉に出来ていなかった。


「……同胞が二体、近づいてんのは気付いてたんだがな──、本当に上級か? にしちゃあ弱くねぇ?」

「……っ、級位としては上級です……ですが」

「ですがぁ?」


 先程の疑念から望子が首をかしげていた時、ズカズカと二体の前に歩み出たイグノールが、どう見ても弱りきっているフライアに対して強者特有の覇気をぶつけつつ、『嘘は吐くなよ』と告げたうえで問いかけると、フライアは言いたくなさげに顔を顰めながらも。


「……研究部隊リサーチャーの被験体と、なっていまして……」

「……あ〜……」


 級位が上級なのは間違いないが、つい先日まで魔王軍のはみ出し者が集う部隊──研究部隊リサーチャーによって解剖や投薬といった被験体モルモットにされていたのだと正直に回答し、それを受けたイグノールは何かを察し上を向く。


(変に親近感が湧くと思ったら……そういう事か)


 何しろ千年前、イグノールをあの龍の亡骸に閉じ込めた者たちこそ、ローア──もとい、ローガン率いる研究部隊リサーチャーであり、フライアの過剰なまでに痩せ細った身体や濁った瞳を見た彼は、どうにも拭いきれない妙な親近感をフライアに対して抱いていたらしかった。


 現に、あの龍と自分の波長を合わせる為に必要だからとはいえ何度も何度も身体を弄られた自分も、あんな感じだった筈だとイグノールは自覚していたから。


「……まぁいいや、で? 王命ってのは?」

「はっ、それは──」


 取り敢えず彼女の答えに納得したらしいイグノールが気を取り直し、フライアたちが口にした王命とやらについてを確認せんとし、ヒューゴが顔を上げた時。


「──ねぇ、まぞくのおねえさん」

「! は、はい……!」


 明らかに意を決した感じで声を出したのは、やはり先程の疑念を解消したかったらしい望子であり、そんな望子に呼ばれたと理解したフライアは過剰に反応。


「もしかして、どこかであったことある……?」

「……!」


 その後、彼女の反応のおかしさもよそに『きのせいだったらごめんね』と補足したうえで、どこかで会った事はないかとイグノールの背に身体を半分隠した状態で問いかけると、フライアもフライアで意を決し。


「──以前、奇々洞穴ストレンジケイヴにてお会いしております。 あの時、貴女に回復薬ポーションを頂いた幸運な魔族が私です……」

「す、すと……ぽー、しょん……」


 数ヶ月前、望子たちが依頼を受けて潜った未だ謎多き生ける洞穴──奇々洞穴ストレンジケイヴで、その最奥に居座っていたローガンに返り討ちに遭った事により浅くない傷を負い、そんな自分に望子が渡してくれた蜂蜜水玉ハニースフィアという名の回復薬ポーションのお陰で命を拾ったのが私だと明かす。


 しかし、どうにも難しい言葉が並んだせいで──別に初めて聞いた言葉ではないのだが──理解をしきれていなかった望子が、どうにか記憶を探っていると。


「……あっ、はちみつあじの……?」

「そ、そうです!」


 そんな望子の脳裏に、『ぴこん』と電球でも浮かんだかの様な衝撃が走るとともに『ぽーしょん』というのが、あの蜂蜜の味が美味しい水玉の事を言っているのだと思い出した望子の声にフライアが頷いた瞬間。


「やっぱり! まだ、おじさんだったときのろーちゃんにやられちゃったまぞくのおねえさん! よかった!」

「わっ!? み、ミコちゃ──ミコ様!?」


 ローアを名乗る前、壮年の男性魔族だった時のローガンに敗北したという事は割としっかり覚えていたらしい望子は、あの時の女性魔族の事を本気で心配していたのかフライアに抱きついてましい、そんな望子を痩せ細った腕と身体でフライアは何とか受け止めた。


 あの子──と呼んでいた反動か図らずも『ちゃん付け』しかけたが、そんな事を気にする望子ではない。


「何だ? あいつら知り合いなのか」

「え、えぇまぁ……」


 その一方、歳の離れた姉妹の様に触れ合う勇者と魔族を見ていたイグノールが、もしかしなくても知り合いなのかと問うてきた事により、すっかり蚊帳の外となっていたヒューゴは慄きとともに肯定してみせた。



 そして、しばらく触れ合った後──。



「ねぇ、あさごはんたべよう? わたしも、おなかすいちゃったし……まぞくのおねえさんと……えっと、そっちの……ひ、ひゅ……まぞくのひともたべるよね」

「「えっ?」」

「そうだな、その方が話しやすいだろ」

「「ええっ……!?」」


 フライアが痩せ細っているのは『お腹が空いているからではないか』と判断したのか、そこに一切の邪念なく朝食を一緒に食べようとの望子の提案に、イグノールがあっさりと乗ってきた事で二体は再び困惑し。


(い、いいのかな? 御相伴に与っても……)

(……様子を見るわ。 あの子に悪気はないと思うし)

(そ、そうだね。 分かった)


 一応、王命という体で赴いているのに悠長に朝食を頂いていていいのかと、ヒューゴは抱いて当然の疑問を口にするも、フライアとしては望子が何かを企んでいる様には絶対に思えず、まずは様子見も兼ねて朝食を共にしましょうと告げた事で、ヒューゴも頷いた。

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