第271話 戦慄、腐化
──翌日。
今日も今日とて望子お手製の朝食──ふんだんに肉を使ったオムレツ──を食べた望子とイグノールは。
「──っし! そんじゃあ早速、試してみようぜ!!」
「えっと……もる、ど……ないず、だっけ……?」
「おぉよ! いやぁ愉しみだぜ!!」
相変わらず無駄に上機嫌で望子の前に立つイグノールと、あからさまに彼の勢いについていけていない引き気味の望子という両極端な光景を生み出していた。
望子としても、イグノールの性格は大体掴めていたし嫌いなタイプではないと分かっていたが、それは自分の中で燻る不安な心を抑えられる程ではなく──。
「……ね、ねぇ……ほんとにやるの……? かびになるなんていわれても、よくわからないんだけど……?」
一日が経っても迎えが来ない事、皆が無事かどうかも分からない事、自分の身体をカビに変える魔術なんて使っても大丈夫なのかという事──様々な要素からくる不安を意を決して言葉にしてきた望子に対して。
「だーいじょうぶだって! ミコ、お前ならやれる! 方舟に乗ったつもりでいてくれりゃあいいからよ!」
「え、えぇ……?」
そこに一切の根拠もないのに何故か得意げな顔を浮かべたイグノールが、ガシガシと乱暴な手つきで望子の濡羽色の長髪を撫でるのはいいものの、これといってピンときていないらしい望子は首をかしげるだけ。
(実際こいつは
望子がきょとんとした可愛らしい顔を浮かべる一方で、イグノールは『ふむ』と唸って腕組みしつつ昨日の手合わせの際の望子の姿と動きを回想し、あの時と同じ様に愉しげな表情を浮かべながら望子の勇者としての才能を手放しで評価──する訳では決してなく。
あの手合わせでの望子を『中途半端』だと評しつつも、されどそこそこ脅威だったと厳しめに評価する。
どうやら望子の
確かに、これまで行使してきた
本来ならば望子そのものが龍になる筈なのに、だ。
(逆に言やぁ、あんな半端な
とはいえ、イグノールにしてみれば望子の
寧ろ、あの程度の変異しか出来ない
おそらく、ローアも同じ様な心情を常に抱えていたのだろうが、それをイグノールが知る由もない──。
「ま、とにかくだ! やるだけやってみようぜ! これが駄目なら
「う、うん……うん?」
それから、どうにも気乗りでない様子の望子に何とかやる気を出させる為に、イグノールが再び望子の髪をガシガシと撫でながら説得を試みた事により、どうにか望子は腐化を試す事を決めたらしく渋々頷いた。
尤も、もし腐化が駄目だったなら『二つの力を使いこなせたら』という協力への絶対条件が達成し得ない事なる──それを薄ら理解していた望子は首をかしげてもいる様だが、そんな望子をよそにイグノールは。
(その場合でも協力──もとい利用はさせてもらうが)
仲間でもなければ友達でもない──そんな
……結局、彼も魔族である事に変わりはないのだ。
「それじゃあ……いくよ?」
「おう、いつでも──」
そして漸く覚悟を決めたらしい望子の、どれだけ甘めに見ても頼りなく可愛らしいガッツポーズを見たイグノールは、パッと先程までの昏い笑みから爽やかな笑顔へと戻しつつ、わくわくと胸躍らせていた──。
──その、瞬間。
ぐじゅっ。
「──……ッ!?」
「ぇ、どうし──』
突如、頭の天辺から足の爪先までを一瞬で駆け抜けた『何か』を感じ取ったイグノールは、つい先程まで浮かべていた筈の笑みなどどこへやらといった具合の切迫した表情を湛えるとともに、およそ魔王軍幹部とは思えない逃げっぷりでドーム状の巣の天井まで避難し、それを見た望子は何事かと首をかしげんとした。
──が、しかし。
『──ぁ、れ……? なに、これ……』
そんな望子の身体は、あの龍と同じ──いや、どう見てもあの龍よりも色濃く如何にも危険度の高そうなカビに覆われており、その胞子の間から辛うじて見える愛らしい顔があるから望子と分かるが、そうでなければ人の形をしたカビが立っている様にしか見えず。
また、その足下では『じわじわ』という擬音で表現しきれない程の速度にてカビが侵蝕を開始しており。
この時点で既に、あの龍が行使していた
が、そんな事は──もう、どうでもいい。
(……思わず逃げちまったが……何だ、あれは……?)
先程、彼が感じたのは──確かな『戦慄』。
それこそ、あの時──千年前、魔王コアノル=エルテンスに対して感じた絶対強者を前にした時と同じ様な恐怖の感情を覚えたからこそ、イグノールは無様だとも分かったうえで逃げの一手を選んでいたのだが。
(何で、
肝心要の、その感情を抱いてしまった理由に見当がつかず、『見た目か? いやいや、んな訳ねぇだろ』と脳内で選択肢を潰そうと試みていた彼の視界が──。
「──……ぅ、お……?」
──ぐらり、と揺れる。
地震か?
と、そう思ったのも束の間──彼は、いつもより自分の身体が異常な程に
「っ、おい嘘だろ──……!?」
何か心当たりでもあったのだろうが、あまりに何の突拍子もなく自分の腹を鋭い爪で裂いた彼が目にしたのは勿論、魔族特有の薄紫の血とてらてら光る内臓。
──では、なかった。
「……やっぱ、カビになってやがんのか……っ!!」
そう、イグノールの真下辺りで今も
ゆえに、イグノールの身体は軽くなっていたのだ。
ゆえに、イグノールの視界はぐらついていたのだ。
当然だろう、そこにあった筈の胃袋や肝臓などといった
痛みがない──なら、あの龍が行使していた
(気づかねぇ内に、いつの間にか全身をカビに変異させられるって事だろ……!? ふざけた力だぜ、ミコ!)
生物非生物を問わずカビを侵蝕させ、そこに激痛を伴わせる事で攻撃手段とする、あの龍の
そして、そうこうしている間にもイグノールの身体の外側までもが急激な速度でカビに変わっていき、このままでは自然治癒も望めずカビになって死ぬ──そう判断した彼は思い切って望子の方へと突っ込んで。
「──……ミコ……ッ! そごまで、だ……ッ!」
『え……もう、いいの……?』
「はや"く、止め"てぐれ……」
『う、うん……よい、しょ」
何が起きているのか全く理解していない──そんな様子で首をかしげるとともに、ぼろぼろ、ふわふわと胞子を撒き散らし巣全体にまでカビを侵蝕させんとしていた望子を、イグノールは何とか止める事に成功。
彼の制止の叫びが濁っている事からも分かるかもしれないが、イグノールの身体は既に半分以上がカビの塊と化しており、まともに声を出す事すら難しい状態にあった様で、後もう少し遅れていたとしたら──。
召喚勇者、魔王軍幹部『
──と、なっていただろう事は明白だった。
「ふぅ……あ、あれ? だい、じょうぶ……?」
「大丈夫……では、ねぇな"……」
その後、無事に元の姿に戻るとともに周囲を侵蝕していたカビを無意識に引っ込める事も可能としていた望子が、どうにも死に体にしか見えないイグノールに対して心から気遣う様に声をかけると、その声に何とか反応したイグノールからは絞り出した様な濁声が。
そんな満身創痍のイグノールを見て、あわあわする望子をよそに彼は脳内でのみ思案を繰り広げており。
(まさか、この俺が……こんな小娘の魔術で死にかけるたぁな……いくら勇者っつっても限度があんだろ……)
直接攻撃、魔術、武技を問わず自分の身体に傷をつけられる一撃など殆ど存在しないというのに、まさか身体の半分以上をカビに変えられてしまうとは彼としても思いも寄らなかった事であり──そう考えると。
(魔王に効くかは分からねぇが……魔王以外は、これだけで勝てちまうんじゃねぇか……? とんでもねぇな)
身体の頑強さだけで言えば自分こそが最高位である事は自覚しているが、そこに魔力量や純粋な戦闘力を加えると魔王コアノルに通用するかどうかは不明であるものの、どれだけ控えめに見ても望子の
──これだけで魔王以外を掃滅させられるのでは。
そう判断してしまうのも無理はなく、もしも望子が魔王城に足を踏み入れて
──それ程の化け物じみた力なのである。
これも全て、この少女が召喚勇者であるがゆえ。
尤も今のままでは敵である魔族だけでなく、この勇者にとっての味方である
……カビになってしまうのは避けられないだろう。
満身創痍の身体を押してそれを伝えると、『どうしよう、なんとかしないと』と望子はあわあわし始めてしまい、とにかく今は暴走しない様に扱いを覚えるしかないと告げたところ、やる気になったのか再び頼りなくも可愛らしいガッツポーズを見せた望子だった。
双方にとっての死活問題ゆえ、当然ではあったが。
その日は結局、イグノールの自然回復に時間を費やす事となった為、手合わせは始まる前に中止となり。
巣から少しだけ離れたところで、どうにか扱える様にと望子は火化でやっていたのと同じく身体の一部だけをカビに出来ないかと四苦八苦していた様だ──。
……そのまま逃げればよかったのにって?
……ごもっとも。
────────────────────────
──その日から、およそ三日程が経過した朝。
召喚勇者と
良い方にか、それとも悪い方にかは分からないが。
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