第270話 実践、龍化

 それから、ちょうど一日が経ち──。



 イグノールの巣から離れた位置にある漁村メイドリアにて、あの戦いで死にかけていた勇者一行を村民たちが運び、メイドリアに派遣されていた神官のファルマにより最初にカナタが目覚めた──そんな頃合い。


 前日、『魔王討伐に協力してやってもいい』などと曰ってきたイグノールの発言の真意こそ掴めなかったものの、とにかく彼から譲り受けた新たな二つの力を出来るだけ早く物にしなければと意気込んでいたが。


 その日、朝食として望子の作った肉要素かなり多めのホットドッグをこれでもかと食べたイグノールは。


「──……くくっ、くぁはははは!! おいおい凄ぇなぁ!! ミコ、やっぱりお前は歴とした勇者だぜ!!」

『く、うぅ……っ!』


 いくら勇者でも八歳の少女を相手に全力を以て肉弾戦を仕掛けている真っ最中──角、牙、爪、尻尾、翼を総動員させた紛れもない命のやりとりをしており。


 ローア曰く、コアノルまで含めた全ての魔族の中で最も頑強な肉体と純粋な凶暴性を持つ彼の息もつかせぬ猛攻を、どうにかこうにか望子は捌けていた。


「どうだぁ!? 姿にも慣れてきたかぁ!?」

『ちょっとは──ねっ!!』

「うおっとぉっ!! くぁはは、危ねぇ危ねぇ!!」

『っ、もう! ぜんぜん、あたんない……っ!』


 それもその筈、望子は既に彼から譲り受けた二つの力を十全にとは言えずとも使いこなし、その内の一つである龍化ドラゴナイズを行使する事で半人半龍の姿となって、イグノールの攻撃を防ぎ、受け止め、受け流している。


 どころか、ほんの僅かな瞬間だけ発生する──わざと作っている様にも見える彼の隙を突き、どうにか一撃を与えんと龍の部位を駆使して立ち向かっていた。


 今の望子は、どこかレプターにも似た雰囲気を醸し出す流麗な金髪が目を惹く、このまま成長したら間違いなく絶世の美女になるだろうという愛らしさと、レプターよりも更に鋭さを感じさせる龍の部位──角や翼、爪や尻尾などの凶暴さが歪に共存する様な姿で。


「いやぁ強ぇなぁ! お前の仲間も相当だったが、お前の方が小回りが利いてるうえに繰り出す攻撃の威力にも大差を感じねぇ!! 実際んとこどうなんだぁ!?」

『しらっ、ない、よ……! そんなのっ!!』


 実際にやってみなければ分からないが、この時点でカリマやレプター、そしてウルといった一行の中でも近接戦闘を得手とする者たちに勝るとも劣らない力と才能を発揮しているのは誰の目にも明らかであった。


 ほんの一日前に取得したばかりの力を扱えているのは、『勇者だから』という理由に尽きるのだろうが。


「ますます気になんぜ……! なぁ、ミコ! お前、本当になのかぁ!? 口調は露骨なぐれぇに幼いってのによぉ! どこで戦いを覚えたぁ!?」

『い"……っ! おしえ、ない……っ!!』

「くぁはは! つれねぇなぁ!!」


 劣勢極まりないとはいえ少なくともイグノールが戦いを愉しめる程の相手になれているのは、ここにいない狐人ワーフォックスとの修練のお陰か、もしくは龍化ドラゴナイズが開発される切っ掛けとなった龍人ドラゴニュートが身近にいたお陰か──。


 それとも、イグノールの圧倒的で暴虐的な力に引き上げられた事で加速度的に強くなっているからかというのは望子本人でさえ分からない事だったのである。


(ためすだけ、って……いってたのに……っ!!)


 そもそも、どうして手合わせをする事になったのかというと──前日の会話が全ての始まりだった様で。


────────────────────────


 これは、あの時の会話から少し後──無限収納エニグマから取り出した簡易式のテントで夜を明かす前の出来事。


「──……ぇ、えっと、それで……まおうをたおすのを……てつだってくれる、ってことでいいの……?」


 突如、『魔王討伐への協力』を申し出てきた事に望子は困惑しつつも、おそらく冗談を言うタイプではないと直感で理解していた為に確認も兼ねて問い返す。


「おぅ。 ま、さっきも言ったがお前が二つの力の両方を使いこなせたなら──ってのが絶対条件だからな」


 すると、イグノールは右手の人差し指と中指をピンと立ててから、ニィッと笑って協力を承認する為の条件を前提とした発言ゆえ勘違いしない様にと告げた。


「でも、まおうは……『なかま』なんだよね……?」

「……仲間ぁ? はっ、馬鹿言ってんじゃねぇよ」


 一方、魔族として同胞を討つ事への協力に異論はないのかと──そんな難しい言い回しはしないが──問いかけたところ、イグノールは露骨な程に嘲り笑い。


「……あれは一応、『あるじ』だ。 そして認めたくはねぇが──この俺を圧倒的に上回る存在、絶対強者だ。 とてもじゃねぇけど……お前が倒せるたぁ思えねぇよ」

「……っ、でも──」


 その嘲笑を一瞬で鎮めた後、魔王コアノルを『超えるべき存在』だと認識した上で『主』であり『生みの親』でもあると語り、おそらく自分だけでは何度やっても勝てないと分かっているからこそ、『お前じゃ無理だ』と似合わない真剣味を帯びた表情で忠告する。


 それでも、かの存在を討伐しなければ元の世界に帰れない──そう信じきっている望子が自分なりの反論をぶつけんとするも、イグノールはそれを手で制し。


「あぁ分かってる、それでも倒してぇんだろ? だから手ぇ貸してやるって言ってんだ、あいつを超えるって俺の目的とも利害は一致してるからな。 つまり──」


 望子の透き通る様な黒い瞳を見れば、その想いが本物だという事はイグノールにも理解出来るところであり、それも踏まえたうえで互いに利害関係を築けそうだと判断したのだと告げた彼は、そこで一呼吸置き。


「仮に協力してやる事になっても、お前と俺は仲間じゃねぇ……まぁそうだな、『同盟者アライアンス』ってとこか?」

「あ、あら、いあ……?」


 もし望子が龍化ドラゴナイズ腐化モルドナイズ、両方を問題なく使いこなした為に手を貸す事が決まっても、あくまでも自分たちは仲間でも友達でもない利害の一致からなる同盟関係だ──そう粛々と口にしたはいいものの、あまりに突拍子もなく耳馴染みの無い言葉が飛び出してきた事に望子は首をかしげていたが、すぐに気を取り直し。


「……まぁ、うん、わかった。 がんばるよ」

「へへ、愉しみにしてるぜ」


 言葉の意味は分からずとも、イグノールが何を言いたいかは何となく理解する事が出来た為に頷き、それを見たイグノールは魔族には似つかわしくない笑顔を浮かべてサムズアップした言葉で、この日は終わり。


────────────────────────


 そして翌日、開始から半日程が経った宵の口。



『……ちょ! ちょっと、きゅうけいしない!? そろそろ……っ、ばんごはんのじかんだから! ねぇ!?』


 昼食を食べる事も忘れて息もつかせぬ攻防を繰り広げていた事に漸く気がついた望子が、その小さな頬に一筋の汗を流しながらも休憩を申し出たものの──。


「馬鹿言ってんじゃねぇよ! こんな愉しい戦い、まだまだ止めらんねぇ!! どっちか倒れるまで続け──」

『……っ!? もうっ!!』


 当のイグノールは薄紫の双眸を力強く輝かせ、ほんの少しも手心など加えず望子に対して攻撃を繰り出し続けており、これが望子の新たな力を試す為の手合わせという事も忘れたのか、さも本当に戦っているかの様な口ぶりを見せた事で望子は流石にカチンときて。


『つかれたって──……っ、いってるじゃん!!』

「──はっ!?」


 何とも可愛らしい『むっ』とした顔を浮かべたかと思えば、イグノールに向けて自分に出来る精一杯の声量での叫びで文句を言おうとした望子に──正確には望子の背後に見えたにイグノールは目を剥いた。


 それ、とは──今の望子の背中の肩甲骨辺りから生えている、レプターのものより一回り小さな一対の龍の翼であり、その翼が瞬時に望子の背丈を遥かに凌駕する大きさになっただけでは飽き足らず、あろう事か魔族の爪や牙も顔負けの鋭利さを伴っている事を一瞬で悟ったイグノールは、どうにか回避せんとしたが。


「う"、お"っ……!? はは、マジか……っ!!」

『え……? はね、が──ぅわぁっ!』


 魔族特有の優れた反射速度さえ超えた無慈悲な一撃は、イグノールの左腕を肩ごと抉り取る様に斬り捨ててしまい、おそらく躱し損ねていれば死んでいただろう事実に彼は驚きながらも興奮を隠しきれていない。


 翻って、イグノールが唐突に軽くない傷を負った事に困惑する望子だったが、そんな望子の背中から伸びた翼の重量に気がついたのか前のめりに倒れてしまっており、その翼を戻す事も忘れてジタバタしていた。


(確か……龍如鎌翼ドラガシクルだったか? そりゃあ龍化ドラゴナイズ龍人ドラゴニュートを見て作られた魔術だっつーし使えても不思議じゃねえが……それより問題なのは──この馬鹿げた威力)


 そんな中、斬り落とされた左腕を右手で拾いつつ無理やり傷口に押し当て、どうにかくっつけようとしていたイグノールは過去に戦った──というより一方的に蹂躙していただけだが──龍人ドラゴニュートが放ってきた固有の武技アーツを思い返して望子の斬撃を評価するとともに、どう考えても龍人ドラゴニュートより威力が高い事を確信する。


 何しろ、そもそもイグノールの頑強な身体を傷つけられる攻撃など殆ど存在せず、コアノルにデクストラにラスガルドといった魔族側の強者や、それこそ当時の召喚勇者に聖女に火光かぎろいといった敵勢力側の強者でもなければ彼が負傷する事は極めて稀な事例であった。


 尤も、それはローアたち研究部隊リサーチャーの手によって龍の亡骸に閉じ込められる前の話であり、ああなってからは傷ついては再生し、また傷ついて──の繰り返し。


 攻撃一つ一つの規模が世界最大といえるものになっていたという事を除けば、どちらかというと弱体化したのでは──とはかつての最強の亜人族デミ火光かぎろいの弁。



 ……まぁ、かつても何も今なお最強なのだが。



『ぉ、おもいぃ〜……』

「っと、まずは──」


 そんな事を懐かしそうに振り返っていたイグノールの耳に、どうにも苦しげな望子の声が届いた事で彼は我に返り、すぐさま気を取り直して望子に近寄って。


「大丈夫か? とんでもねぇ威力だったが……」

『う、うん。 ちょっと、うごきにくいけど……』

「……動きにくい、か……」

『?』


 まずは翼を元に戻す様にと助言を与えつつ手を差し伸べて立ち上がらせた後、先程の一撃について評価する旨の話を振ってみたところ、イグノールが受けたのは『動きにくい』という望子からの率直極まりない感想であり、それに対して彼は『くぁはは』と空笑い。


(これだけの魔術を使っておいて、『動きにくい』程度で済んでるミコこいつがおかしい──んだよな? 多分……)


 精度はともかく、その威力や覇気だけなら過去に戦った強者たちと同じか、それ以上だと確信していたからこそ改めて望子が勇者だという事を思い知らされた為、最早そんな乾いた笑いしか出てこなかった様だ。


(正直、遊び足りねぇが……からにはな)


 本当なら、もっと続けたいのは山々なのだが、『ミコが自分に明確な一撃を与えられれば』という条件の下で開始した手合わせだったという事もあって──。


「──ま、しゃあねぇ。 今日は終わりにするか」

『……ほ、ほんと……? つ、つかれたぁ……」


 渋々とはいえ今日の手合わせは終わりだと告げた事により、ぺたんと望子が地面に女の子座りをしたその瞬間、望子の身体を変容させていた龍の部位が少しずつ消えていき、元の愛らしい少女の姿に戻っていく。


「で、明日は朝一で腐化モルドナイズを試す! それでいいな?」

「あ、やっぱり……? まぁ、うん、いいよ……」


 そうして完全に元の姿に戻るのを見計らっていた彼が、いつの間にか元通りにくっついていた左腕でビシッと望子を指差して明日の手合わせを確約させ、それを受けた望子は疲れきった表情で彼を見上げつつ、どうせ断る選択肢はないのだろうと判断し、了承した。


「よぉし! んじゃ、飯にしようぜ! 晩飯は何だ?」

「……ちょっと、やすんでからでもいい?」

「……まぁ、いいぜ。 その間、身体冷ましてくるわ」

「うん──……はぁ」


 その後、間髪入れずに夕食の催促をしてきたイグノールに対して望子は臆す事もなく、つい先程も要求した通り休んでもいいかと尋ねたところ、イグノールは腹の虫を鳴らしながらも多少は望子を気遣うつもりもあったのか休憩の許可を出しつつ昂った心身を鎮めてくると手を振り、それを見た望子は頷いてから──。



 ……思わず溜息を溢した。



(……みんなは、だいじょうぶなのかなぁ……)


 何を隠そう、ここからでは皆の生死を確認する事も出来ず、その事を考えれば考える程に望子の心は暗くなってしまっており、いつもなら楽しく作っている筈の調理の手さえ覚束なくなっていた──その一方で。


(──……中級、二体か? 近づいてきてやがんな)


 イグノールは、この地に少しずつではあるが確実に接近し続けている二体の同胞の気配を察しており、その同胞たちが飛んできているのだろう方角の黄昏へと目を向けながら、それらの級位を直感にて判断する。


 ……実際には中級が一体と、かつての上級が一体という何とも表現し難い組み合わせではあったのだが。


(つっても今はミコこいつに集中してぇ。 ミコの龍化ドラゴナイズの出来は予想以上、腐化モルドナイズも期待出来るってもんだぜ……!)


 そんな些細な事よりも、たった今この瞬間でさえ小さな身体の中にある膨大な魔力を感じさせる召喚勇者との遊び──もとい手合わせに集中したいという素直な欲求もあり、イグノールは明日に約束した手合わせへの愉しみで期待に胸を膨らませていたのだろうが。











 ……明日、彼は戦慄する事となる。



 勇者であるがゆえに発揮される──腐化モルドナイズの本質に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る