第269話 二つの力

「──……ふたつ、って……どんなの……?」

「おぉ、それはなぁ──っと、これだ」


 取り敢えず、その二つの力とやらの正体を聞いてみない事には何も始まらない──そう子供ながらに考えた望子が問いかけたところ、イグノールは機嫌良さげに頷きつつボロボロの服の懐から何かを取り出した。


「え、なにそれ……? きもちわるくない……?」

「そりゃそうだろうなぁ、何せこいつは──」


 基本的には朗らかで気遣い屋さんでもある望子としては珍しく、その形の良い眉を露骨に顰めつつ彼が取り出した得体の知れない物体が放つ異臭と、まるでドロドロの肉塊の様な見た目の醜悪さを誇る二つの何かに対しての疑問を呈すと、イグノールは慣れっこだと言わんばかりの笑顔で『かはは』と嗤いながら──。


「──あの龍の脳味噌の一部だからよ」

「の、のうみそ……っ!?」


 その物体の正体が、つい先程まで勇者一行と戦いを繰り広げていた龍の亡骸から引きちぎった脳味噌の一部であると明かし、それを聞いた望子は脳味噌が身体の中にある器官の一つだと知っていた為に戦慄する。


 漸く目の前の魔族に慣れ始めていたところだというのに、またも彼との心の距離が出来てしまった一方。


「お前も見ただろ? あの時の魔力の爆発──龍之墓場ドラゴンズエンドって言うんだがな。 あれは俺の力じゃなくて、あの龍の力だったんだよ。 で、それを俺の意思で行使する為に脳味噌ほじくってた訳だが、そこで見つけたのが」

「それ、ってこと……?」

「そういうこったな」


 イグノールは、さも武勇伝を語るかの様な得意げな表情と声音のまま、あの龍の亡骸の最期の輝きであった固有武技アーツ──龍之墓場ドラゴンズエンドを強制的に振り返らせ、あれは自分の力ではなく龍の記憶に眠る力を再現しただけだったと明かし、その為に脳をかき混ぜて龍之墓場ドラゴンズエンドを記憶していた部分を引き抜いたのだと語ってみせた。


 ローアの推測は、ほぼ正解と言って差し支えない。


 まぁ尤も、あの龍之墓場ドラゴンズエンドが発動する前に望子は既に意識を失っており、イグノールが口にした『お前も見ただろ?』との発言は的外れもいいところだったが。


「……そのなかに、ふたつのちからがあるのはわかったけど……わたしはそれをどうしたらいいの……?」


 それでも、およそ八歳児とは思えない理解力で彼の話を概ね噛み砕けていた望子は、あの龍の紛れもない身体の一部であるところの脳味噌の欠片を嫌そうに視界に入れつつ、つまり自分に何をさせたいのかを確認する為に、おそるおそるといった具合に問いかけた。



 すると、イグノールは短時間でも分かる彼らしくもない真剣な表情を浮かべたままを差し出して。



「──食え」

「……へ?」



 あろう事か、あの龍の脳味噌の欠片を──欠片といっても望子の小さく可愛らしい口よりは遥かに大きなそれを食せと命じてきた事によって、その短い言葉の意味は分かっても何故それを食べなければならないのかが全く分からない望子は疑問の声を出すしかなく。


「そ、それを、わたしがたべなきゃいけないの?」

「おぉよ」

「い、いや、むり……むりだよ……」


 聞き間違いなら、それでもいい──いや、聞き間違いであってほしいと子供ながらに考えて聞き返した望子の言葉に対し、イグノールが望子の希望を砕くかの様にあっさり肯定の意を示してきた為、望子は彼とは対照的な否定の意を示すべく首を横に振ったのだが。


「つってもよぉ、この二つの力を『教える』ってのは無理だぜ? 自慢じゃねぇけど俺自身は魔術も碌に使えねぇし、さっきの戦いもあの龍ありきだったしなぁ」

「で、でもぉ──……あっ」

「ん?」


 どうやら、イグノールは他人に魔術を習得させるという事において、『一から術式などを教える』か『海馬を食べさせる』かの二択しか知らず、また前者は自分には無理だし面倒だと判断した結果、後者しか手段が無いと告げて再び差し出してはくるものの、どうしても食べたくはなく思わず俯いた望子の視界に──。



 何とも都合の良い、そのが映った。



「そ、そうだよ! これ! このなかにいれてみて!」

「この中って……その小せぇ箱ん中か?」

「うん!」


 瞬間、望子は『これしかない』と判断してその小さな箱を──運命之箱アンルーリーダイスという名の六つまで魔術を保存可能な魔道具アーティファクトを見せてから、この中に海馬を入れてほしいと頼み込んできたのだが、イグノールが持つ二つの欠片と望子が見せた箱の大きさは見合っておらず。


「……何のこっちゃ──……あぁいや、待てよ?」

「?」


 何を以てして望子が『この中に』と言ってきているのかが全く分からなかった為、白髪をガリガリと掻いていた彼の脳裏に──ふと、あの龍の亡骸に閉じ込められる前に見た『とある光景』が浮かんでいた様で。


「何か見覚えある様な気がすんだよな……いつどこで見たかは思い出せねぇが、それと似た感じの箱を魔王の奴が持って……いや、デクストラだったか……?」

「まおうが、これを……?」


 彼自身にとっても正直ふわっとした記憶ではあったらしいが、その箱──運命之箱アンルーリーダイスを千年前の魔王コアノル、もしくは魔王の側近デクストラが似た様な小さい箱を所持していた気がすると仄めかすも、そんな彼の呟きに対して望子は疑問符を浮かべる事しか出来ず。


「……まぁいいや、とにかく試してみようぜ」

「っ、う、うん……」


 結局、何一つとして明確に思い出せずに諦めたイグノールが、その手に持った二つの海馬の欠片を小さな箱に詰め込む為にと図らずも龍から受け継いだ怪力でスーパーボールくらいの大きさの球体にまで圧縮し。


 望子の首から下げられた運命之箱アンルーリーダイスを手にしながら望子からの案を実行しようとするイグノールに対し、ほんの少しばかり身体を強張らせつつも望子は頷いた。


「こっちには、『腐化モルドナイズ』っつー魔術の術式が記憶されてる。 あの龍みてぇに、カビを自在に操って腐らせたり術者自体がカビになったりも出来る超級魔術だな」

「か、かび……? あの、きたないやつ……?」


 それから、イグノールは運命之箱アンルーリーダイスに触れていない方の手で圧縮した海馬を見せつつ、その内の一つに埋め込まれているらしい魔術──腐化モルドナイズという、あの龍が発生させていた全てを腐敗させるカビの発生源となる超級魔術の解説をしたところ、望子は怪訝な顔をする。


 それもその筈、『ナイズ』と名のつく魔術を行使したが最後、自分自身が『ナイズ』の前についた何かに変身してしまう──と理解していたからであり、いくら何でもカビに変身するのはちょっとというのが本音だった。


「まぁ世辞にも綺麗たぁ言えねぇがな。 お前も分かるだろ? 『腐らせる』ってのぁ思った以上に使えるぜ」

「それは……そう、だったかも……」


 そんな風に嫌悪を隠そうともしない望子に対し、イグノールは有無を言わさず運命之箱アンルーリーダイスの蓋を開けつつ片方の球体をコロッと放り込んでしまい、それによって運命之箱の一面が黄土色に変化したのを垣間見た望子は何となくだが彼の言う事も一理あると考えていた。


 あの戦いの序盤も序盤、龍──というか、イグノールが自分たちに向けて放った腐乱息吹モウルドブレスで全身を腐敗させられて今までにない苦痛に喘がされていたフィンの事を思えば、その魔術が有用だと理解出来たからだ。


「んで、こっちは『龍化ドラゴナイズ』。 文字通り龍に変身する超級魔術でな、あの龍と俺を一体化させる為の繋ぎにしてたんだろうぜ。 そもそも龍だったんだから、それ以外に使い道ねぇしな。 ったく、あのサイコ野郎が」

「さ、さい……?」


 その後、結局のところ望子が何と言おうと恩返しとして二つの力を受け取らせる気でいた彼は、もう一つの球体を同じ様にコロッと放り込もうとしながら、そこに込められた魔術──元から龍である身には必要ない筈の『龍に変身する』効果を持つ龍化ドラゴナイズという魔術の解説をするとともに、どこかの誰かを精神異常者呼ばわりするも望子には何の事だかサッパリ分からない。


 ここで言う『サイコ野郎』とは紛れもなくローアの事なのだが、そんな事を望子が分かる訳もなく──。


 そうやって首をかしげている間にも、また別の一面が煌々と輝く黄金色へと変化を遂げていたのだった。


「さて、そんじゃあ試してみるか? その二つをよ」

「い、いきなり……?」

「あぁ……いや、っつーか──」

「?」


 そして、イグノールはパタンと運命之箱アンルーリーダイスの蓋を閉めた後、早速その力を試してみようぜと提案してきたものの、いきなりの行使には正直言って不安しかない望子としては少し待ってほしいというのが本音だった。


 ……が、そんな望子をよそにイグノールは白髪をガリガリと掻きながら、どうにも空気を読まない何かを言いたげにしている様子を見せており、それに違和感を覚えた望子が『どうしたの?』と首をかしげると。


「あの戦いのせいで昂っちまっててよぉ、まだまだ暴れたりねぇんだわ……試すついでに──遊ぼうぜ?」

「……!?」


 首、肩、腕、手、指──それらからバキバキと音を鳴らしつつ先の戦いの興奮が微塵も冷めていない事実を明かし、あの龍の鋭い眼光と比べても遜色ない覇気を纏う薄紫の双眸を輝かせて昏い笑みを浮かべる彼に対して、びっくりというよりは困惑からくる感情の動きによって望子は思わず目を見開いてしまっている。


(……あそぶ、っていっても……たぶん、そのままのいみじゃなくて──『たたかえ』ってことだよね……?)


 されど、それでも望子は彼が言いたい事を自分なりに──やはり八歳児とは思えない聡明さを以て、おそらく『遊ぶ』というのは『戦う』と同義なのだろうと理解し、『ふーっ』と何かを決意、或いは覚悟するかの様な長めの息を吐いてから目の前の魔族を見据え。


「──いいよ。 いつかは、まおうもたおさなきゃいけないんだから……にげても、しょうがないんだから」

「……魔王を倒す、ねぇ……」


 元の世界に──お母さんの下へと帰る為には魔王を倒さねばならないのだから、ここで逃げては何も始まらないと頬を叩いてから自分を鼓舞する一方、『魔王を倒す』などという自分でさえ不可能だった所業を成し遂げんとしている目の前の少女に対し、イグノールは品定めでもするかの様な視線を向けていたのだが。


「……とにかく力を試してみろ。 その二つを初見で使いこなせるなら、この俺が手ぇ貸してやってもいい」


 こちらも何かを決意するかの如く『はぁっ』と短い溜息を溢し、ひとまず何をおいても試してからだと口にしつつ、そこで一呼吸置いた彼が告げたのは──。



「魔王──コアノル=エルテンスの討伐にな」

「え……?」



 あまりに予想外である、コアノル=エルテンスという魔王の討伐に関する全てへの協力の申し出だった。

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