第267話 悪とは──

「──……ろ、ローアが魔王よりも……?」

「本当、なの……?」


 とてもではないが信じがたい──というよりも信じたくはないダイアナの発言に、レプターが誰に聞かせるでもなく発した呟きに共鳴するかの如く、カナタは話題の張本人であるところのローアへと話を振ると。


「……間違いではない」

「「「……っ!」」」


 当のローアは全く動揺する事も表情一つさえ崩す事もなく、ダイアナが口にしたのは紛れもなく事実であると答えた事で、なるべくなら否定してほしかったカナタとレプター、ダイアナの言葉を鵜呑みにすればいいのか迷っていたファルマの三人は一気に戦慄する。


 何だかんだと一緒に旅をしてきた仲間だから──と半ば信用しかけていたというのに、いざ蓋を開けてみれば最も多くの命を奪った魔族だという事実を突きつけられたのだから、この反応も無理はないと言えた。


 所詮は、こいつも魔族なんだ──この世界に生きる全ての生命の怨敵なんだと認識を改めかけていた時。


「……間違いではないが、その表現はいただけぬな」

『……何か言い分でも?』


 ローアは、その薄紫に妖しく光る双眸で不遜にもダイアナを睨みつけつつ、どうやら彼女なりの反論でもあるのか何かを言いたそうにしており、そんなローアに対してダイアナが同じく不満げに彼女に問い返す。



 その後、一呼吸置いたローアが口にしたのは──。



「貴女が知らぬ筈があるまい。 魔王様が、これまでに奪った生命の数を──それを知っていて尚、我輩と魔王様を比較するのは如何なものかと問うているのだ」

『……』

「ど、どういう事なのですか……?」


 己が奪ってきた命の数について──ではなく、コアノルが奪ってきた命の数と比べる事自体についての疑念であり、それを天上に座す神々の一柱であるダイアナが把握していない訳もない筈だというローアの主張に、ダイアナは僅かに眉を顰めて不機嫌そうにする。


 一方、女神と魔族のやりとりの意図を全く掴めないままのカナタが努めて敬語で問いかけてみたところ。


『……確かに、その点については折れましょう。 かの魔王、コアノル=エルテンスは千年前の戦いにおいても封印を解いてからの百年という長い間でさえ──』


 ダイアナは深い深い溜息をついてから、まさかの魔族による指摘が原因で自分の発言を撤回し、カナタたちにも分かりやすく伝わる様に千年前の出来事については出来るだけ簡潔に語りつつ、コアノル=エルテンスという存在がこれまでに奪ってきた命の数が──。



『──たった一つの生命も散らしてはいないのです』

「「「え……!?」」」

「……そうなの?」

「うむ」



 零──虫一匹の命さえ奪ってはいない事を明かすと同時に、カナタだけでなくレプターやファルマも表情を驚愕の色に染めながら視線を白衣の少女に移し、これといって驚いている様子はないフィンも含めた四人の視線を受けたローアはあっさりと肯定してみせる。


「どうして、そんな……いや、いい事なんだけど」


 かの存在は紛う事なく世界を支配せんと目論む巨悪だというのに、どういう理由から不殺を貫いているのかが全く分からないカナタだったが、『それは別に悪い事ではない』という考えもあったらしく安堵した方がいいのか困惑した方がいいのか分からなくなった。



 そんな疑念に対し、『ふむ』と唸ったローアは。



「……魔王様のお力の主軸は、その圧倒的な効力と範囲を誇る干渉系統の魔術。 世界中に存在する『可愛らしい物』──それらを決して傷つける事なく完全な状態で手中に収める為に魔術を行使した結果であるよ」


 どうせ、いずれは魔族領へ赴き魔王様と対面する事になるのだから──そう考えた結果、コアノルが千年前も封印を解いてからも得意とし続けている『可愛い物を決して傷つけず可愛いまま手中に収める』事を目的とする干渉系統の魔術についてを明かすとともに。


「そもそも──あのお方は、この世界の全生物を一切傷つける事なく支配下に置く事も出来るのだからな」

「ひえぇ……」


 大前提として、コアノルともなれば手を汚す事なく世界中に散らばる全ての生命を支配下に置いてしまう事も可能であり、もっと言えば生物たちは支配下に置かれた事にさえ気がつかないらしく、この瞬間にも起こりうるのかもと考えたファルマが怯えて震える中。


「……ならば何故、今世では実行しない? かの魔王が今、欲しているのは──ミコ様一人ではないのか?」

「……実行しないのではなく──」


 図らずも、ファルマが脳内でのみ抱いた不安を疑問として吐き出したレプターの問いかけに、ローアは少しだけ言いにくそうにしつつも答えんとしたのだが。


『出来ないのですよ。 あの時、千年前までの全盛期の彼女なら可能だったでしょうが、こうして封印を解き放つに当たり彼女は随分と力を消耗していますから』

「……魔王が直接あの子を捕らえに来ないのも?」


 そんな彼女の言葉はダイアナの透き通る様な声に遮られてしまい、つまりは魔王が千年前と比べて遥かに弱体化しているのだという旨の発言を聞いて、カナタが自分なりに『望子を捕らえに来ない理由』を思案して確認する様に見上げると、ダイアナは無言で頷く。


「魔族領と化した大陸──正確に言うのであれば我らの棲家であるところの魔王城……魔王様は、たった一歩でも城を出る事さえ叶わない程に弱体化している」


 それから、ダイアナが話を続ける前にローアが神妙な面持ちで口を開き、コアノルが魔族領を──どころか魔王城からさえ一歩も離れられないという勇者一行にとって朗報と言えなくもない情報を開示してきた。


 事実、魔王城は文字通り魔王コアノルが千年前の召喚勇者から受けた封印を解いた後、封印を解除するのに多大な魔力を消費していたのも構わず『魔の復活の象徴として必要なのじゃ』と無理やり建立した物で。


 あの城とコアノルは望子の力とも違う魔力の糸の様な物で結びつけられており、コアノルが一歩でも城から出れば糸は切れ、あの城は瓦解するのだとか──。



 ──魔王コアノル=エルテンスの命とともに。



 よくよく考えずとも勇者一行にとって有益以外の何物でもない、その情報を聞いたレプターの二の句は。


「……その事と貴女が──いや、がどの魔族よりも多く生命を奪ったという事実に何の関係がある?」

「おやおや、二人称が戻ってしまったか」

「……茶化すな」


 まさかの『どうでもいい』と言わんばかりの言葉であり、とにかくローアが最も危険な魔族かもしれないという疑念を確信へと変えたい彼女の低い声音での問いかけに、ローアは大袈裟な身振り手振りで揶揄う様に返すも、レプターからの反応は至って冷ややかだ。



 それを見た彼女は、『こほん』と咳払いしつつ。



 全てではないとはいえ、それなりに過去を明かす。



 千年以上も前に、コアノルによって上級魔族として生み落とされた瞬間、彼女は奥底に眠る何らかの感情の存在に気がつくと同時に、おそらくは上級魔族の賢しさゆえにその感情の正体を聞くまでもなく理解し。


 コアノルや、その傍らに控えるデクストラの命令など何処吹く風とばかりに、その感情──『好奇心』を満たす事だけを何を置いても優先すると決めていた。


 勿論、創造主たる魔王の命令に従う事も忘れはしないが、その合間合間に自分の好奇心に同調した同胞たちを手足の様に使い、それぞれの大陸や海上、空中などでの戦いの中で実験に必要な被験体を集め始める。


 ……その被験体が、どれも既に亡くなっていたのならまだマシだったかもしれないが、ローアが同胞たちに集めさせていたのは殆どが『死にかけ、もしくは一切の傷が無い者──生きている者たちばかりだった。


 死骸は物言わぬだけ情報を持っているが、どうせなら自分の口で話してもらった方が分かりやすい筈だ。


 そんな狂気じみた持論を掲げたローアは、およそ一つの種族につき数百から数千、或いは数万という生物に対して解剖だったり改造だったりを繰り返し──。



 数にしてみれば最早、億にも下らない生物の命を。



 部下とした同胞たちとともに、奪い続けてきた。



 時には同族同士で殺し合わせる事で種族ごとの凶暴性を確認したり、ほんの少しも縁のない生物同士を半強制的に交配させて全く新しい種族を生み出そうとしたり、はたまた糧食部隊レーショナーと手を組み種族ごとで自分たちが食料と出来る部位を探るべく只管に調理したり。


 およそ、デクストラでさえ魔王の命令でなければ絶対にしない様な事を好奇心を満たす為に続けてきた。


 そして、その様な狂気極まりない所業が千年前に魔族全てが封印されるまでと、この世界に蘇ってからの百年という長期間で行われ続けていたのだから──。



 最も多くの命を奪った存在となるのも必然だった。



 ダイアナを始めとした天上の神々は、かつての聖女に異世界より勇者を召喚させた後も、どうしても目を覆いたくなる様な所業を天上から見ていたからこそ。


『聖女カナタ、レプター=カンタレス、そしてフィンよ。 この話を聞いても、を連れて行きますか?』

「「……っ」」


 ここまでの話を聞いても尚、研究中毒者を同行させるのか──そんな当然と言えば当然の選択を強いる発言に、カナタとレプターが図らずも息を呑む一方で。


「……『失せろ』と言うなら従おう」


 当のローアは、かつての自分の所業の醜悪さを自覚でもしているのか、この場所での受動的な離反もやむなしとでもいうかの様に首を横に振ってみせている。


「……ボクは別に、どっちでもいいよ。 ローアがいようといなかろうと、ボクのやる事は変わらないもん」

「……貴女らしいな」


 その時、真っ先に意見を口にしたのは未だ絶不調なフィンであり、いつの間にか出現させていた薄紫色の水玉に乗ったまま中立である事を告げた彼女に、レプターは苦笑いとはいえ漸く笑顔を見せたのをよそに。


「……キューは……ローアも、いた方がいいと思う」

「! キュー、もう起き上がって大丈夫なの!?」

「う、うん。 だいぶ楽になったよ……」


 つい先程まで、ダイアナから療養樹ヒールツリーの原種の種子を受け取った事で苦痛に喘いでいたキューが緩慢とした動きで起き上がりつつ、カナタからの心配への対応もそこそこにフィンとは違う意見を口にしようとする。


「……ローアもミコのお友達だから、ミコはローアが助けに来てくれたら嬉しい筈だよ……? だから……」

「それは……」

「……」


 これまでの決して長いとは言えない旅の中で、まだ単なる樹人トレントであったキューでも望子とローアの繋がりは充分に理解出来ており、その事を考えるとローアが一緒の方が望子も安心する筈だと主張した事で、カナタとレプターは言葉に詰まり顔を見合わせてしまう。



 尤もだ──と、そう思ってしまったから。



「……そうだな。 ここで何よりも考えなければならないのは、ミコ様の事だ。 あの方が私たちとの──そして、ローア。 貴様との再会を望んでいるのなら……」

「……連れて行った方が、いいんでしょうね」


 数秒の沈黙の後、自分の中で結論を出したレプターが神妙な表情で生ける災害リビングカラミティの巣があるという方角に顔を向けてから、すぐに視線をローアの方へ移しつつ睨みつけながらも同行を認める旨の発言をし、どうやらカナタも同じ結論を出していたのか肯定の意を示す。


『……貴女たちがそういう選択をするのなら私は何も言いません。 さぁ、キューよ。 その人魚マーメイドの治癒を』

「うん。 フィン、こっちこっち」

「……痛くしないでよ」


 そんな一行に対し、ダイアナは少しだけ表情に影を落としつつも決して失望したのとは違う柔らかな笑みを湛えてから、キューの覚醒が完全に済んでいる事を見抜いたうえでフィンの対処を任せ、それを受けたキューがやたらと自信ありげだからか逆に不安になってしまっていたフィンがおそるおそる近寄る一方──。


『──その間に……ローガン、貴女が亜空間に納めている四体の人形パペットをここへ。 カナタ、レプターとともに私の力の一端を授けましょう。 せめてもの餞別です』

「! よ、よろしいのですか!?」

『えぇ、勿論ですよ』


 この時間を無駄に過ごさない為にと、ダイアナは自分の限られた力を勇者一行に授ける事に予め決めていた様で、ローアが虚数倉庫ニルラソールにウルたちを納めている事も看破して声をかけ、それを聞いても特に驚く事なく四体の──狼、梟、烏賊、蛸の人形パペットを取り出すローアとは違い、レプターは目を見開いて驚きを露わにし。


 そんなレプターを、ダイアナだけでなくカナタやキュー、ファルマまでもが微笑ましげに見つめていた。


 それから、ややあって落ち着きを取り戻したレプターと、レプターの隣に膝をついて両手を組んで祈りを捧げるカナタ、いつの間にか治癒を終えていたらしく傍まで戻ってきていたキューと、キューのお陰で絶好調とは言えないものの少なくとも色は戻ったフィン。



 そして、ついでの様にファルマも祈りを捧げる中。



『それでは……ここにはいない幼き召喚勇者を頭目とする一行よ。 この世界に根を張る全ての植物を司る女神である私が力を授けます。 さぁ、目を閉じて──』


 キューの影響で少しとはいえ取り戻した力を勇者一行に渡すべく、ダイアナは大きく手を広げて一行を包み込む様な淡く優しい黄緑色の光を放ち、その光は一行どころか神樹林全体──あわや大陸全てを包み込んでしまうのではないかという程に輝きを増していく。


 そんな中、流石に神力を身体に直接注がれれば異常が出ない方がおかしいと理解して、ダイアナが拒絶するまでもなく自ら身を引いたローアはといえば──。



(くはは……さてさて、どうなる事やら──)



 全く反省していなかったが──それはそれとして。



 ──場面は、イグノールに攫われた勇者みこへと移る。

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