第263話 精神世界での邂逅

 ──白。



 ──黄。



 ──緑。



 全てを優しく包み込んでくれる様な三色の淡い光に支配されたこの空間は──とある亜人族デミの精神世界。



 とある亜人族デミとは勿論、樹人トレント──キューの事で。



 レプターたち三人の目を眩ます勢いで祠と共に発光し始めた苗木状態のキューは、いつの間にか目覚めただけでなく謎の場所が視界の先に広がっていた事に。



『──……きゅ〜……?』



 ただただ、その小首をかしげようとして──。



『……きゅっ?』



 ──かしげる首が無い事に気がついた。



 何を隠そう、ここはキューの精神の世界であり。



 肉体──というか植物で出来た身体は存在しない。



 しかし、その精神世界をぐるりと見回そうとすれば視界は回るし、か細い鳴き声も出ている様に感じる。



 それが何故なのかはキューには分からないし、そもそも何が起こっているのかを把握する事も出来ない。



 ただ一つだけ分かるのは──。



『きゅ……きゃ、きぃ……』



 ──ここには、カナタも望子もいないという事。



『きゅうぅ……』



 段々と不安の感情が色濃くなってきた──その時。



『──……いますか。 私の声が届いていますか……』

『きゅ……?』


 キューの耳に──というより脳内に直接、反響している様にも聞こえる透き通った声が届いた事で、キューが無い首を右へ左へ動かし声の主を探していると。


『……どうやら、届いた様ですね』

『きゅー……!?』


 キューの視界の先、少し見上げなければならない程の位置に映ったのは──まさしく、女神の姿だった。


 まるっきり植物が小人の姿をした様なキューとは異なる美の化身が如き全身のところどころに煌びやかな実や花や葉をつけた蔦を絡ませ、さも天女の羽衣かというくらいに純白な外衣トーガを纏う、天上の神々が一柱ひとり



 この世界の全ての植物を司る女神──ダイアナ。



 無論、女神の姿など見た事もないキューにとっては神々しい光を背にする女性こそが神であると思い至る筈もなく、ただただ驚きからの鳴き声を上げるだけ。


 そんな樹人トレントの姿が、ダイアナの──つまりは神の視点からは一体どう映っているのかは分からぬものの。


『……大丈夫。 私は貴女の味方です』

『きゅ、きゅう……』


 その柔らかな声音を聞けば少なくとも敵対するつもりはないのだろう事は流石のキューでも分かり、だからこそ不安の感情は少しずつだが収まっている様で。


『きゅ、きゅ〜……?』



 ──……誰?



 と、そう問いかけるくらいの余裕は出来ていた。



『……私はダイアナ。 植物を司る女神にして、そこから発芽した貴女の様な樹人トレントの生みの親でもあります』


 すると、ダイアナは全てを分かっていると言わんばかりに首を縦に振ってから自らを神だと──そして。


 キューの様に植物から生まれた樹人トレントや、その樹人トレントが進化した神樹人ドライアドの生みの親なのだと明かしたところ。


『きゅ〜……きゅう?』

『えぇ、そうですね。 母親だと言えなくもないです』

『きゅー!』



 ──もしかして……お母さん?



 キューは、そんなニュアンスを込めた鳴き声による問いかけをし、それに対してダイアナが肯定の意を示すべく首を縦に振ったのを見るやいなや嬉しそうに飛びつこうとするも、ここで実体が無い事を再び自覚。


『……きゅう……』


 またしても未知の不安に駆られてしまっていた。


 そんな風にコロコロと感情を変える樹人トレントを見たダイアナは、まずは全てを説明すべきだろうと判断して。


『無理もありません、ここは貴女の精神の世界。 本来は干渉も不可能な空間ですから。 私は、そこに貴女から奉還された魔力を辿って干渉しているだけですし』

『きゅ〜?』


 ここがキューの精神世界である事や、それゆえに実体など存在しようもない事、実体を持つ者は基本的に他者の精神世界には干渉出来ない事や、だからこそ神である自分はキューの魔力を辿って干渉出来た事などを語るも──キューは明らかによく分かっていない。


 せいしん、かんしょう、ほうかん──今日、生まれて初めて聞いた言葉のオンパレードだったのだから。


『……貴女には難しい話でしたね』

『きゅう〜……』

『まぁ、それも──』


 一方、樹人の反応からどう見ても理解していないと看破したダイアナが溜息を溢した事で、キューは露骨にしゅんとしてしまっていたが、そんなキューの反応には構う事なくダイアナは『くすっ』と微笑み──。


『──……、ですが』

『……きゅ?』


 表情としては温和な笑顔でも、そこに随分と真剣味のこもった声音で何かを告げようとするダイアナの意味深な言葉に、キューも何かを悟って警戒し始める。


 勿論、実体が無いのだから勝負にさえならないのは分かるが、それでも負ければ死ぬという事は自然界を生きる亜人族デミである以上は理解出来ており、もう一度カナタや望子に会う為に負ける訳にはいかなかった。



 二度目の敗北なんて、もう──。



 ……二度目?



『……きゅ、う……?』



 そう、キューはこのタイミングで漸く思い出した。



 望子を始めとした勇者一行が、あの龍の姿をした魔族に──生ける災害リビングカラミティと戦闘を繰り広げていた事実を。



 その戦いの最中、終盤で生ける災害リビングカラミティが放った一撃によって自分の意識が喪失し、おそらく真っ先にリタイアしてしまったのだろう事を、キューは思い出した。



『きゅ、うぅぅぅぅ……っ』



 ゆえに、キューは泣き声の様な鳴き声を上げる。



 あまりにも不甲斐ないからか、そうでなければ死んでしまったのだろう事実を理解しての哀しみからか。



 或いは、その両方か──。



『……何か勘違いをしている様ですが……キュー、貴女は命を落としてなどいませんよ。 わたしが保証します』

『……きゅ……?』


 そんな風に絶望の底に落とされた様な雰囲気を漂わせる樹人トレントに対し、ダイアナが発したのは絶望感など微塵も感じさせない声音による死の否定であり、それを受けたキューは『ほんと……?』みたいな声を出す。


『えぇ本当です。 ここは貴女の精神世界、貴女が本当に死んでいたのなら既に消失していなければおかしいのですよ。 ですから安心して下さい。 それに──』


 すると、ダイアナはキューが抱いている不安を解消させる為、大前提として精神世界は夢と同じく生きていなければ存在しないのだと解説するとともに──。


『──そもそも貴女は、そう簡単に死にませんから』

『……?』

『やはり自覚は無いのですね……少し説明しますと』


 キューは、この世界の樹人トレントの中でも特に死の危険からかけ離れた個体だと告げるも、やはり要領を得ていないキューに対して、ダイアナは根拠を語り始める。


 樹人トレントという種族は亜人族デミにおいても異質な存在であり、その生態は未だに謎に包まれている部分も多い。


 だが、それはあくまで人族ヒューマンや他の亜人族デミにとっての話であり、ダイアナからすれば何も不思議ではなく。



 キューが死ににくい樹人トレントである事も知っていた。



 それは、キューが誕生した時の事。



 あの時、サーカ大森林では菫色の魔素溜まりから発生した魔族の因子を有する粘液生物ブロヴを討伐する為に三人の亜人族デミ──人狼ワーウルフ鳥人ハーピィ蜘蛛人アラクネが集結しており。


 最終的に、あの瞬間に覚醒したウルの炎とハピの冷気がぶつかり合い引き起こされた爆発によって、サーカ大森林には取り敢えずの平穏が訪れていたのだが。


 仮にも召喚勇者の所有物である人形が変化した二人の力と、あの粘液生物ブロヴが有していた魔族の因子──。


 これらは、あの爆発が発生した現場に植生していた木々の一つから発芽した樹人トレント──キューに大きな影響を与えて、それらに対する耐性を付与する事になる。



 樹人トレントにして火に強く、そして冷気にも強く。



 あろう事か、魔族の闇の力にさえ屈しない。



 耐性だけを見れば史上最高の樹人トレントとも言える。



 生ける災害リビングカラミティとの戦いの最中、ハピが抱いていた『どうしてキューにカビが生えないのか』という疑問の答えの起因がハピ自身だったとは知る由もないだろう。


『説明し終えたところで、そろそろ貴女の進化に移りましょうか。 これから貴女に頂いた魔力を以て貴女を樹人トレントの上位種──神樹人ドライアドへ進化を促すのですが……』

『きゅっ?』


 その後、出来る限り分かりやすく説明した事で大体の事情は理解した様子のキューを見たダイアナは、キューから奉還された魔力を用いて神樹人ドライアドへ進化させようとするも、その前に伝えたい事があるらしく──。


『まず悪の因子を取り除かなければなりません。 そうすると、あの魔族を祓う程の力は残らないのですよ』


 キューから奉還された魔力の殆どは生ける災害リビングカラミティから受けた物であり、そうでなくともサーカ大森林で生まれた時から質の高い魔族の魔力を有していた為、取り敢えずは魔力から悪の因子を除去しなければならないが、それをしてしまうと生ける災害リビングカラミティをダイアナ自身が祓う事は出来なくなる──と、そう告げてきたのだ。


 尤も、キューの進化だけでなくディアナ神樹林の再生にも魔力の一部を使わせてもらうつもりの様だが。


『つまり、あの魔族は貴女たちに祓ってもらうしかなくなります。 その覚悟は出来ていますか? キュー』

『……! きゅーっ!』


 話を纏めると、生ける災害リビングカラミティは進化したキューを始めとした望子たち勇者一行が倒すしか選択肢はないのだと語り、もう一度あの魔族と戦う勇気はあるかとの女神からの問いに、キューは決意を込めた声を上げる。


 実体があれば、きっと良い目をしていたのだろう。


『……よろしい。 では、始めましょうか──』

『きゅう!』


 それを神の眼を通して見ていたダイアナは、こくりと首を縦に振りつつ白魚の様に流麗な手をキューにかざし、キューは意を決して甲高い声を出しはしたが。



 ──その時。



『……きゅう?』



 実体が存在しない筈の身体に違和感を覚え始めた。



 痛い様な、それとも痒い様な──。



『──少し、苦しいかもしれませんが』

『きゅ、あ──』



 そして、ダイアナが口にした低い声音による言葉を皮切りに、その違和感は段々と確信へ変わっていき。



『──きゅ、うぅううううううううっ!?』



 次の瞬間、無い身体の内側から──もう少し正確に言うのであれば魂の奥底から身体を引き裂く様な痛みとともに、その痛みを遥かに凌駕する崇高な力が溢れ出てくる事に驚きもあって今までに無い声を上げる。



 悲鳴と高揚の入り混じった様な、その叫声を──。



『……それを耐え抜いた時、貴女は──』



『──正真正銘、神々わたしたちの力の一端を得るのです』

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