第258話 魔王の予備の使い道
「こっ、コアノル様……! いつ、お目覚めに……?」
あまりに突然の魔王の来訪に、まず間違いなく全力で放った筈の一撃を素手で止められた事実には触れる事もなく、デクストラの表情は険しいものから真剣かつ僅かに綻んだものへ変わり、そのまま問いかける。
彼女の主、魔王コアノル=エルテンスは強大な力の代償か数日単位で寝て起きてを繰り返しており、およそ三日前に眠りに就いたのだから三日後の今日に目覚めるのは特に不思議な事でも何でもないのだが──。
「つい先程じゃ。 こう……『ん〜っ』と背伸びしておったら、どうにも耳障りな悲鳴が聞こえたものでの」
「っ! も、申し訳ございません!」
どうやら、コアノルが気持ちよく目覚めた直後にウィザウトの苦悶の声が届いたらしく、デクストラは主の起床を阻害してしまった事に対し深く頭を下げる。
千年前から、『可愛い物』に次いで好きなのが『眠ってから起きるまでの時間』だと知っていたからだ。
「あー、よいよい。 お主に非はなかろうて──が」
しかし、コアノルは軽めの声とともに何とも害のない笑みを浮かべてヒラヒラと手を振り、これといって叱るつもりはないと告げたのだが、それはあくまでもデクストラだけの話であって、ウィザウトは──別。
「──お主には非があるよのぅ? ウィザウト」
「ぁ、そ、それは……っ」
未だ手枷に繋がれたまま殆ど半裸のウィザウトに向けて、コアノルが少しだけ昏い魔力を込めた笑みを見せた事で、ウィザウトは身体の震えに抗えなくなる。
産みの親である魔王に逆らえないのもそうだが、それ以上に絶対的強者に対する怯えがそうさせているのだと、ウィザウト自身が誰よりも理解していた様だ。
「妾は、デクストラが『上手くいく』というから承認し、お主に百年の猶予を与えたと思うのじゃがなぁ」
「ぉ、仰る通りにございます……」
みるみる萎縮していく彼女を尻目に、コアノルが一歩、また一歩と壁の方に近づきつつ百年前のやりとりを回想し、ウィザウトに与えた百年が無駄になった事を暗に責め立てると、それを受けた彼女はコアノルから目を離す事も叶わず嫌味を受け流す事も叶わない。
ただでさえ先程までの拷問で心身ともに削られている事もあり、ウィザウトが限界寸前となっていた中。
「その点に関しては私に非があるかと存じます。 どうか、この私めの謝意を受け入れていただきたく──」
流石に百年もあれば──そう判断したのが自分であるという一点に関して言えば、デクストラは自身の恥ずべき失態だと考えていたらしく、コアノルに対して恭しく頭を下げて謝罪を受け入れてもらおうとする。
「お主も無駄に律儀よのぅ。 まぁ、よいわ」
「!? ぐ、ぅ……っ」
それを見たコアノルは彼女の流麗な髪を小さな手でくしゃっと撫でつつ受け入れてから、その優しげな笑みに込めた感情だけを変えて視線を移し、その薄紫の双眸が妖しく輝いた瞬間、何故かウィザウトを拘束していた手枷が外れた事で彼女の身体が投げ出された。
「──さて、ウィザウトよ」
「は、はっ……!」
一方、突然の事態に困惑する部下の事を微塵も気にかける様子のないコアノルが、ウィザウトに目線を合わせる様な少しの気遣いもなく見下ろしつつ名を呼ぶと、ウィザウトは痛む身体を押して片膝をつき畏る。
「妾は同胞の失態など余程の事でもない限り咎めたりはせぬ──というより、したくない。 そんな無駄な事をしたところで失態を覆せる訳でもあるまいしのぅ」
「仰る、通りかと……」
すると、コアノルは相も変わらず笑みを崩さぬままに、さも自分が優しく理解があり我儘など言わない良い上司であるかの様な口ぶりをした事により、ウィザウトとしてはそうは思えなくとも頷かざるを得ない。
(……全く、どの口が……)
そのやりとりを見ていたデクストラは呆れる様に溜息を溢しながらも僅かに口角を上げて、ほんの数ヶ月前の出来事を思い出して少しだけ微笑んでおり──。
何を隠そう、かつて『決してミコを傷つけてはならぬ』という警告の為だけに、コアノルが放つ漆黒の雷をその身に受けた様な精神を穿つ一撃を食らった事があるのだが、それは『余程の事』に当たるのだろうと理解していた為、特に異を唱えたりはしないらしい。
そういう意味で言えば、イグノールは思い切り望子を傷つけており、その事実をコアノルが知ったなら。
きっと、イグノールは消されてしまうのだろう。
「じゃがの、ウィザウト。 お主の役職は何じゃ?」
「……魔王軍、幹部で──ぁぐっ!?」
そんな折、少しだけ笑みを抑えて声色も低くしたコアノルが、ウィザウトに与えた役職を再確認させる様な物言いで問いかけ、それに答えようとしたウィザウトだったが──その瞬間、彼女の首に跡が浮かんだ。
さも両手で首を絞めているかの如き細い指の跡が。
誰も、ウィザウトの首など絞めていないのに──。
「そうじゃとも。 たった三体しか就く事の出来ぬ最も優れた同胞の証──それが幹部というものじゃ。 お主はその証に見事……泥を塗ってくれたという訳じゃ」
「……っ」
息が出来なくなる前に彼女が口にしかけていた『魔王軍幹部』という言葉を首肯したコアノルは、その称号がどれだけ重いものかという事を再認識させるべく更に魔力の圧を高めていき、それを受けたウィザウトは首どころか全身が潰れるが如き想像をしてしまう。
「ぉ、畏れながら……!」
「ん?」
だからか、ウィザウトは死にたくない一心で魔王相手に発言の許可を求めてしまい、ハッキリ言って不敬極まりない事だったがコアノルは首をかしげるだけ。
何を囀るのか、ついつい気になった様だ。
そして、ほんの少しの静寂の後──。
「わ、私は元より幹部など──っ!?」
コアノルの気まぐれで僅かに余裕が出来た気管へと空気を送ってから、『幹部への任命を断ってさえいれば』という先程の後悔をそのまま口にしようとした。
──が、しかし。
「これ以上の非礼は許容しかねます」
「っ、い"……ぎぅっ……!」
今度こそ本当に、デクストラの手にする凶悪な鞭によって首を絞められてしまい、どうにか鞭と首の間に咄嗟に指を挟む事は出来たものの苦しい事に変わりなく、つい先程までより現実味のある苦痛が襲いくる。
尤も、コアノルの力による首絞めの錯覚の方が苦しかったらしく多少ではあれど余裕はある様だが──。
「離してやれ」
「……はっ」
「が、げほ……っ!」
それを察したのか察していないのかはともかく、コアノルが声をかけた事でデクストラは即座に鞭を手元に戻し、それによって漸く首が完全に自由になったウィザウトは失礼とは思いつつも咳き込んでしまった。
「……お主は、こう言いたいのじゃろう? 『下級かそこらの力しか持たず、ただ
「そ……えっ!? ち、違いま──」
その後、彼女が落ち着くまで待つ筈もないコアノルが『こうなったのも全ては浅慮な魔王のせいだ』と考えているのだろうと決めつけて問い詰め始めるも、そんな事など考えてはいなかった──いや、ほんの少しは考えていたかもしれないが──ウィザウトは掠れた声に力を込めつつ何とか反論しようと試みたものの。
「よいよい、それも事実。 妾にも非があったという事じゃ。 じゃからの? ウィザウトよ──妾も責任をとろうと思う。 どうじゃろう、協力してはくれぬか?」
「え、あ──っ、も、勿論です……!」
当のコアノルは最初に見せた温和な笑みへと表情を戻し、さも先程の言葉は間違っていないとでも言うように声色をも和らげており、そんな魔王の変化を信じられないと思いながらも『これ以上の苦痛には耐えられない』と判断した彼女は首を縦に振って首肯する。
「そうかそうか。 ならば──」
すると、コアノルは満足げに手をかざして──。
「一度、死ね」
「ぇ──」
同じ口から発せられたとは思えない程の低い声音で告げられた冷酷な一言に、その一瞬では理解が及ばなかったウィザウトが思わず顔を上げた──その瞬間。
「あ"──ぎゃあ"ぁあ"ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
絹を裂く様な──などという表現では収まらない苦痛に満ちた苛烈な悲鳴がウィザウトの口から発せられると同時に、ウィザウトの全身が『ばきばき』、もしくは『こきごき』と惨たらしい音を立て壊れていく。
しかし、ただ単に原型を留めなくなっている訳ではなく、ウィザウトの身体は段々と強く、そして柔軟さをも兼ね備えた『上級』の身体へ変形している様で。
「……造り替える、のですね?」
コアノルの意図を理解していたデクストラが、ここで廃棄するのではなく『魔王軍幹部』として相応しい姿へと変化させて使い潰す──そう考えているのだろうと確認すると、コアノルは『うむ』と首肯しつつ。
「これは失敗作じゃからのぅ。 まぁ、ローガンやイグノールも同様ではあるが……あれは例外じゃしなぁ」
「心中お察しします」
いくら自分しか扱えない筈の超級魔術を扱えるとはいっても、それが下級以下の力しか持たないのなら失敗作なのは間違いなく、ローガンやイグノールといった数少ない例外こそあれど、デクストラも魔王の心情は充分に理解していた為、恭しい態度を貫いていた。
「……さて。 妾は二度寝でもして、もう一度ミコが出てくる幸せな夢でも見ると──あぁ、そうじゃった」
「……いかがされましたか?」
それから、ウィザウトの悲鳴が途絶えぬ中でも全く気にしていないコアノルは、にわかに欠伸を漏らしつつ眠りに就いている間に見ていたらしい望子との蜜月の夢を再び見る為に寝室に戻らんとするも、そこで何かを思い出したかの様に足を止めて、ふと踵を返す。
そして、『くすっ』と微笑んでから口を開き──。
「もう間もなくじゃ──消息が不明となっておる『左腕』の再構築が完了する。 奴は必要不可欠じゃしの」
「!」
何やら妙な言い回しをするとともに、その細く小さな左腕をヒラヒラと振ってみせた事により、デクストラは一瞬で魔王の言葉の真意を察して目を見開いた。
自称するのもあれだが、デクストラは恐るべき魔王コアノル=エルテンスの『右腕』だと自負している。
では、『魔王の左腕』とは誰の事なのか──。
今、魔王軍で消息不明となっているのは誰か──。
「せいぜい遅れを取らぬ様にのぅ──『右腕』よ」
「……無論です。
敢えて明瞭にはせず、コアノルはそのまま踵を返し魔力で開けた扉の方へと消えていき、そんな魔王の小さな背に向けデクストラは深く頭を下げたのだった。
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